(永願寺前)
門川町の永願寺の門前、日豊本線沿いに辺見十郎太奮戦の地と記された碑が建てられていたが、いつしかその木柱は朽ちて折れてしまい、それを顧みる人もおらず、その場に放置されている。
辺見十郎太奮戦の地
薩軍は八月九日、南方の耳川を破られ、門川まで退却した。官軍は十二日、隊を分けて進軍した。薩軍は五十鈴川周辺に防塁を構えて応戦したが、持ちこたえられず官軍の渡河を許してしまった。この周辺の陣地に桐野利秋、村田新八など薩軍幹部が直接指揮を執り、劣勢挽回に努めたが、ここでも薩軍は耐えきれず敗走した。辺見十郎太らは、敗走する薩軍を叱咤激励し、鳴子橋を渡ってくる官軍に白刃を持って斬り込んだ。ここにあった碑はその時の辺見の奮戦を伝えるものである。
この日官軍は、薩軍の猛烈な抵抗のため門川を突破することができず、翌十三日も進展はなく、十四日になってようやく薩兵を追い払うことが出来た。
(門川幼稚園)
五十鈴川の河口近く、尾末神社や門川幼稚園のある辺りにあった赤沢宅に、八月十二日、薩軍が本陣を置いたとされる。
門川幼稚園
薩軍本陣跡(赤澤宅)
西南戦争戦跡地
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