今夜は楽しいクリスマスパーティをする家々が多いと思います。
子供のいる家では今夜、子供が寝ている間にサンタクロ-スがプレゼントを持ってきます。25日の朝の子供達の喜ぶ声が聞こえます。
これは日本の楽しい年中行事としてすっかり定着しています。
戦前生まれ、戦後育ちの小生の思い出の中にはクリスマスはありません。お正月が楽しかったのです。年齢も、お正月にみんな一斉にとるので誕生日のお祝いはありませんでした。
しかし戦後の復興が進むにしたがって、アメリカ占領軍の影響もあって、クリスマスが全国へと広がりました。経済の高度成長の頃には会社主催の豪華なクリスマスパーティが盛んでした。飲食街では三角帽子を被って酔った人達を見かけたものです。
それが次第に家庭中心の心温まる年中行事になってきたのです。
大変素晴らしいことです。
さてクリスマスはイエス・キリストが12月24日の夜から25日の明け方にかけて母マリアから馬小屋でうまれたということを祝う祭りです。
今日は、このクリスマスに関連する言い伝えや、歴史の真実と虚構を気楽に雑談風に書いてみたいと思います。もちろん歴史学者でもない小生が書くものですから気楽にお読みください。
まず真実から書きますと、旅に出たヨゼフとマリアが宿屋の部屋が取れなかったので、イエスを外の馬小屋か羊小屋か納屋で産んだということは間違いの無い真実のようです。
2000年ほど前の当時の中近東のシリア地方(現在の地中海東沿岸一帯)は現地のヘロデ王が支配していましたが、ローマの軍門に下り、ローマ帝国が完全に占領します。ヘロデはローマへ忠誠を誓い、王権を認められたのです。賢い政治的妥協です。
当時のローマ皇帝はアウグストウスでした。
彼はローマの全領土の住民に、登録せよとの勅令を出したのです。全住民は急いで出身地へ戻って、登録しなければいけません。
多くの人々が急に旅をするので当然、宿屋が足りなくなります。
ナザレで大工をしていたヨゼフと、身ごもっていた妻マリアが出身地のベツレヘムの町に着いた時はすでに宿屋が全て満員でした。
寒い野外で夜を明かすよりは馬屋か納屋の中の方がまだましです。
その馬屋の中でマリアがイエス様を生むのです。そして飼い葉桶の中に藁を暖かく敷き、生まれたばかりの赤子を寝かせるのです。
この辺の聖書の記述はローマ皇帝アウグストウスの勅令とも合致するので真実だと思います。
しかしイエス様の生まれたのは約2000年も前のことです。正確な月日など分かる筈が有りません。
そこで次第に冬至の頃と設定して誕生を祝う人々が増えて12月24日に定着したのです。冬至から次第に日が長くなりやがて春が来るのです。ですから冬の暗い北ヨーロッパでは原始宗教の祭りとして冬至祭が盛大でした。
それとキリスト教が混淆したので冬至に近い、12月24日の夜から翌朝にキリストの誕生日を祝うことになったのです。北方民族の冬至祭と合流したのでサンタクロースはフィンランドの森に住んでいるのです。
ですから12月24日はクリスマス・イヴというのは宗教的な虚構なのです。
その時、シリアの東方の砂漠の部族の3人の賢者が星に導かれて拝みにきます。これが後に、「東方の三賢者」と伝わっています。これも虚構です。
しかし星に導かれて3人の賢人が砂漠を歩く姿は何故か美しさを感じさせます。詩的な虚構です。
それから処女マリアが聖霊によって身ごもったというのも宗教的な虚構です。
新約聖書にはヨゼフが自分の憶えのない子をマリアが身ごもったので誰にも知られないようにマリアを離縁しようとしたと書いてあります。これは人間感情として本当だったと思います。しかしヨゼフはこの子を受け入れるのです。
このような歴史的真実と宗教的虚構はどの宗教にもあるものなのです。
お釈迦様が4月8日に摩耶夫人の腋の下から産まれたので、その日は楽しい「花祭り」をします。それも歴史的真実ではなく宗教的虚構です。
しかし私はカトリックの信者です。当然、すべての宗教的虚構を大切に思っています。尊重しています。それが人間として当然の姿勢と信じているからです。
日本のカトリック信仰は1549年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島へ第一歩を印したときに始まります。クリスマスは彼が日本へ持ち込んで来たものです。
ですからクリスマスの頃になると毎年、長崎や五島列島のことをあれこれ考えます。
今日は長崎の隠れキリシタンの里、外海町のカトリック黒崎教会のHPから写真を3枚ご紹介いたしたいと思います。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)