(外人墓地)
リチャードソンの墓
時間があったので、外人墓地まで足を伸ばしてモレルやワーグマンの墓を詣でようかと思い付いた。ところが、外人墓地は十二月の末から三月第一週まで一般公開されていなかった。仕方なく再度リチャードソンの墓の写真を撮った。中に入らずとも塀越しに撮影することが可能である。
長らく見ない間に、リチャードソンの墓には、「生麦事件犠牲者の墓」と刻んだ石柱が建てられ、その両脇には同じく生麦事件で負傷したクラークとマーシャルの墓が設けられていた。クラークとマーシャルの両人は、事件後も日本に留まり仕事を続け、日本で亡くなっている。もう一人の関係者ボロデール夫人は、事件後日本を離れイギリスに帰国した。そこで出産直後二十六歳で死去した。一説には生麦事件の衝撃が原因で精神的に変調を来たしていたともいわれる。
リチャードソンの墓
時間があったので、外人墓地まで足を伸ばしてモレルやワーグマンの墓を詣でようかと思い付いた。ところが、外人墓地は十二月の末から三月第一週まで一般公開されていなかった。仕方なく再度リチャードソンの墓の写真を撮った。中に入らずとも塀越しに撮影することが可能である。
長らく見ない間に、リチャードソンの墓には、「生麦事件犠牲者の墓」と刻んだ石柱が建てられ、その両脇には同じく生麦事件で負傷したクラークとマーシャルの墓が設けられていた。クラークとマーシャルの両人は、事件後も日本に留まり仕事を続け、日本で亡くなっている。もう一人の関係者ボロデール夫人は、事件後日本を離れイギリスに帰国した。そこで出産直後二十六歳で死去した。一説には生麦事件の衝撃が原因で精神的に変調を来たしていたともいわれる。