史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

汐留 Ⅲ

2020年06月13日 | 東京都

(浜離宮恩賜公園つづき)

 

延遼館跡

 

 延遼館は、イギリス王子が国賓として来日することを契機に、外国要人の迎賓館として明治二年(1869)五月に建てられた。明治十二年(1879)七月には、アメリカのグラント将軍(第18代アメリカ大統領)が、約二か月滞在した。その後も多くの国賓を迎え、鉄道開業式などの国の行事の際にも使用されたが、明治二十二年(1889)十二月、老朽化のため取り壊しが決定し、ほどなくしてその歴史に幕を閉じた。

 

可美真手命銅像

 

 可美真手命(うましまでのみこと)銅像は、明治二十七年(1894)、明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行った懸賞募集に当選した作品で、佐野昭制作、鈴木長吉の鋳造。

 

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稲城 Ⅱ

2020年06月13日 | 東京都

(ありがた山)

 

ありがた山

 

 「但馬の殿様」の著者吉盛智輝氏より稲城市に「ありがた山」という墓石の墓場があるという情報をいただき、早速休みの日に行ってきた。自宅から四十分たらずのドライブである。稲城市矢野口3159の山の斜面にぎっしりと古い墓石が並べられている。その数、およそ四千。

 吉盛氏からは、家康の側室お万の方や旗本越智家、石丸家の墓石があるのではないかという示唆をいただいた。いくつか大名墓はあったものの持ち主の特定はできず。ほかには福岡県士族や鹿児島県士族の墓を見つけることができた。これは明治以降のものである。

 

堀伊豆守利庸墓

 

 堀利庸(1699~1767)は、幕末に活躍した堀利煕の父利堅の祖父にあたる。つまり利煕は曽孫ということになる。

 

 ありがた山は、戦前都内にあった寺院の無縁墓が「日徳海」という団体によって移設されたものである。吉盛氏によれば、その中には家康の側室お万の方の墓があった無量院もふくまれているらしく、相当数の大名家の墓も存在しているが、半ば雑草に埋もれ、半ば墓石の文字も摩耗が進み、判読は極めて厳しい状態である。しかも宅地開発がすぐ近くまで迫っており、そう遠くない将来、ありがた山も消滅してしまう運命なのかもしれない。

 

コメント (9)
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