映画「フェラーリ」を映画館で観てきました。
映画「フェラーリ」はマイケルマン監督、アダムドライバー主演でフェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの1957年の動静に絞って描いた作品である。個人的にはマイケルマン監督もアダムドライバーも相性がよく、しかもペネロペクルスが出演することで楽しみにしていた作品である。2020年初頭の傑作「フォードvsフェラーリ」ではフォードの目線でライバル関係を描いていて、エンツォフェラーリは謎めいた気難しい存在だった。
1960年代に入ると、フェラーリが連戦連勝でフォードが挑戦する立場となる。その前の1957年はむしろエンツォフェラーリにとっては公私ともども試練の年であった。フェラーリ社の長い歴史の中でも重要な年に絞って、創業者フェラーリの動きを追っていく。
1947年にエンツォフェラーリ(アダムドライバー)は妻ラウラ(ペネロペ・クルス)との共同出資でフェラーリ社を設立した。前年1956年に難病の息子ディーノを24歳で亡くし、会社の金庫番である妻ラウラとの仲は冷えきっている。フェラーリには大戦中に知り合った愛人リナ(シャイリーン・ウッドリー)がいて、2人には息子ピエロがいた。ピエロがフェラーリ姓を名乗れるかの問題があった。
仕事上では資金ショートの局面に陥り、アメリカのフォード社からの出資話や同じイタリアのフィアットがそれに対抗してカネを出す話もある。カネの動きから愛人と息子の存在を知ったラウラとの関係が最悪となる時に、エンツォはイタリアを縦断するロードレース「ミッレミリア」に参戦する。エンツォは自薦他薦のレーサーから5人を選んでレースに臨む。
エンツォフェラーリの実像に迫るマイケルマンによる快作だ。
感動するといった映画ではない。エンツォフェラーリの暗部に着目する内容で、倦怠期の妻との関係、隠し子の存在、レースに対する冷徹な態度、予期せぬ事故など決して明るい映画とは言えない。
それでも、毎回ゴージャスな姿を見せるペネロペクルスが髪を振り乱して嫉妬するいつもと違う一面、テストコースでの走りをスピード感をもってとらえるカメラ、イタリア観光案内のように歴史ある街並みをひたすら走るレースの迫力など見どころは満載なので飽きさせない。さすがに男性客がいつもより目立ったが、女性が観ても楽しめる作品と感じる。
恥ずかしながら「ミッレミリア」のレースの存在は初めて知った。夜に出発して、なんと1600キロも一般道を走り抜くのだ。当然、1957年であれば現在よりは道は整備されていないであろう。そんな中で全速力で走り抜く。夜の描写が得意中の得意のマイケルマンが映すイタリアのレースの場面がすばらしく、レースの全容を俯瞰したカメラとレーサーに接近したカメラを使い分けて躍動感をだす。レーサーの人間模様にも迫る。
歴史ある建物がそのまま残っているイタリアの市内で、観客のエキストラが大挙して応援している中、レーシングカーを細い道で走らせる。この閉塞感も大画面で見ると迫力がある。こういうシーンも日本映画では無理だなあ。お見事である。
最近多い3時間近い放映時間にまとめてエンツォフェラーリの人生をもう少し長く捉えるようにすると中途半端になったかもしれない。当然、エンツォフェラーリを演じたアダムドライバーが「パターソン」などのいかにもアメリカ人ぽい風貌でなくイタリアの大物ぽい雰囲気になりきる。レーサーの起用にはきびしく、「ブレーキを忘れろ」なと手厳しいエンツォの実像がよくわかる。役者としての大きな成長を感じる。
マイケルマン監督作品では個人的にはトムクルーズの「コラテラル」がいちばん好きだ。「パブリックエネミーズ」も自分のベスト100に入る。今回もレースシーンを丹念に描いて、家庭内の複雑な関係も巧みに映す。おおらかな顔を見せないペネロペクルスの使い方も上手い。さすがである。
映画「フェラーリ」はマイケルマン監督、アダムドライバー主演でフェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの1957年の動静に絞って描いた作品である。個人的にはマイケルマン監督もアダムドライバーも相性がよく、しかもペネロペクルスが出演することで楽しみにしていた作品である。2020年初頭の傑作「フォードvsフェラーリ」ではフォードの目線でライバル関係を描いていて、エンツォフェラーリは謎めいた気難しい存在だった。
1960年代に入ると、フェラーリが連戦連勝でフォードが挑戦する立場となる。その前の1957年はむしろエンツォフェラーリにとっては公私ともども試練の年であった。フェラーリ社の長い歴史の中でも重要な年に絞って、創業者フェラーリの動きを追っていく。
1947年にエンツォフェラーリ(アダムドライバー)は妻ラウラ(ペネロペ・クルス)との共同出資でフェラーリ社を設立した。前年1956年に難病の息子ディーノを24歳で亡くし、会社の金庫番である妻ラウラとの仲は冷えきっている。フェラーリには大戦中に知り合った愛人リナ(シャイリーン・ウッドリー)がいて、2人には息子ピエロがいた。ピエロがフェラーリ姓を名乗れるかの問題があった。
仕事上では資金ショートの局面に陥り、アメリカのフォード社からの出資話や同じイタリアのフィアットがそれに対抗してカネを出す話もある。カネの動きから愛人と息子の存在を知ったラウラとの関係が最悪となる時に、エンツォはイタリアを縦断するロードレース「ミッレミリア」に参戦する。エンツォは自薦他薦のレーサーから5人を選んでレースに臨む。
エンツォフェラーリの実像に迫るマイケルマンによる快作だ。
感動するといった映画ではない。エンツォフェラーリの暗部に着目する内容で、倦怠期の妻との関係、隠し子の存在、レースに対する冷徹な態度、予期せぬ事故など決して明るい映画とは言えない。
それでも、毎回ゴージャスな姿を見せるペネロペクルスが髪を振り乱して嫉妬するいつもと違う一面、テストコースでの走りをスピード感をもってとらえるカメラ、イタリア観光案内のように歴史ある街並みをひたすら走るレースの迫力など見どころは満載なので飽きさせない。さすがに男性客がいつもより目立ったが、女性が観ても楽しめる作品と感じる。
恥ずかしながら「ミッレミリア」のレースの存在は初めて知った。夜に出発して、なんと1600キロも一般道を走り抜くのだ。当然、1957年であれば現在よりは道は整備されていないであろう。そんな中で全速力で走り抜く。夜の描写が得意中の得意のマイケルマンが映すイタリアのレースの場面がすばらしく、レースの全容を俯瞰したカメラとレーサーに接近したカメラを使い分けて躍動感をだす。レーサーの人間模様にも迫る。
歴史ある建物がそのまま残っているイタリアの市内で、観客のエキストラが大挙して応援している中、レーシングカーを細い道で走らせる。この閉塞感も大画面で見ると迫力がある。こういうシーンも日本映画では無理だなあ。お見事である。
最近多い3時間近い放映時間にまとめてエンツォフェラーリの人生をもう少し長く捉えるようにすると中途半端になったかもしれない。当然、エンツォフェラーリを演じたアダムドライバーが「パターソン」などのいかにもアメリカ人ぽい風貌でなくイタリアの大物ぽい雰囲気になりきる。レーサーの起用にはきびしく、「ブレーキを忘れろ」なと手厳しいエンツォの実像がよくわかる。役者としての大きな成長を感じる。
マイケルマン監督作品では個人的にはトムクルーズの「コラテラル」がいちばん好きだ。「パブリックエネミーズ」も自分のベスト100に入る。今回もレースシーンを丹念に描いて、家庭内の複雑な関係も巧みに映す。おおらかな顔を見せないペネロペクルスの使い方も上手い。さすがである。