透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

4 佐久市根岸の火の見櫓

2024-04-03 | A 火の見櫓っておもしろい

 佐久市内を走行していると、かなり遠くの火の見櫓にもやぐらセンサーが反応した。この火の見櫓もそのようにして見つかった。


1495 佐久市根岸 4柱4〇型たばね脚 2024.04.02






雄大な浅間山がどっしりと座し、それに呼応するかのように火の見櫓が凛と立っている。富士には月見草がよく似合う、とは太宰 治の言葉。これに倣えば、浅間山には火の見櫓がよく似合う、と言えよう。上掲の火の見櫓のある風景を見てそう思う。


同じ4柱4〇型でもプロポーションはそれぞれ違う。これはかなりスレンダーだ。

プロポーションにも地域性があることは感じている。プロポーションを数値的な指標で捉え、地域ごとの傾向を把握してそれを提示する。これはこれからの課題だ。ヤグ活で数多くの火の見櫓を見ること、これは料理で言えば多くの食材を集めること。そこで終わらせてはならない。集めた食材をどう料理するか、それが肝心なことは火の見櫓も同じ。火の見沼でやることはまだまだある。


屋根の飾りはおもしろい形。見張り台に比して屋根が小さい。


見張り台も踊り場も手すりのデザインは同じ。下ぶくれの縦しげの手すり子、その上部にはさみ込んだ円。シンプルで好いデザインだ。やはりデザインはバラバラではいけない、トータリティが大事なのは建築デザインも同じだろう・・・。


※ 昨日(2日)見た火の見櫓は20基。4基ずつ5回に分けて掲載する予定。


2 立科町茂田井の火の見櫓

2024-04-03 | A 火の見櫓っておもしろい

420
)←過去ログ 北佐久郡立科町茂田井 4柱4〇型たばね脚 2024.04.02

 江戸時代にはひとつの村としてまとまっていた茂田井は現在行政上、立科町茂田井と佐久市茂田井とに分かれている。この火の見櫓が立っているところは立科町の茂田井。中山道の望月宿と芦田宿の中間に位置する茂田井は間宿(あいのしゅく)だった。

この火の見櫓は既に見ているが、昨日再び見た。背が高く、遠くからよく見えるので、引き寄せられた。梯子桟の数と間隔から算出すると、見張り台の高さはおよそ17m。見張り台の床面から屋根の頂部までを3mとすると総高およそ20mとなる。



上下2枚の写真を適当にトリミングして繋いでみた。ほぼピッタリ。 同じことを前回もやっていた。

 
左:踊り場の独特のフォルムには魅せられる。  右:櫓の中間に吊り下げた半鐘、方形の小屋根が好い。

2016年10月に見た時には火の見櫓の右隣りに大きな蔵があったが、解体・撤去されていた。この火の見櫓も同じ運命か・・・。


 


1 小県郡長和町の火の見櫓 

2024-04-03 | A 火の見櫓っておもしろい

 春。ようやく火の見櫓巡りに相応しい季節になった。昨日(2日)佐久市内で火の見櫓巡りをした。以下、昨日のヤグ活の報告。なお、昨日の走行距離は193kmだった。

朝8時半ころ自宅を出発。岡谷市長地から国道142号を通って長和町へ。依田川沿いに通る旧中山道に火の見櫓が立っていた。こげ茶色に塗装されており、目立ちにくい火の見櫓だが、我が優秀なるやぐらセンサーが反応した。これが昨日最初に出会った火の見櫓。


1494 小県郡長和町和田 4柱4〇型たばね脚 2024.04.02


4柱4〇型は東信地域で最も多く、櫓型(*1)の火の見櫓の7割近くを占めている。また、たばね脚はおよそ6割を占めている。櫓が直線的に逓減していること、櫓上部の交叉ブレースに平鋼が使われ、下部にリング式ターンバックル付きの丸鋼が使われていることも東信地域の火の見櫓の特徴。東信の火の見にしては太め。

残念なことに半鐘が撤去され、替わりにモーターサイレンが設置されている。火の見櫓が撤去されずに残っていることを幸いとすべきか。


*1 火の見櫓は柱1本の柱型、2本の梯子型、3本、4本の櫓型に大別される。