(東神森稲荷第明神)
八高線東飯能駅近くの住宅街の中に東神森稲荷第明神がある。境内に飯能戦争全国戦死者供養塔がある。
碑文によれば、振武隊五百がこの地に逃れてきて、この地にて討ち取られた若い兵士が兵器とともにこの塚の下に埋葬されたという。兵士の霊を慰めるため、平成十一年(1999)九月、王宝寺住職によってこの石碑が建立された。
東神森稲荷第明神
飯能戦争全国戦死者供養塔
(金蓮寺)
金蓮寺
馬場網吉・松吉の墓
下畑の金蓮寺の馬場家墓地に馬場網吉と松吉の墓がある。「幕末維新全殉難者名鑑」によれば、二人は韮山代官所御用人足。武蔵高麗郡下畑村の農。慶應四年(1868)五月二十三日、武蔵飯能にて戦死。網吉は二十歳。松吉は十三歳。
竹さんによれば、二人は成木川で魚を獲っているところを狙撃されて死亡したのだという。松吉の十三歳という年齢を考えれば、その方が自然かもしれない。大山柏の「戊辰戦役史」には「(五月二十三日)正午近く下畑(下直竹東一キロ半)付近に敗兵らしき七、八名を認め、直ちに銃撃したところ、敵は大いに驚いて松山に逃げ込んだ。これ以外は敵に遭遇せず、夕刻扇町屋に引上げた」という。振武隊はほとんど山中に逃げ込んでおり、ほぼ戦闘らしき戦闘はなかった模様である。兵士と誤認されて撃たれたとすれば、実に不運というほかはない。
この日は、天気も悪かったので、以上で切り上げ早々に八王子に戻った。帰宅したのは午前十時半であった