本書は、「企業トップが学ぶリベラルアーツ」と銘打ったシリーズ本の中の一冊で、明治維新から百五十年の歴史を五箇条の誓文を切り口として通覧しようという試みである。明治維新百五十年目となった平成三十年(2018)年に発刊されたもので、著者片山杜秀氏の独自の視点が光る。
「はじめに」で中谷巌氏が「「ビジネスパーソンにとって近代史はブラックボックスになっており、現在の諸問題を歴史的センスで捉える視点が著しく欠けている」というのはまさにご指摘のとおりで、私自身も思い当たるところがある。
筆者が「明治百五十年を貫いて、自由と不自由、戦争と平和を生み出した、ひとつの種」として位置付けたのが、五箇条の誓文である。
ここで五箇条の誓文を繰り返すことはしないが、筆者は「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と宣言された第一条を「民主主義」、「盛んに経綸を行うべし」という第二条を「経済発展」、第三条を「自由主義」、「天地の公道」を謳う第四条を「天皇中心宣言」、第五条は「学問の推奨」と「和魂洋才」と焼き直して解釈している。
もちろん戦前の歴史を振り返ると、五箇条がそれぞれ興隆を繰り返し、前面に現れることもあれば、遠く後景へ追いやられている時代もある。五箇条の誓文を、近代史を分かり易く解釈するためのツールとするユニークな試みは成功しているといえよう。
維新直後は藩閥独占時代が続いた。明治の最初の十年は、それに抵抗する内乱の時代であったが、西南戦争を最後に内乱は終息する。継いで盛んになったのが自由民権運動であった。自由民権運動も時に流血を伴う激烈なものであったが、その過程で大日本帝国憲法が生まれ国会が開設された。
それでも薩長藩閥による政治は存続していた。藩閥政治が終焉し、我が国に本格的な政党政治が誕生したのは、明治からちょうど五十年を経た大正七年(1918)の原敬内閣の成立まで待たねばならない。時まさに大正デモクラシーの時代であった。
明治以降の歴史を民主化の歴史ととらえれば、至極単純に大正デモクラシーは一つのゴールだったように受けとめられる。大正時代は日露戦争で勝利した我が国にとって、束の間の「明るい時代」のような印象があるが、筆者は別の考え方を提示している。
第一次大戦の戦勝国(英・仏・米)はいずれも民主主義国であった。独・墺(オーストリア=ハンガリー二重帝国)・オスマン帝国はいずれも皇帝支配の国であり、専制主義的統治をしていた国であった。ロシアに至っては、ロシア革命がおこって途中で戦争を継続できなくなった。
なぜこういう結果になったのか。デモクラシーの国では、国民が選んだ総理大臣、首相、大統領が参戦を決意する。トップの決断は、国民の総意ということになる。戦争というものは、国民に大変な負担を強いるものである。多くの戦死者が出て、食糧は不足する。それでも民主的に選ばれた政権が戦争を継続している限り、結局自分たちが決めたことだからやり続けなくてはならない。デモクラシーの方が総力戦体制には適しているというのが筆者の結論である。
このことを早くから見抜いていたのが、徳富蘇峰であった。蘇峰は、日本を一君万民型のデモクラシー国家に改造すべしと訴えた。蘇峰の念願は、普通選挙法(大正十四年(1925))という形で実現する。
大正デモクラシーがまるごとひっくり返ったのが昭和初期である。筆者は「明治維新に次ぐ、日本近代の第二の節目」と位置付けている。二大政党制も自由経済も世界恐慌によって機能不全に陥る。政党政治に代わって、天皇制社会主義という独特な仕組みが出現し、国家社会主義者や農本主義に影響を受けたテロやクーデターが頻発する。政党の要人が次々に暗殺されたのもこの時期である。濱口雄幸、若槻礼次郎、犬養毅、斎藤實、岡田啓介という五代の首相のうち、三人が暗殺され、二人は危うく殺されかけた。暗黒の時代の幕開けである。
日本は、グローバル経済からブロック経済へ、自由経済から統制経済へと舵を切った。その流れの中で満州事変、日中戦争が起こり、アジア主義が台頭するようになった。
大日本帝国憲法が作ったシステムは、平時においてはタテ割り機構が分散し、その結果、権力の集中を防ぎ、乱暴なことをさせず、物事を慎重に進めることもできた。
しかし、一旦非常時となると、国家の意思統一ができない、部局を越えて議論することができない、統帥権が独立しているため軍隊の外から誰も命令することができない、その一方で天皇自身は常に免責される(つまり誰も責任ととらない)という恐るべきシステムであった。昭和二十年(1945)八月、明治憲法が禁じ手としてきた「天皇の聖断」により戦争に幕が下ろされ、その時が大日本帝国の終焉となった。
悲劇的終結から七十五年が経った。大日本帝国の終焉は、決して別の国の昔話ではなく、現代の我々の生活や政治とも連続している。グローバル化の波に飲み込まれようとしている今、二大政党制も崩壊し、民主主義が方向を失った姿は、昭和初期と重なるものがある。今の我々にできることは、せめて昭和の過ちを繰り返さないことである。
そのようなことを心配せずとも、現在の我が国の憲法下では、軍が暴走するようなことはあり得ないし、我が国が紛争の解決のために戦力を行使することなど考えられない、というご意見ご指摘はそのとおりかもしれない。
しかし、民主主義を過信し過ぎてはいけない。民主主義が常に正しい選択をするとは限らないのである。どこかの国のように、人権を侵し自由を制限する独裁的国家を目指すべきとは決して思わないが、民主主義の危うさと限界も感じざるを得ない。