史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

飯能 Ⅴ

2019年10月19日 | 埼玉県

(東神森稲荷第明神)

 八高線東飯能駅近くの住宅街の中に東神森稲荷第明神がある。境内に飯能戦争全国戦死者供養塔がある。

 碑文によれば、振武隊五百がこの地に逃れてきて、この地にて討ち取られた若い兵士が兵器とともにこの塚の下に埋葬されたという。兵士の霊を慰めるため、平成十一年(1999)九月、王宝寺住職によってこの石碑が建立された。

 

 東神森稲荷第明神

 

 

飯能戦争全国戦死者供養塔

 

(金蓮寺)

 

 

金蓮寺 

 

 

馬場網吉・松吉の墓

 

 下畑の金蓮寺の馬場家墓地に馬場網吉と松吉の墓がある。「幕末維新全殉難者名鑑」によれば、二人は韮山代官所御用人足。武蔵高麗郡下畑村の農。慶應四年(1868)五月二十三日、武蔵飯能にて戦死。網吉は二十歳。松吉は十三歳。

 竹さんによれば、二人は成木川で魚を獲っているところを狙撃されて死亡したのだという。松吉の十三歳という年齢を考えれば、その方が自然かもしれない。大山柏の「戊辰戦役史」には「(五月二十三日)正午近く下畑(下直竹東一キロ半)付近に敗兵らしき七、八名を認め、直ちに銃撃したところ、敵は大いに驚いて松山に逃げ込んだ。これ以外は敵に遭遇せず、夕刻扇町屋に引上げた」という。振武隊はほとんど山中に逃げ込んでおり、ほぼ戦闘らしき戦闘はなかった模様である。兵士と誤認されて撃たれたとすれば、実に不運というほかはない。

 この日は、天気も悪かったので、以上で切り上げ早々に八王子に戻った。帰宅したのは午前十時半であった

 

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日高

2019年10月19日 | 埼玉県

(瀧岸寺)

 

瀧岸寺

 

 今年のお盆休みは竹さんご夫妻とご一緒することにしていたが、台風接近のため竹さんは日程を一日前倒しして埼玉県下を回ることになった。残念ながらその日私は出勤だったので、ご一緒できなかった。即日情報をいただいた。瀧岸寺(りゅうがんじ)と瀧岸寺墓地は、数百メートル離れているが、墓地の方はむしろ松福院に隣接しているということであった。これだけ情報を事前にいただければ十分である。おかげで迷うことなく墓石に行き着くことができた。

 

 瀧岸寺墓地の岡野家の墓域に振武隊士杉山銀之丞(別名・横手銀三郎)の墓がある。墓石側面には横手銀三郎という別名が刻まれている。

 

 

杉山銀之丞の墓

 

 

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美里

2019年10月19日 | 埼玉県

(さらし井)

 

  

さらし井 

 

 美里町広木の枌木川(ねりぎがわ)のほとりに岩で囲まれた小さな井戸がある。奈良時代から伝わる「さらし井」と呼ばれる井戸で、往古より織布を洗いさらすために使用した湧水で、ここでさらされた布は、多くが調庸布(ちょうようふ)として朝廷に献納された。婦人達の共同作業場でもあり、悩みを訴え愛を語る社交の場でもあった。

 

曝井碑 

 

 さらし井の前に弘化二年(1845)に橘守部が万葉歌一首とともに記した曝井碑が建てられている。

 

 三栗の中にめぐれる曝井の

 絶えず通わん そこに妻もが

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