高齢者になると他人の助けが必要になります。一番重要な人は共に住む妻です。ですから妻へ感謝し尊敬し、良質な社交性で接しなければなりません。感謝と尊敬の念をスマートに伝えることをこの連載では良質な社交性と言います。
今日は妻への感謝と尊敬について短く書いてみたいと思います。
その前にこの連載の今迄の記事をちょっと振り返ってみましょう。
「高齢者と社交性(1)医師と看護師への感謝と尊敬」2017年06月06日
「高齢者と社交性(2)リハリビ施設のスタッフへの感謝と尊敬」2017年06月08日
「高齢者と社交性(3)ネットを利用した交流のための社交性」2017年06月09日
この3つの記事の題目を見ると人間が老境でなると実に多くの人々に助けられ、支えられているかがよく分かります。
そして今日取り上げる妻は毎日の生活でかけがえの無い助けです。支援者です。
それは日常の当たり前のことなので妻への感謝や尊敬を忘れがちになります。
ところで私が妻の愛の深さを知ったのが70歳になって一切の仕事を止めた時のことです。
それまでは定期的な収入もあり社会的な立場もありましたから夫の人間としての価値は具体的に分かる状態です。
分かり易く、いささか下品な書き方をすれば夫が生活費を稼いでくるのですから妻は夫へ感謝し尊敬するのが当たり前です。
ところが70歳で一切の仕事を止め、社会と繋がりの無い状態になるのですから妻の感謝と尊敬は消えても可笑しくはありません。
私が一切の仕事を止めても妻は一切態度を変えませんでした。赤ん坊のように何の力も無い夫を以前と変わらない感謝と尊敬の念をもって接してくれるのです。夫が外で嫌な思いをしても我慢し、生活費を稼ぎ続けるから感謝していたのではなかったのです。
夫を裸の無力な一個の人間として結婚以来ずっと愛し続けて来たのです。老いて醜くなった夫を変わらず愛しているのです。
嗚呼、女には負けた。男は真似出来ないと感じることが多くなるのです。
世間では、女は子供を生むから男より偉いとよく言います。それも同感しますが、定年後になってみると妻の態度が変わらないことに驚きます。微動だにしない大地のようなものです。
これに比べると男は女の見かけなどに左右される浅はかな存在なのです。男は老境に至って初めて女性の姿ではなく心の美しさがしみじみと、そして深く理解出来るのでしょうか。勿論、賢い男は若い時からそのことを知っています。
夫婦が共に健康で老境に至ることが出来ると、多くの男性は妻の愛が純粋で深いことに気が付きます。
それは幸運なことです。
しかしこの幸運に恵まれない人も沢山いるでしょう。しかし老境に至った多くの人間は平穏な幸せそうな顔をしています。近所を独りで散歩している高齢者は皆んな、みんな幸せそうです。犬と何やら話をしながら歩いている人もいます。
やっぱり人間とは素晴らしいものですね。
定年後、妻の愛の深さを知った愚かさを書いてしまいました。
今日の挿し絵代わりの写真は水郷、都立水元公園の風景写真です。5月27日に撮りました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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今日は妻への感謝と尊敬について短く書いてみたいと思います。
その前にこの連載の今迄の記事をちょっと振り返ってみましょう。
「高齢者と社交性(1)医師と看護師への感謝と尊敬」2017年06月06日
「高齢者と社交性(2)リハリビ施設のスタッフへの感謝と尊敬」2017年06月08日
「高齢者と社交性(3)ネットを利用した交流のための社交性」2017年06月09日
この3つの記事の題目を見ると人間が老境でなると実に多くの人々に助けられ、支えられているかがよく分かります。
そして今日取り上げる妻は毎日の生活でかけがえの無い助けです。支援者です。
それは日常の当たり前のことなので妻への感謝や尊敬を忘れがちになります。
ところで私が妻の愛の深さを知ったのが70歳になって一切の仕事を止めた時のことです。
それまでは定期的な収入もあり社会的な立場もありましたから夫の人間としての価値は具体的に分かる状態です。
分かり易く、いささか下品な書き方をすれば夫が生活費を稼いでくるのですから妻は夫へ感謝し尊敬するのが当たり前です。
ところが70歳で一切の仕事を止め、社会と繋がりの無い状態になるのですから妻の感謝と尊敬は消えても可笑しくはありません。
私が一切の仕事を止めても妻は一切態度を変えませんでした。赤ん坊のように何の力も無い夫を以前と変わらない感謝と尊敬の念をもって接してくれるのです。夫が外で嫌な思いをしても我慢し、生活費を稼ぎ続けるから感謝していたのではなかったのです。
夫を裸の無力な一個の人間として結婚以来ずっと愛し続けて来たのです。老いて醜くなった夫を変わらず愛しているのです。
嗚呼、女には負けた。男は真似出来ないと感じることが多くなるのです。
世間では、女は子供を生むから男より偉いとよく言います。それも同感しますが、定年後になってみると妻の態度が変わらないことに驚きます。微動だにしない大地のようなものです。
これに比べると男は女の見かけなどに左右される浅はかな存在なのです。男は老境に至って初めて女性の姿ではなく心の美しさがしみじみと、そして深く理解出来るのでしょうか。勿論、賢い男は若い時からそのことを知っています。
夫婦が共に健康で老境に至ることが出来ると、多くの男性は妻の愛が純粋で深いことに気が付きます。
それは幸運なことです。
しかしこの幸運に恵まれない人も沢山いるでしょう。しかし老境に至った多くの人間は平穏な幸せそうな顔をしています。近所を独りで散歩している高齢者は皆んな、みんな幸せそうです。犬と何やら話をしながら歩いている人もいます。
やっぱり人間とは素晴らしいものですね。
定年後、妻の愛の深さを知った愚かさを書いてしまいました。
今日の挿し絵代わりの写真は水郷、都立水元公園の風景写真です。5月27日に撮りました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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