映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ハングリーラビット」 ニコラスケイジ

2013-04-29 13:12:52 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「ハングリーラビット」は2012年公開ニコラスケイジ主演のサスペンス

代理殺人がテーマだ。代理殺人を遂行した男に、次はお前がやれとばかりに追い込まれる。そして逃走する。ヒッチコックの「見知らぬ乗客」と「逃走迷路」をプラスした内容に現代的なアクション映画の色彩を加える。ミステリーの定石どおりに徹底的に主人公を追い詰める展開で、ラストに向かっては二転三転し、ある程度は読める部分もあるけど予想したよりも楽しめる映画に仕上がっている。

高校教師のウィル(ニコラス・ケイジ)は音楽家の妻ローラ(ジャニュアリー・ジョーンズ)と2人で暮らしていた。ある日、ローラが帰宅途中に自分の車で暴行されるという事件が起こる。

ローラが運ばれた病院で、ウィルは見知らぬ男(ガイ・ピアース)から、ウィルの代わりに犯人を殺し復讐することを提案される。お金はいらない。簡単な依頼を後でするかもしれないけどと言われる。やり場のない怒りでいっぱいだったウィルは最初は胡散臭いと思ったが依頼する。犯人はいとも簡単に始末される。そしてウィルの元に死人の顔写真と妻の暴行時に奪われたペンダントが戻る。

それから半年後、その代償として今度はウィル自身が殺人をするよう迫られる。ウィルは拒否するものの再三の脅迫に受け入れる。女性虐待の常習犯と言われる男が決まった時間に現れるという幹線道路近くの歩道橋で男を待つと現れる。逆に男に襲われるが、男は歩道橋から転落して死亡。ウィルはあわててその場を去るが、殺人犯として逮捕されてしまうのであるが。。。

全く身寄りのない人が起こす無差別な凶悪犯罪がある。その犯罪をおかした人たちが正当に刑を受けているかというとそうでもない。日本のテレビでも、犯罪を犯した人間の刑が甘いと訴える遺族の叫びが報道されることが多い。DNA鑑定で犯人と一致させようとしても時間もかかる。そういう犯人殺しを受けますという集団がこの代理殺人を引き受ける人たちである。

遺族の立場になれば、そういう思いになるのは当然だろう。ある凶悪な仕打ちを受け死んだ息子の復讐に、地位のある大物がヤクザを使って犯人を残虐に殺したなんて話は聞いたことがある。


でもその代わりに殺人をやってと言われても困っちゃうよね。
依頼を受けて困惑する主人公をニコラスケイジがうまく演じる。しかも、波状攻撃でニコラスケイジを窮地に陥らせる。スリラー映画の色彩である。「主人公に残酷な小説ほど面白い」とはよく言われることだ。逮捕された後、運よく集団の一味の合言葉「ハングリーラビット」という言葉を聞いて、警官に釈放されるが、そうは簡単に逃げられない。警察、集団両方から追われる。しかも、自分の妻にも組織の追手がくる。自分の身内にもあやしい人物がいる。最悪の展開だ。

このストーリー展開は実にうまい。しかもスピーディーだ。
悪人と善人が気がつくと入れ替わるので、どっちがどっちだかわからなくなる。
ヒネリがきいているので、最後まで楽しく見れた。掘り出し物といった印象だ。
コメント (2)
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「續 姿三四郎」  黒澤明

2013-04-29 10:53:21 | 映画(日本 黒澤明)
映画「續姿三四郎」は昭和20年終戦直前に公開された黒澤作品だ。
4月29日恒例の全日本柔道選手権の前に見たくなった。

昭和18年公開「姿三四郎」の評判はよく、続編をつくることになった。
とは言え、公開は昭和20年5月というと、東京が空襲でめちゃくちゃになった大変な時期であった。
同じようなスタッフで完成した続編も興味深い。

まずは明治20年の横浜を映す。
米軍の水兵を乗せた人力車が坂を転げるように下って行く。あまりの乱暴なさばきに水兵が怒って、人力車の車夫を殴る。それを見ていた男がいた。二年間の旅を終えた姿三四郎(藤田進)である。暴力をやめろと言っても水兵は言うことを聞かない。仕方なく相手した水兵を海に投げ飛ばしてしまう。

噂を聞きつけ、アメリカ領事館に勤めている役人が姿三四郎の宿を訪れる。アメリカで流行の殴りあうスパークという試合がある。それでアメリカの選手と対決してもらえないだろうかと。姿は見世物試合はしないよと断るが、試合場に行くと、アメリカ人の相手は元柔術の心得があった男であった。以前柔術の達人が柔道の姿三四郎にコテンパンにやられて、柔術の地位が下がり、メシを食うため戦わねばならないのであった。その柔術の男はむちゃくちゃに殴られて、見るも無残だ。悩む三四郎だ。

そのあと修道館に向かい師匠矢野正五郎(大河内伝次郎)のもとを訪れる。そこで修道館四天王が復活となった時であった。世話になった和尚にもあいさつしたが、自分が柔術を懲らしめたばかりに、境遇が悪くなった人たちを思う心の迷いを告白したのであった。

そののち修道館に異様な風貌をした2人の男がくる。以前姿三四郎が対決した檜垣源之介(月形竜之介)の2人の弟鉄心(月形竜之介一人二役)、源三郎(河野秋武)であった。2人は唐手の達人であった。そして三四郎に対決を申し出る。その場はおさまるが、彼らが道場の若い衆に手を出すようになるが。。。


よく見るとアラが目立つ。何でこういう展開になるの?という場面も多い。
でも戦時中につくられた映画だ。天下の黒澤作品にケチをつけても仕方ないだろう。
戦争の相手アメリカ人を屈服させる場面がいくつか出てくるのは、今の北朝鮮が日本人を悪者にした映画をつくるのとは大して変わらない。姿三四郎が次から次へとアメリカ人を屈服させる。さぞかし、戦争末期に初見の日本人にとっては痛快だったろう。戦争末期によくもこれだけの外国人を映画撮影に呼べたなあ?というのは映画を見ていて素朴な疑問だ。ドイツ人かロシア人なのかなあ?

柔術対アメリカの拳闘、同じく対唐手と現在の異種格闘技の前身のような戦いである。柔道の殿堂修道館(講道館をモデル)では他流試合は禁止で破門を前提とした戦いである。「何で破門までして戦うの?」という疑問は残るが、難しいことは考えないでいいだろう。アメリカのボクシング選手のパンチをかわした後、必殺技山嵐で投げたら、相手は一巻の終わり。普通こんなことないだろうとは思うがそこは日本人の強さを見せるためには仕方ない時代だ。


最後に姿三四郎は檜垣兄弟と「武州天狗峠」で戦う。雪の中戦うのだ。最初セットかなと見ていたが、どうやら本当に雪の中で戦っている。完全主義者と言われる黒澤明のことだから、あえて雪が強い日を選んでいるのかもしれない。降り続く雪の粒がちがう。リアリズムだ。双方の武術パフォーマンスには?という部分もあるが、吹雪の中で戦わせるところに凄味を感じる。
ヒクソングレイシーを思わせる藤田進の顔も武道家らしい面構えだし、月形竜之介の目つきもいかにも殺人者の凄味だ。月形は一人二役で、結核で苦しむ以前姿三四郎にやられた兄も演じる。ここでは彼が活躍する。月形竜之介と言えば、映画版水戸黄門である。あの優しいまなざしとのギャップはさすが役者だ。

いずれにせよ、「仁義なき戦い」の作者笠原和夫がいうように、前作とこの作品は今の日本の武闘物、スポーツ根性物のベースになっていることは間違いない。両方とも黒澤明の脚本だ。60年代から70年代のたくさん量産されたスポーツ根性物をみて、黒澤が苦笑いをしている様子が目に浮かぶ。

男を映させれば天下一品の黒澤ならではの初期の作品だ。
コメント (1)
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