史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

大宮 末慶寺

2009年04月11日 | 京都府
(末慶寺)
 四条大宮の交差点から南へ七~八分歩くと、大宮松原の交差点に行き着く。交差点の西側一帯は、寺院が密集する寺町である。京都にはこのような寺町が随所に見られる。
 その一角に末慶寺という瀟洒な寺がある。本堂の裏に、自然石に「烈女畠山勇子之墓」と刻んだ目立つ墓石がある。


末慶寺


烈女畠山勇子之墓

 明治二十四年(1891)、ロシアの皇太子ニコライが津田三蔵に襲われる大津事件が発生した。日本中が騒然とする中、畠山勇子は京都府庁前にてロシア皇太子に謝罪する遺書を残して自殺を図った。手には剃刀がにぎられ、それで自ら咽喉を切ったと思われる。傷は長さ八センチにおよび気管に達し、更に腹部にも六センチの切り傷があった。すぐさま医者に運ばれ手当てを受けたが、血の噴出は止まず、やがて絶命した。二十七歳であった。畠山勇子のショッキングな行為は、国を想う女性の死として大々的に報じられたという。(新潮文庫 吉村昭著「ニコライ遭難」P203-206に詳しい)

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