(寒山寺)
寒山寺
内山家墓
寒山寺は、阪急箕面駅から徒歩五分の場所にある。もともと大阪市内にあったのが、昭和四十年代にこの地に移転してきたものらしい。内山家の墓石は一か所にまとめられていて、その中の一角、右上の大きな墓が内山彦次郎のものという。墓石には「大機院殿之道玄昌居士」という戒名が刻まれている。
内山彦次郎は、大阪西町奉行所与力で、有能な人物だったようである。天保八年(1837)の大塩平八郎の乱にも出動して功があった。元治元年(1864)五月、大阪天神橋のたもとで首を奪われ殺害された。犯人は新選組とも言われているが異論もある。前年、大阪に出張中の新選組と、小野川部屋力士との乱闘騒ぎがあった。この事件を吟味した内山と新選組の間で遺恨が生まれ、内山が殺害されたというのである。

寒山寺

内山家墓
寒山寺は、阪急箕面駅から徒歩五分の場所にある。もともと大阪市内にあったのが、昭和四十年代にこの地に移転してきたものらしい。内山家の墓石は一か所にまとめられていて、その中の一角、右上の大きな墓が内山彦次郎のものという。墓石には「大機院殿之道玄昌居士」という戒名が刻まれている。
内山彦次郎は、大阪西町奉行所与力で、有能な人物だったようである。天保八年(1837)の大塩平八郎の乱にも出動して功があった。元治元年(1864)五月、大阪天神橋のたもとで首を奪われ殺害された。犯人は新選組とも言われているが異論もある。前年、大阪に出張中の新選組と、小野川部屋力士との乱闘騒ぎがあった。この事件を吟味した内山と新選組の間で遺恨が生まれ、内山が殺害されたというのである。