後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日は富士山と海の写真を撮りに行きました」

2017年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
湘南海岸の茅ケ崎の浜辺に富士山と海の写真を撮りに行きました。
府中から中央高速道路に上がり、八王子ジャンクションで圏央道に曲がり、一路南下し、その終点の茅ケ崎海岸に出ました。
家から90Km,1時間30分のドライブです。
砂浜には北からの寒い烈風が吹いています。あちこちを歩き、カメラアングルの良い所を探しました。
3番目の写真の海の沖に、はるか60Kmかなたの大島がうっすらと写っています。
その後は江の島まで足を伸ばし、神社の参道の商店を見ながら散歩しました。そして最後は江の島ヨットハーバーに寄り、静かに舫っているヨットの写真を撮りました。何か晴れ晴れした気分で帰って来ました。
お送りする写真は富士山と海の写真です。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。









戦争の悲しみは絶対に消えない

2017年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
暮れの12月29日に「嗚呼、これで太平洋戦争がやっと本当に終わった!」という記事を掲載致しました。

この記事の冒頭部分のみを示します。

「今年は8月に広島の原爆犠牲者の慰霊祭にオバマ大統領が来て花輪を捧げ慰霊の祈りを捧げました。
そして昨日は安倍総理大臣が真珠湾攻撃の犠牲者の慰霊碑に花輪を捧げ祈りました。
このどちらの場合も安倍総理とオバマ大統領が一緒に祈ったのです。
日本人は残虐な原爆投下を絶対に許せないと思っています。心の中で戦後70年、怒っていました。そしてアメリカ人は宣戦布告無しの真珠湾攻撃の卑怯さを許せないと何時までも怒っていました。
私の心でも原爆投下は絶対に許せないと叫んでいました。私の心は宣戦布告無しの真珠湾攻撃の卑怯さに暗い気持ちになっていました。卑屈になっていました。日本人なら程度の差があっても同じ感情を持ち続けていた人も多かったと存じます。
しかし安倍総理とオバマ大統領が一緒に広島と真珠湾でそれぞれの犠牲者に慰霊の祈りを捧げたのです。
これで太平洋戦争の全ての悲劇が無になる訳ではありません。しかし少なくとも心の中の太平洋戦争が本当にやっと終わったという気持ちになれました。こんな気持ちになったのは私だけでしょうか?
今年は太平洋戦争が本当に終わった年として私は忘れません。
安倍総理とオバマ大統領に感謝します。尊敬します。

オバマ大統領は8年前の就任早々、ポーランドのワルシャワで核兵器廃絶の理想を強く訴える感動的な演説をしました。
ワルシャワは先の第二次大戦の時、ヒットラーが電撃作戦で占領しました、しかしその後ワルシャワの市民が蜂起しドイツ軍と戦ったのです。ヒットラーは精鋭部隊を送り蜂起した市民を虐殺します。ワルシャワは悲劇の都市として有名になったのです。その後、ソ連が占領すると、ソ連に協力すると志願したポーランド軍の元将校達を残酷にも処刑したのです。その処刑は「カチンの森の悲劇」として有名です。
そのように戦争の残酷さを身をもって体験したポーランド人の群衆を前にして、オバマさんは街頭演説をしました。
その演説の故に彼はノーベル平和賞を受賞したのです。・・・以下方略」

上の記事から琵琶湖のほとりに住んでいて、詩的な風景写真を撮って「カメラと遊ぶ日々」というブログに掲載している ちひろさんという方から以下のようなコメントを頂きました。
なお、「カメラと遊ぶ日々」のアドレスは、http://blog.goo.ne.jp/yumenohanamiti8739 です。

====終結を迎えられない者も (ちひろ)======
2016-12-30
負け戦と分かりながら遠い南国の島へ送り込まれ、食料も与えられず犬死した数知れぬ兵士は未だ餓島に見捨てられたまま、戦争犠牲者の遺族に太平洋戦争の終結はありません。
安倍首相を始め稲田防衛相、そして太平洋戦争はこれで終わったと主張される方々は、戦争を知らない方や犠牲を受けておられない幸せな方々です。
私たち戦争犠牲者の遺族の立場や、今も尚、北朝鮮に身内を拉致されたままの家族の心情は、筆舌では尽くせないものでです。今も苦しんでいますが、国政では無視されていると思えてなりません。
考えようによっては軽薄なコメントですが、素通り出来ずコメントをお送りさせていただきます。お許しくださいませ。
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このコメントを受けた私は彼女のブログ、「カメラと遊ぶ日々」に悲しみを消すためにも気持ちの整理があっても良いのではないでしょうかという趣旨のコメントを投稿しました。
それに対して以下のようなご返事を頂きました。
===ちひろさんからの返事==========
「戦死ではないのです!」 (ちひろ)
後藤和弘さま、
「カロリン諸島にて壮絶な戦死を遂げた」と国からの証が届き、母は戦死を信じて他界しました。しかし、戦後71年目にして国へ父の戦争履歴を請求したところ、戦死ではなく食料が与えられなくて、栄養失調で死んだことが分りました。明らかに餓死です。
このような戦争遺児が事実を知って国を許せますか。アメリカに殺されたのなら諦めますが、日本に殺されたのです。
母は父のいない家族を支えるために日雇い労働者を続けました。
そのような苦労を知らない政治家や賢い方々には解らない悲しみです!
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この ちひろさんとは2007年からブログを通して交流してきました。

まだまだ72年前の戦争が心の中で終わっていない人々が沢山居るのです。
戦争の悲しみを忘れられない人々が沖縄にも居ます。韓国や中国にも居ます。
いえ全世界にいる筈です。

記事の内容が悲しいことなのでお正月が過ぎるまでこの記事の掲載をひかえていました。

今日の挿し絵代わりの写真は昨日、京王フローラル・ガーデンで撮ったスイセンの花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)