伊豆諸島の旅第五弾は御蔵島である。
御蔵島は東京から南に約二百キロメートル、三宅島から二十キロメートル足らず南の海に浮かぶ周囲十六キロメートルという孤島である。この島には毎日一便、東京の竹芝桟橋を夜中に出て、八丈島に向かう東海汽船の橘丸が寄港している。しかし、風浪が高いと接岸ができず、上陸できないこともある。実際、台風が接近した今年のお盆前後には何日も観光客が島内に足止めされることになった。
週間天気予報をみて、この週末であれば大丈夫と踏んで御蔵島訪問を決めた。
御蔵島における史跡訪問の目玉は、祖霊社という神社に保存されている栗本鋤雲の胸像原型である。
都の教育庁三宅支所に問い合わせたところ、栗本鋤雲胸像原型は文化財などに指定されているものではないので、教育委員会に閲覧許可を得る必要はない。御蔵島観光案内所を通して神社管理者に連絡してほしいと返事があった。そこで一週間前に御蔵島観光案内所にコンタクトした。観光案内所によれば、栗本鋤雲像は神主さんの都合さえ良ければ問題はないが、宿の予約なしに御蔵島に来るのは困る。野宿はご遠慮いただいている。とはいえ、観光シーズンなので今から宿の手配をするのは現実的ではない。結論としては、前日に観光案内所に連絡して、翌日の船が接岸できそうかどうか、確認してくださいという。
金曜日、渡航できるかどうか判然としないまま大きな荷物を背負って会社に行き、昼休みに観光案内所に電話をすることになった。「ま、大丈夫でしょう」という返事だったので、晴れて御蔵島に行けることになった。あまり御蔵島に日帰りで行こうという人はいないと思うが、天候次第では行けなくなってしまうというリスクを十分承知しておく必要がある。
御蔵島
御蔵島は、お椀を伏せたような形をしている。伊豆大島や三宅島同様、この島も火山であったが、五千年以上も噴火の記録がないという。そのため内陸部は深い森に覆われている。
この島の特徴は、水が豊富に湧き出ていること、それに海岸部が絶壁となっていることである。島を流れる川は、大きな滝となって海に注ぎ込んでいる。船の甲板からも大きな滝が確認できる。
橘丸
行きの橘丸は、ダイビング客や釣り人で満席であった。御蔵島は特にイルカ・ウォッチングで有名であるが、史跡訪問を目的に、しかも日帰りで御蔵島に渡ろうという変人は、一人だけだったかもしれない。
橘丸に乗るのも、もう五回目なので慣れたものである。いつものことながら、酔い止めの薬を服用した。船内で貸し出される毛布は二枚借りた方が良い。船内にレストランもあるが、ちょっと高い(キツネうどんが六百円)。少なくとも翌日の朝食は東京で仕入れておいた方が良いだろう。
御蔵島には朝の六時頃に到着する。予報では曇りときどき晴だったのだが、小雨がぱらつく曇天であった。民宿から迎えの車がきているが、日帰り客は歩いて街に向かうしかない。港から急な坂を登ると、「イルカの見える丘」と名付けられた展望台を通る。実際にはなかなかイルカを見ることはできないが、対岸の三宅島を臨むことができる。
玉石の海岸
「イルカの見える丘」の真下に玉石の海岸がある。玉石は長年の波による侵食作用によりラグビーボールのように丸くなった石である。この海岸には玉石が敷き詰められている。砂浜では砂が波に巻き上げられて海が濁ってしまうが、ここでは海岸であっても透明度が高い。
御蔵島には人が住める平地が少なく、急な斜面に牡蠣殻が張り付くように家屋が建てられている。御蔵島村のホームページによると、現在、戸数は百七十五戸、人口は三百二十一名(平成三十年八月現在)となっている。安政年間の人口調査では二百六十名だったので、この百五十年でさほど人口は増えていないのである。この狭い空間に、役所、学校、幼稚園、郵便局、診療所、墓地など生活に必要なものが一通りそろっている。ガソリンスタンドも一つだけあるが、ガソリンがリットル当たり二百十七円と内地と比べて驚くほど高価である。因みに、この町に信号機とコンビニはない。同じ東京都とはいえ内地とは別世界である。
唯一のガソリンスタンド
(稲根神社)
観光案内所が開く八時半まで時間があったので、それまで町の中を歩いてみることにした。最初の訪問地は、稲根(いなね)神社である。
稲根神社
参道途中の鳥居の脇にヴァイキング号の記念碑がある。文久二年(1862)四月、御蔵島沖で座礁大破した。ヴァイキング号には乗組員二十三人のほか、中国人鉱夫四百六十名を乗せ、香港を出てサンフランシスコに向かう途上であった。島民の尽力により全員が救助され、当時二百五十名という島民は、自身の衣食住を切り詰めて彼らを厚遇したと伝えられている。
ここにある石碑は、昭和四十一年(1966)、ヴァイキング号の所属港地であるニューベットフォード市民および遭難者の子孫により建てられたものである。
ヴァイキング号記念碑
ヴァイキング号のギャプスタンを台座に使用した燈籠
記念碑の前にある金属製の燈籠は、ヴァイキング号のキャプスタン(巻き上げ機)を台座に使用したものである。記念碑の横には引き揚げられたヴァイキング号の錨が展示されている。下に敷き詰められている花崗岩は、ヴァイキング号のバラストとして積まれていた石なのだそうである。
ヴァイキング号の錨
高橋基生先生顕彰碑
ヴァイキング号記念碑の傍らにこの事件を世間に紹介した東京大学理学博士高橋基生を顕彰する碑が置かれている。高橋先生がこの島を訪れたのは植物調査が目的であったが、稲根神社の燈籠からヴァイキング号事件の史実を解明するとともに米国司法長官や駐日大使らと共同してヴァイキング号記念碑の建立に尽力した。
境内の三宝神社は、御蔵島の恩人奥山交竹院、桂川甫竹、加藤蔵人を祀るもので、祠の中には三人の小さな銅像がある。毎年、加藤蔵人の命日である十一月十日に三宝神社祭りが行われている。
三宝神社
三宝神社に祀られている三人の銅像
石製の扉を開けると、奥山交竹院、桂川甫竹、加藤蔵人の三人の小さな銅像が現れる。石製の扉の裏側には、ゴキブリとカメムシが合体したような(内地ではちょっと見ないような)虫が密生していた(サツマゴキブリか?)。