(五料の茶屋本陣)
五料の茶屋本陣跡
五料の茶屋本陣は江戸時代の名主屋敷であると同時に茶屋本陣を兼ねていた。茶屋本陣とは、中山道を参勤交代などで行き来する大名や公家などの休憩所として置かれたものである。
「お西」と呼ばれる中島家は、十六世紀末から代々名主役を務め、天保七年(1836)から明治五年(1872)までは「お東」と一年交代で名主を務めていた。
建物は「お東」と同年(文化三年(1806))に建てられたもので、間口十三間、奥行七間の切妻造りで、両家とも母屋の規模や平面はほぼ同じ造りとなっている。
五料の茶屋本陣 お西
上段の間
上段の間は、明治十一年(1878)の明治天皇北陸東海御巡幸に際し、休憩施設として利用されることが決まり、ほぼ全ての柱や梁を取り換え、天井裏をふさぐなどの改造が行われている。
五料の茶屋本陣 お東
「お東」も江戸時代の名主屋敷で、代々名主役を務めた中島家の住宅として使用されていた。文化三年(1806)の建築以来、大きな改造もなく、書院造りの上段の間をはじめ、往時のおもかげをよく伝えている。
庭園と妙義山
南側には妙義山を借景とした庭園がある。大変気持ちの良い空間となっている。
明治天皇五料御小休所
ちょうど「お西」の前に明治天皇五料御小休所碑があるが、すぐ近くをJR信越本線が走っており、正面を見ることができない。この写真は、線路を渡って反対側から撮影したものである。
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