(御茶ノ水ソラシティ)
岩崎彌之助邸跡
蜀山人終焉の地
JR御茶ノ水駅近くの御茶ノ水ソラシティは、岩崎彌之助邸跡である(千代田区神田駿河台4‐6‐1)。
岩崎彌之助は、明治七年(1874)、後藤象二郎の長女早苗との結婚を機に、この場所に洋館を建てて居住した。明治十八年(1885)に三菱第二代社長に就任し、三菱社を設立して本社を当地に置いた。彌之助は、鉱業、造船業を中心に銀行、保険、倉庫業にも進出し、警衛の多角化を進めた。また、丸の内や三崎町の官有地を買い取り、それぞれにオフィス街や繁華街を計画した。同時に文化・芸術を好み、収集した図書を母体とした静嘉堂文庫をこの地で設立し、東洋固有の文化財の収集にも力を注いだ。
この場所は、文化九年(1812)から文政六年(1823)まで、狂歌や洒落本で有名な大田蜀山人が過ごしたところでもある。