映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「バベットの晩餐会」 

2013-10-14 15:53:11 | 映画(自分好みベスト100)
映画「バベットの晩餐会」は1987年のデンマーク映画である。日本では1989年の公開だ。
これぞ傑作という素晴らしい映画である。

1987年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞しており、雑誌の「グルメ映画」特集では常連である。何度も借りようとトライしたが、レンタルはないし、アマゾンの中古品も高い。たまに劇場でやっていてもスケジュールは合わない。その繰り返しだった。先日、ツタヤに行ったらこれが置いてあった。ビックリして借りたら確かにすばらしい作品だった。
やさしいムードで流れていくあとで、グルメ場面に突入する。
「おいしそう!」というよりハートフルなムードに心がいやされる。実に心温まる映画だ。 

19世紀半ばデンマーク・ユトランドの小さな漁村が舞台だ。
厳格なプロテスタント牧師(ポウエル・ケアン)の美しい娘、マーチーネ(ヴィーベケ・ハストルプ)とフィリパ(ハンネ・ステンスゴー)が3人で住んでいた。マーチーネには謹慎中の若い士官ローレンス(グドマール・ヴィーヴェソン)が、フィリッパには休暇中の著名なオペラ歌手アシール・パパン(ジャン・フィリップ・ラフォン)がそれぞれ求愛するが、二人は父の仕事を生涯手伝ってゆく決心をした。

時がたち1871年のある嵐の夜、父が亡くなった後も未婚のままでいたマーチーネ(ビアギッテ・フェザースピール)とフィリパ(ボディル・キェア)のもとにフランスの歌手パパンからの紹介状を持ったバベットという女性(ステファーヌ・オードラン)が訪ねてきた。彼女はパリ・コミューンで家族を失い、逃げるように亡命してきたのだ。無給でよいから働かせてほしいという申し出に、二人は家政婦としてバベットを家におくことにした。やがて彼女は一家になくてはならない一員となった。

それから14年の月日が流れ、父の信者たちも年老いてきたころ、姉妹は皆が慕っていた父の生誕百周年の晩餐を行うことを思いつく。そんな時バベットにフランスから手紙が来る。封書を開けると、1万フランの宝くじが当っている知らせだった。バベットは晩餐会でフランス料理を作らせてほしいと頼む。しかも、お金は全部出すという。姉妹はいったん断るが、それまで一度も無理な注文をしてこなかった彼女の初めての頼みを聞くことにした。準備のためにお暇をいただいた彼女が戻ってきたあと、料理の材料が続々と届いてくる。ウミガメや鳥など食材をみて姉妹は驚く。質素な生活を旨としてきた姉妹は天罰が下るのではと悪夢を見てしまう。晩餐会の夜、将軍となったローレンス(ヤール・キューレ)も席を連ね、バベットの料理が次々運ばれていくが。。。

3つの時代が語られる。バベットがデンマークに来たのが1871年と映画に出てくるので、晩餐会は14年後で1885年ということになる。その時2人の姉妹は60歳前後とするなら、最初の場面は1850年前後と推定すべきであろう。
デンマークはナポレオン戦争時も中立で末期に英国との戦争に巻き込まれるが、その後は安定した状態が続いていた。アンデルセンなんて超有名人も出ているのが、そのころだ。しかし、このロケに映るエリアは田舎町で浮世離れした生活が続いていたところであろう。デイヴィッドリーン監督作品の「ライアンの娘」のロケ地にイメージが似ている印象を受けた。

デンマークの平和と比較すると、フランスは大変な時期が続いていた。二月革命成立後にナポレオン3世が即位したあと、メキシコ、イタリアへの干渉、ロシアとの戦争やパリコミューンでの帝政終了など、世界史上に残る事件が続く。バベットも帝政終了と同時にデンマークに逃げてくる。旧友のオペラ歌手が自分が過ごした平和な地ということで紹介受けたのだ。その後は大きな事件が起きないままに14年たったのだと思う。そんな時宝くじが当たってしまう。晩餐会の料理を用意させてくれと、バベットが言い姉妹も喜ぶが、ウミガメなどの生きた食材が料理されるところを想像すると、ビビってしまうのである。そして姉妹は招待した人たちに、料理を食べている時にあえて「料理の話」をしないようにといってしまうのだ。せっかくの料理なのに。。。


(若干ネタばれ気味に今回は追っていく。)
そんな時昔出入りした軍人がぜひ出席したいと言ってくる。マーチーネにぞっこんだった彼はいまや将軍になっているのだ。フランス駐留の経験もある。彼も食事を一緒にする。彼は信者と裏話ができているわけでない。素直な反応をし始めるのだ。
食前酒はアモンティラード
ウミガメのスープが運ばれる。そのおいしさに将軍は驚く。「これは本物だ。」
そして、シャンパンを味わう。将軍曰く「ヴーヴクリコの1860年」だ。このブランドなら自分もわかる。
ブリニのデミトフ風にはキャビアが一杯だ。
おいしさに感嘆する将軍が何かをしゃべると、まったくトンチンカンな反応を信者たちがする。
このアンバランスが滑稽だ。
そしてメインが
「ウズラのパイ包み石棺風」だ。ワインはクロ・ヴージョ(熟成の赤ワイン)
将軍がウズラの頭を食べるのを見て、驚く姉妹と信者たち
将軍がのたまう。これはパリでも有名な「カフェ・アングレ」で出されたものだ。その店は有能な女性シェフがいたと。。。
肉を食べながら、ソースを味わうためにスプーンを使う将軍。食べ慣れない信者たちが一斉に真似する。このシーンに既視感がある。伊丹十三「タンポポ」のようで笑える。


あとは語らない。。。
でもこの映画、最後に向けての簡潔さがすばらしい。余分な言葉をしゃべらずに美しく仕上げる。
いかにもグルメ映画史上最高の傑作である。

バベットの晩餐会
グルメ映画の最高傑作


バベットの晩餐会 (ちくま文庫)
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映画「ザ・マスター」  ポールトーマスアンダーソン

2013-10-14 07:37:49 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「ザ・マスター」は2013年日本公開のアメリカ映画だ。

名匠ポールトーマスアンダーソン監督の新作。日本のみならず、キリスト教の国アメリカにも新興宗教は存在する。戦争終えたばかりの元軍人が本来の職業にうまくなじめないときに、一人の教祖に出会う。その教祖と主人公の触れ合いを描く。
戦争が終わった後に、精神が錯乱して一般社会となじめない軍人を描いた作品は多々ある。これもその一つだが、新興宗教に結びつけるところが興味深い。大きな波や意外性があるストーリーではない。それぞれの場面の映像コンテが非常に美しく、映画の格をあげている。

第二次世界大戦末期。海軍勤務のフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)は、ビーチで酒に溺れ憂さ晴らしをしていた。やがて日本の敗北宣言によって太平洋戦争は終結。だが戦時中に作り出した自前のカクテルにハマり、フレディはアルコール依存から抜け出せず、酒を片手にカリフォルニアを放浪しては滞留地で問題を起こす毎日だった。

ある日、彼はたまたま目についた婚礼パーティの準備をする船に密航、その船で結婚式を司る男と面会する。
その男、“マスター”ことランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、フレディのことを咎めるどころか、密航を許し歓迎するという。フレディはこれまで出会ったことのないタイプのキャラクターに興味を持ち、下船後もマスターのそばを離れず、マスターもまた行き場のないフレディを無条件に受け入れ、彼らの絆は急速に深まっていく。

マスターは“ザ・コーズ”という団体を率いて力をつけつつあった大物思想家だった。独自の哲学とメソッドによって、悩める人々の心を解放していくという治療を施していたのだ。
1950年代。社会は戦後好景気に沸いていたが、その一方では心的外傷に苦しむ帰還兵や神秘的な導きが欲されていた時代であり、“ザ・コーズ”とマスターの支持者は急増していった。フレディにもカウンセリングが繰り返され、自制のきかなかった感情が少しずつコントロールできるようになっていく。マスターはフレディを後継者のように扱い、フレディもまたマスターを完全に信用していた。

そんな中、マスターの活動を批判する者も現れるが、彼の右腕となったフレディは、暴力によって口を封じていく。マスターは暴力での解決を望まなかったものの、結果的にはフレディの働きによって教団は守られていた。
だが酒癖が悪く暴力的なフレディの存在が“ザ・コーズ”に悪影響を与えると考えるマスターの妻ペギー(エイミー・アダムス)は、マスターにフレディの追放を示唆。

フレディにも断酒を迫るが、彼はそう簡単にはアルコール依存から抜けることができなかった。やがてフレディのカウンセリングやセッションもうまくいかなくなり、彼はそのたびに感情を爆発させ、周囲との均衡が保てなくなっていく……。(kine note引用)

新興宗教そのものが、本質的にはデタラメなものである。ただ、宗教に頼らないと精神の安定を取り戻せない人が多い。それだから、オカルトなものであっても意外に続いていくのだ。マインドコントロールで信者を狂わせる映像はここでは多くはない。逆にオカルトだと疑われてもおかしくないわけであるから、新興宗教の教祖を論破しようとする人が必ず出てくる。その時にヤクザの用心棒のように、厄介な出来事を暴力で解決しようとするのがホアキン・フェニックスだ。解決にあたる主人公の猛獣性が印象的。日本における新興宗教がらみのいくつかの事件を連想した。

ここではポールトーマスアンダーソンの映像づくりに関する天才ぶりを見せ付けてくれる。
映像の色合い、コンテいずれもなんて美しいのであろうと思わせる。格調が高い。
プロットというよりも映像そのものに魅かれる。
序盤戦、海辺のシーンでの美しさでうならせてくれるが、もっと凄いと思わせるのは荒野のバイクシーンだ。果てしなく続く、乾ききった荒野でフィリップ・シーモア・ホフマンとホアキン・フェニックスが猛スピードでバイクを走らせる。こんなロケ地はおそらく日本ではない。見ていていつバイクが転倒してしまうのか?とドキドキしながら見てしまう。何気ないようで重要な場面だ。


あとは牢獄におけるホアキン・フェニックスの暴れっぷり。牢屋の柵の中で、便器を蹴って蹴って蹴りまくる。これも印象に残る。


ポールトーマスアンダーソンというと、何よります「マグノリア」のカエル落下シーンだ。これには本当に驚いた。もしかして、驚きの度合いはたくさん見た映画の中でも5本の指に入る。そして、「ゼア・ウイル・ビーブラッド」における猛獣のようなダニエルデイルイスの演技だ。この映画見た後、あまりにも強烈なインパクトでブログ記事まとめようと思っても全然うまくいかない。そのうちに時間がたってしまった。いずれ書こうと思うが、それくらい鮮烈な印象を与えた。それと比べると、衝撃度は薄いが、さすがポールトーマスアンダーソンと思わせる作品だと思う。
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