後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日は鳩ノ巣までドライブしてコーヒーを飲んで来ました

2017年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム
午前中に家を出て奥多摩の鳩ノ巣までドライブして来ました。
家内が一緒だったので、昔家族でスケートを楽しんだ天然氷の沢井スケートリンクを見に行きました。
とっくに営業は止めていますが天然氷のリンクには昔のように氷が張っていました。
誰も居ないデコボコのリンクに弱弱しい冬の陽が射し込んでいました。
それから御岳駅前の橋の上から多摩川の写真を撮りJR鳩ノ巣駅で遊びながら電車の写真を撮りました。鳩ノ巣駅の下の「山鳩」という店で香の良いコーヒー飲んで帰って来ました。
のんびりとした冬の一日です。

1番目の写真は御岳駅前の橋の上から多摩川の上流方向の写真です。

2番目の写真は御岳駅前の橋の上から多摩川の下流方向の写真です。川の右手に写真には写っていませんが玉堂美術館があります。

3番目の写真は鳩ノ巣駅の下の「山鳩」という店の写真です。以前はよく寄ってビーフシチューを食べた店です。同じご主人と昔話をして来ました。よく何十年も根気良くお店を続けているのは偉いものです。

写真を撮るのは趣味か、趣味でないか?

2017年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム
趣味の定義は自分で勝手にすれば良いのです。自分が趣味だと思っていたら趣味なのです。
しかしあることが趣味か否かとう問題にはおのずと常識的な境界があるのではないでしょうか?
写真を撮るという場合を考えてみましょう。
例えば重くて大きなカメラと三脚を担いで山野を歩き、根気よく被写体の現れるのを待って写真を撮るのなら、それは立派な趣味です。
大きな望遠レンズを付けたカメラを頑丈な三脚の上に固定し、寒気の中、富士山が夕日に輝くのを待っている人々を見るとその忍耐心に感心します。そのような苦行と共に写真を撮っている場合は立派な趣味として尊敬したくなります。
写真が趣味か、そうでない境は苦行を伴うか否かによって分かれます。

この定義に従うと私の写真はとうてい趣味とは言えません。老境のおもちゃの一つに過ぎません。
しかし軽くて小さなデジカメを何時も首から下げて車を運転しています。片手でハンドルを握り片手でカメラのシャッターを押すのです。
この早業には前後左右に車や人がいないことが鉄則です。
そして四六時中、首に軽いデジカメをぶら下げていると思いがけない写真が撮れるのです。


1番目の写真は毎月1回は行く北杜市から見上げた甲斐駒岳連峰の写真です。昨年の晩秋に車から撮った写真です。

2番目の写真は甲斐駒岳の麓の森の奥にある私の山小屋です。

3番目の写真は山小屋のそばに遊んでいる猿の写真です。猿は数匹の群れでよく遊んでいますが写真を撮られるのが嫌いで、デジカメを出すと一瞬にして逃げてしまいます。この猿は私に興味を持ったらしくて私を覗き込んでいました。

4番目の写真はキツネの写真です。このキツネは独りで庭でビールを飲んでいたら森から出て来て私の周りをウロウロして、数分したら又森の中へ消えて行きました。
何時ものように首からデジカメを下げていたので素早く写真を撮りました。
こんなことは40年以上も山小屋に通っていますが初めてのことです。その後もキツネは姿を現せませんでした。昔からキツネは人を騙すと言います。野生のキツネには人のそばに出て来て親し気に歩き回る習性があるのだろうと独り想像しながら、楽しくビールを飲んだのが忘れられません。

5番目の写真は山道を車で走っている時、車窓から撮った鹿の写真です。
山小屋へ上る雑木林の道ではシカが飛ぶように車の前を横切って行くのを何度も見ましたが、あまりにも素早くて写真は撮れませんでした。
この写真は珍しく鹿が私に興味を持ってくれて車の中を覗き込んでいたのです。

このようにデジカメは私の玩具です。趣味ではありません。
しかしそのお陰で大きな感動を受けたのです。嗚呼、私は野生動物に好かれる優しい人間にやっとなれたのだという感動です。
勿論、これはこちらの思い込みでしょうが、老境とは幸せなものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)