(田中正造記念館)
田中正造記念館
せっかくだから館林の田中正造記念館を訪ねることにした。いうまでもなく、足尾銅山鉱毒事件で活躍した田中正造の功績を顕彰する記念館である。時系列に田中正造の事績をパネル展示している。
銅山が流す鉱毒が渡瀬川流域に拡散し、川魚が死滅したのみならず、農産物も壊滅的な被害を受けた。木が伐採された山は大雨が降ると土砂崩れが発生し、鍰をためるダムが決壊して、多くの住民が被災した。
明治三十四年(1901)、田中正造は銅山の操業停止を訴え、それが受け入れられないと知ると、明治天皇に直訴するという「禁じ手」に出た。直訴は未遂に終わったが、田中正造の住民を助けたいという情熱がなせる行為であった。