(久保山墓地)
久保山墓地を訪問しようとしたのは、実は今日が2回目であった。前回は「神奈川県の歴史散歩」(山川出版社)に「桜木町駅から保土ヶ谷車庫行バス、久保山霊堂前下車」とあるので、桜木町駅で保土ヶ谷車庫行のバスに乗り込もうとしたころ、運転手さんに「このバスは久保山墓地には行かない。久保山霊園を通る32系統のバスは、桜木町からは出ていないよ」と説明され、敢え無く撤退した。
今回は、保土ヶ谷駅から32系統のバスに乗ろうと思ったが、このバスは本数が少なくかなり待たなくてはならなかったので、歩くことにした。久保山墓地まで徒歩15分くらいである。
久保山墓地を眼前にして呆然とした。見渡す限りの墓場であった。この墓地が作られたのは明治七年(1874)のことで、横浜の市中にある寺院の墓地が景観を損なう、衛生上も宜しくないという考えから、寺院ごとこの地に移ったものらしい。
ここに西南戦争で戦死した巡査や官軍兵士の官修墓地があるはずだが、どこにも案内らしきものはなく、3万基以上といわれる墓石の中から、当てもないのに探し出すことは流石にできなかった。新年最初の史跡訪問が空振りに終わったのは残念であるが、こういうこともある。次回に持ち越しである。
久保山墓地を訪問しようとしたのは、実は今日が2回目であった。前回は「神奈川県の歴史散歩」(山川出版社)に「桜木町駅から保土ヶ谷車庫行バス、久保山霊堂前下車」とあるので、桜木町駅で保土ヶ谷車庫行のバスに乗り込もうとしたころ、運転手さんに「このバスは久保山墓地には行かない。久保山霊園を通る32系統のバスは、桜木町からは出ていないよ」と説明され、敢え無く撤退した。
今回は、保土ヶ谷駅から32系統のバスに乗ろうと思ったが、このバスは本数が少なくかなり待たなくてはならなかったので、歩くことにした。久保山墓地まで徒歩15分くらいである。
久保山墓地を眼前にして呆然とした。見渡す限りの墓場であった。この墓地が作られたのは明治七年(1874)のことで、横浜の市中にある寺院の墓地が景観を損なう、衛生上も宜しくないという考えから、寺院ごとこの地に移ったものらしい。
ここに西南戦争で戦死した巡査や官軍兵士の官修墓地があるはずだが、どこにも案内らしきものはなく、3万基以上といわれる墓石の中から、当てもないのに探し出すことは流石にできなかった。新年最初の史跡訪問が空振りに終わったのは残念であるが、こういうこともある。次回に持ち越しである。