ロシア、北欧を周遊した岩倉使節団一行は、明治六年(1873)五月三日、フランクフルト(漢字表記は仏蘭克弗)に到着した。五日の朝十時半にはミュンヘンに向けて出立しており、フランクフルト滞在時間はわずか数日であった。
以下、「米欧回覧実記」の記述
――― 仏蘭克弗「オンセ」米因府トハ、普国(プロシャ)ノ仏蘭克弗「オンセ・オデル」ニ分別セル名称ナリ、北緯五十度十分東経八度三十七分ニ位ス、人口九万〇九百三十二人ノ都会ナリ、元ハ独立都府ニテ、共和政治ヲ以テ、聯邦ニ加わハリ、且独逸聯邦ノ政府モ、此府ニ設ケタリシニ、一千八百六十六年ノ戦ヒニ、普国ニ滅サレ、今ハ其州県ニ隷ス、此政府ハ米因(マイン)河ノ下流ニヨリ、日耳曼(ゲルマン)ノ中心ニ位シ、貿易ノ要衝ナレハ、豪富ノ商賈(しょうこ)多ク、殊ニ猶太ノ族多ク、蓄財最モ富ムト云、其市街ハ、久シキ名都ナレハ、古時ノ規制ニヨリテ、街路狭隘ニテ、不規則ナリ、古キ屋造多クシテ、皎美(こうび)ナラサレトモ、中間ニ大路ヲ通シ、四囲ニハ星形状ノ土壁ヲ匝(めぐら)シ、狭長形ナル花園ヲ処処ニ修メ大路ハ塢上(おじょう)ヲユク、米因ノ河岸ニハ、向岸ノ平原広濶ニテ、遠巒(えんらん)ヲ望ミ、流水清ク、中ニ長橋ヲ架ス、風景美ナリ、
短い滞在時間であったが、岩倉使節団は「ハリマ・ガーデン」(Palmengartenのことか?)や禽獣園(動物園)、大聖堂、紙幣工場を見学している。
フランクフルト国際空港
フランクフルト市街:マイン(Main)川が東西に走る。
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