後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

それにしても老人は暇です・・・それが楽しいのです。

2013年12月07日 | 写真

今日の午前中は調布市にある京王フローラル・ガーデンに行き、花々の写真を撮って来ました。家に帰ってアメリカのソーセージと玉ねぎをきざんで洋風チャーハンを作りました。美味です。

午後は小平市の運動公園の駐車場に車を停め、玉川上水沿いの遊歩道を立川方面に歩きました。往復5Kmの散歩でした。午後は家内が同行しました。

それにしても老人は暇です。そのゆったりした時の流れが幸福感を与えてくれるのです。暇が幸せとは若いとき想像もしませんでした。

3枚だけ上水沿いの遊歩道の写真をお送りいたします。

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初冬、今日の京王フローラル・ガーデンの写真です。

2013年12月07日 | 写真

午前中に調布市にある京王フローラル・ガーデンに行きました。家内は源氏物語の勉強で忙しいというので独りで気楽に写真を撮ってきました。

久しぶりに行った京王フローラル・ガーデンはすっかり冬のたたずまいでした。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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伊澤孝平著、「そういう時代の旅と人」(5)マルセーユ、スエズ、インド洋、そしてペナン、シンガポール経

2013年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

この本には大変興味深い部分がいろいろありますが、その一つに帰りの船旅の面白い体験記があります。

マルセーユで、秋田丸という貨物船に乗り、スエズ、アデンに寄港しながらインド洋を渡り、マレーのペナン、シンガポール、マニラを経て、神戸港まで帰りの船旅の旅行記です。

秋田丸は貨物船なので客は3人だけだったので、伊澤氏は船長や機関長と親しくなります。そして寄港地では現地の観光をしながら36日間の船旅を大いに楽しんだのです。

例えば、スエズ運河の入口のポートサイドに停泊した時の現地の様子、昭和27年当時の船旅のゆっくりした楽しさが生き生きと書いてあるのです。

ポートサイドでは船に物売りが上がって来たのです。

・・・物売りがサロンの丁度下になる部屋に、色々の商品を並べた。その物売りの姓は山本といい、兄弟で、男の子を一人伴れ、三人で乗り込んで来た。絵葉書、靴、鞄、刺繍入りや捺染の壁掛け等、エジプト色の豊かな品々を盛り上げて船員相手に愛嬌を振り撒いている。「山本うそ云わない。やすいやすい」と日本語を使う。・・・・戦前から、日本船に日用品を供給している八百屋のハッサンも、ニコニコし乍ら船内を挨拶したり、駄べったりし乍ら巡回している。・・・・

そして秋田丸が、スエズ運河に入ると・・・・私は子供のようにはしゃぎ乍ら、両岸の景色を頻りにカメラにおさめた。その中に立派な洋館が見えたり、オアシスがあったりしだした。スエズの街が近付いたのである。午後三時半、スエズの街を右舷に見ながら楽しい航海を続けて行った。・・・・

このように伊澤氏は船旅が楽しくて仕方がなかったのです。このようにしてアデン港、ペナン港、シンガポール港に投錨し、貨物の積み下ろしをしたのです。

貨物の積み下ろしの間は街に上陸し観光を丁寧にしました。昭和28年の1月のことでしたがマレ-のペナンの対日感情は悪くなく楽しい観光が出来ました。

しかしマニラ港にはまだ百隻以上の日本軍の艦艇が座礁したままであり、対日感情は最悪でした。危険なので上陸禁止だったそうです。

この船旅は余程楽しかったらしく152ページから186ページまでと34ページも費やしています。往路は山口県の周防富田港から辰日丸で渡米したのですが…二十四日間の相当な難航の後に、太平洋を横断して、カリフォルニア州のロスアンゼルスに上陸した。・・・と一行半の記述だけです。

この部分で感動したことは以下の2つのことです。

秋田丸がインド洋を渡りマレー半島の沖に来たとき、伊澤孝平氏はそこで不運にも戦死した日本兵の冥福をはるかに、船上から祈ったのです。そして戦争を始めた権力者を非難したのです。ペナンからシンガポール、そしてマニラの船旅では太平洋戦争の犠牲者を考える旅でした。そして平和を守る決意を新たにしたのです。

伊澤氏は宗教家でありません。左翼思想の持ち主でもありません。しかし一個の日本人として戦死した人々に深い祈りを捧げたののです。そして日本軍に殺された英軍の兵士やフィリッピン人兵士のことを想ったのです。何故か感動を覚えます。人間の健全な暖かみを感じさせるのです。

もう一つのことは伊澤氏の読書です。専門の法律分野以外のいろいろな本を船の図書室から借り出してむさぼるいうに読んでいるのです。新垣秀雄の「喜怒哀楽」、内田百閒の「安房列車」、「十人の将軍の最後」(作者不明)、菅原通済の「とんびの舞」、東郷清児の「ロマンス・シート」、源氏鶏太の「社員食堂」、鹿島孝二の「淑女諸君」、長田幹彦の「幽霊インタビュー」、鳴山氏の「きんぴら先生青春期」、シュニッツレル著秦豊吉訳の「輪舞」、また滝口直太郎訳の「神の小さな土地」、佐藤垢石の「狸のへそ」、などなどです。

そして伊澤氏は書いています。・・・・法律書以外の本を渉猟して、今更乍ら、色々の世界のあることを再認識した。悟りの世界、人情の世界、諧謔の世界、理智のの世界、物欲の世界、計算の世界等が、夫々厳然として存在することを感ずる。・・・色々の世界観があるものだと、世の中の広さが、頼もしく感じられた。・・・

こうして伊澤氏は欧米の在外研究の成果の一つとして自分の視野の拡大に成功したのです。それは彼に豊かな人生をもたらしたに相違ありません。

最後に特筆すべきは巻末にある「あとがき」です。伊澤氏の娘、美代子さんと、その夫君の村野啓一郎氏が連名で書いた文章です。心温まる謙虚な文章です。「現在の人々には役には立たないと思いますが、そんな時代があったのです。そんな旅と人があったのです。」と結んでいます。(続く)

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

下は建設完成時の頃のスエズ運河の絵です。(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

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伊澤氏が行ったときのマニラ港には、まだ百隻以上の日本軍の艦艇が座礁したままであり、対日感情は最悪だったのです。そして、下は現在のマニラの港風景です。(出典:http://blog.goo.ne.jp/ars333/e/c317a9f07414680154cd4267a09cdf98)。

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