(鎮守稲荷神社)
鎮守稲荷神社
鎮守稲荷の前にある石灯篭は、文政七年(1824)、高田屋嘉兵衛が海上安全を願って献上したものである。このとき既に嘉兵衛は淡路に引退していたが、自分を育ててくれた兵庫の地を忘れることはなかった。嘉兵衛はその三年後の文政十年(1827)、五十九歳で死去している。
鎮守稲荷神社の社殿にはビリケンさんが安置されている。何故、ここにビリケンさんがいるのだろうか。
高田屋嘉兵衛の献上灯籠
(高田屋嘉兵衛本店の地)
寛政二年(1790)、淡路島から移住した高田屋嘉兵衛は、引退する文政五年(1822)までこの西出町に本店を置いていた。かつてこの場所は「佐比江の入り江」が深く入り込んだ浜辺であったが、江戸前期に兵庫津の出町として町場が形成された。北前船などの廻船が盛んに兵庫津に奇港するようになると、「佐比江の入り江」は船入り江として整備され、西出町は東出町とともに問屋・船大工などの町として活況を呈した。かつて船入り江をのぞんで高田屋の本店・倉庫などが立ち並んでいた。
高田屋嘉兵衛 本店の地
(竹尾稲荷神社)
竹尾稲荷神社
高田屋嘉兵衛顕彰碑
高田屋嘉兵衛本店跡地から道路をはさんで向い側に竹尾稲荷神社があり、その境内に高田屋嘉兵衛顕彰碑が建てられている。この顕彰碑は、昭和二十八年(1953)入江小学校門脇に建立されたもので、平成五年(1993)、現在地に移された。
鎮守稲荷神社
鎮守稲荷の前にある石灯篭は、文政七年(1824)、高田屋嘉兵衛が海上安全を願って献上したものである。このとき既に嘉兵衛は淡路に引退していたが、自分を育ててくれた兵庫の地を忘れることはなかった。嘉兵衛はその三年後の文政十年(1827)、五十九歳で死去している。
鎮守稲荷神社の社殿にはビリケンさんが安置されている。何故、ここにビリケンさんがいるのだろうか。
高田屋嘉兵衛の献上灯籠
(高田屋嘉兵衛本店の地)
寛政二年(1790)、淡路島から移住した高田屋嘉兵衛は、引退する文政五年(1822)までこの西出町に本店を置いていた。かつてこの場所は「佐比江の入り江」が深く入り込んだ浜辺であったが、江戸前期に兵庫津の出町として町場が形成された。北前船などの廻船が盛んに兵庫津に奇港するようになると、「佐比江の入り江」は船入り江として整備され、西出町は東出町とともに問屋・船大工などの町として活況を呈した。かつて船入り江をのぞんで高田屋の本店・倉庫などが立ち並んでいた。
高田屋嘉兵衛 本店の地
(竹尾稲荷神社)
竹尾稲荷神社
高田屋嘉兵衛顕彰碑
高田屋嘉兵衛本店跡地から道路をはさんで向い側に竹尾稲荷神社があり、その境内に高田屋嘉兵衛顕彰碑が建てられている。この顕彰碑は、昭和二十八年(1953)入江小学校門脇に建立されたもので、平成五年(1993)、現在地に移された。