(川崎宿)
川崎は、東海道の宿場町として栄えたまちである。江戸を出立して六郷の渡しで多摩川を越えると、すぐに出会うのが川崎宿である。
現在、川崎は人口百三十万人を抱える巨大政令都市へと発展した。JR川崎駅を降りると、大変な人混みでとても真っ直ぐ歩けないような有り様である。駅前の市役所通りと砂川一丁目の交差点で交わっているのが、旧東海道である。駅周辺の様子からして、最初から昔の風情が残っているとは期待はできないが、意外にも史跡説明の案内板が随所に建てられており、それを追って散歩するだけでも十分楽しい。これは、川崎宿起立400年(2023年)に向けて、「歴史と文化をまちづくりに活かそう」と川崎区役所地域振興課が中心となって整備しているものである。
佐藤本陣(上の本陣)跡地
川崎宿には佐藤本陣と田中本陣、その中間に中の本陣と呼ばれた惣兵衛本陣があった。上の本陣と呼ばれた佐藤本陣には、徳川家茂が上京する際に宿泊したという。
田中本陣(下の本陣)跡
佐藤本陣跡から江戸方向に進むと、田中本陣跡に出会う。本陣は参勤交代により栄えたが、江戸後期には大名家の財政難と参勤交代の緩和により、田中本陣も衰えが目立った。安政四年(1857)将軍謁見のため江戸に向かうアメリカ駐日総領事ハリスは川崎宿に宿泊したが、田中本陣のあまりの荒廃ぶりを見て宿を万年屋に代えたという。
六郷の渡し付近
万年屋は、六郷の渡しを経て川崎宿に入ってすぐのところにあった。川崎大師への参詣客が往来するこの付近は、茶屋が軒を並べる大変賑やかな街であった。万年屋もそうした茶屋の一つであったが、やがて宿泊も可能となり、幕末にはハリスも宿泊したと伝えられる。万年屋があったと思われる場所には高層マンションが建っており、往時を偲ぶものは何も残されていない。
川崎は、東海道の宿場町として栄えたまちである。江戸を出立して六郷の渡しで多摩川を越えると、すぐに出会うのが川崎宿である。
現在、川崎は人口百三十万人を抱える巨大政令都市へと発展した。JR川崎駅を降りると、大変な人混みでとても真っ直ぐ歩けないような有り様である。駅前の市役所通りと砂川一丁目の交差点で交わっているのが、旧東海道である。駅周辺の様子からして、最初から昔の風情が残っているとは期待はできないが、意外にも史跡説明の案内板が随所に建てられており、それを追って散歩するだけでも十分楽しい。これは、川崎宿起立400年(2023年)に向けて、「歴史と文化をまちづくりに活かそう」と川崎区役所地域振興課が中心となって整備しているものである。
佐藤本陣(上の本陣)跡地
川崎宿には佐藤本陣と田中本陣、その中間に中の本陣と呼ばれた惣兵衛本陣があった。上の本陣と呼ばれた佐藤本陣には、徳川家茂が上京する際に宿泊したという。
田中本陣(下の本陣)跡
佐藤本陣跡から江戸方向に進むと、田中本陣跡に出会う。本陣は参勤交代により栄えたが、江戸後期には大名家の財政難と参勤交代の緩和により、田中本陣も衰えが目立った。安政四年(1857)将軍謁見のため江戸に向かうアメリカ駐日総領事ハリスは川崎宿に宿泊したが、田中本陣のあまりの荒廃ぶりを見て宿を万年屋に代えたという。
六郷の渡し付近
万年屋は、六郷の渡しを経て川崎宿に入ってすぐのところにあった。川崎大師への参詣客が往来するこの付近は、茶屋が軒を並べる大変賑やかな街であった。万年屋もそうした茶屋の一つであったが、やがて宿泊も可能となり、幕末にはハリスも宿泊したと伝えられる。万年屋があったと思われる場所には高層マンションが建っており、往時を偲ぶものは何も残されていない。