史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

御茶ノ水 Ⅷ

2021年03月13日 | 東京都

(御茶ノ水ソラシティ)

 

岩崎彌之助邸跡

蜀山人終焉の地

 

 JR御茶ノ水駅近くの御茶ノ水ソラシティは、岩崎彌之助邸跡である(千代田区神田駿河台4‐6‐1)。

 岩崎彌之助は、明治七年(1874)、後藤象二郎の長女早苗との結婚を機に、この場所に洋館を建てて居住した。明治十八年(1885)に三菱第二代社長に就任し、三菱社を設立して本社を当地に置いた。彌之助は、鉱業、造船業を中心に銀行、保険、倉庫業にも進出し、警衛の多角化を進めた。また、丸の内や三崎町の官有地を買い取り、それぞれにオフィス街や繁華街を計画した。同時に文化・芸術を好み、収集した図書を母体とした静嘉堂文庫をこの地で設立し、東洋固有の文化財の収集にも力を注いだ。

 この場所は、文化九年(1812)から文政六年(1823)まで、狂歌や洒落本で有名な大田蜀山人が過ごしたところでもある。

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飯田橋 Ⅱ

2021年03月13日 | 東京都

(同人社跡)

 

同人社跡

 

 文京区水道1‐2‐8のマンション「フォリアージュ」の前に同人社跡を記した文京区教育委員会の建てた説明板が建てられている。

 同人社は、明治六年(1873)に中村正直(敬宇)が自宅邸内に開いた私塾である。この洋学塾は、福沢諭吉の慶応義塾、近藤真琴の攻玉社と並んで江戸の三大私塾と称され、全国から多くの人材が集まった。

 中村正直は、昌平坂学問所に学んだ後、学問所教授方となり、イギリスに渡って明治元年(1868)に帰国した。スマイルズの「自助論」を訳し、「西国立志編」を著わして青年層に多大な影響を与えた。明治五年(1872)、大蔵省に入り、明治六年(1873)には同人社を設立するとともに明六社にも参加し、啓蒙活動に力を尽くした。その後も東京女子師範学校長、東大教授、元老院議官、貴族院議員などを歴任した。教えを受けた人は多く、岡倉天心、嘉納治五郎、井上哲次郎等各分野にわたる。「江戸川の聖人」とも呼ばれた。

 

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新宿 Ⅵ

2021年03月13日 | 東京都

(四谷区民センター)

 

水道碑記

 

 四谷区民センターの前に高さ四メートル六十センチという巨大な水道碑記(すいどうのいしぶみのき)碑が建てられている。篆字は徳川家達、撰文は薩摩出身の肝付兼武。現地は玉川上水の水番所跡であり、玉川上水の開削の由来を記したものである(新宿区内藤町87)。碑には明治十八年(1885)と刻まれているが、発起人である西座真治が建碑途中で死亡したため実際に完成したのは明治二十八年(1895)となった。すぐ近くには四谷大木戸跡碑も建てられている。

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