後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

川越の魅力、城址、古い町並み、古刹、美術館

2019年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム
戦国時代の武将、太田道灌は次の歌を知らなかったことを恥じ入り、その後、和歌に親しみ有名な歌人になります。
「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」、兼明親王 (914-987年)

この太田道灌は室町時代の関東管領、扇谷上杉定正の家臣でした。
関東地方では太田道灌は江戸城と川越城を作ったことで有名です。
扇谷上杉家は川越城を1457年から1537年まで領有し、道灌が80年間川越の統治者として町の発展に尽くしたのです。
しかし1537年、小田原に本拠を置く後北条氏によって落城します。
これで後北条氏は関東一円の平定を完了したのです。しかし、それも長続きしないで、43年後の天正18年、1580年、秀吉一派の前田利家によって攻め滅ぼされました。

その後、関東一円の戦国時代の多くの城は江戸幕府の出先行政機関的な役割を果たした。
それにしても大田道灌の築いた川越城は明治維新まで江戸幕府によって使用されました。
そんな歴史のある現在の川越市には江戸時代の代官屋敷や古い街並みや太田道灌時代に創建された幾つもの古刹があります。
歴史資料館や川越ヤオコー美術館もあります。
食べ物で有名なのはサツマ芋の菓子類や昔風の煎餅です。その上芳醇な味のウナギの蒲焼が有名です。
昨日は久しぶりに午前中から川越に遊びに行きました。昨日撮っ写真と以前の写真をまじえて川越の魅力、城址、古い町並み、古刹、美術館などの写真をお送りいたします。

1番目の写真は江戸時代の川越代官所です。功績のあった家老が川越城主に指名され住んでいました。
代官所の前を通り南に坂を下り右手に廻ると高い石垣の下に出ます。太田道灌の頃の古い石垣のようで、いかにも古城という面影があります。この石垣の上に富士見櫓が立っていたのです。昔の光いまいずこです。

2番目の写真は江戸時代の町の中心にある鼓楼です。大太鼓で毎日数回、時を告げていたのです。

3番目の写真は川越の古い町並みで、長さ1Km位続いています。この通りには観光客が何時も群れています。

4番目の写真は太田道灌時代の古刹の一つです。

5番目の写真はその寺の山門です。観光客が群がっている古い町並みの道路から入る路地の奥は静かな場所です。そこに幾つも古刹があるのです。そして古いお寺は川越の郊外にも散在しているのです。
古い神社もあります。昨日は初詣での客が多くて近寄れませんでした。

6番目の写真は川ヤオコー未術間の展示してある三栖右嗣の「麓郷早春」と題した長い大作です。北海道の大地の生命感を力強く描いた1982年の作品です。圧倒されました。

7番目の写真は三栖右嗣の「信州うみのくち」という題で1997年作、60号の大作の油絵です。
雪の降る木崎湖です。湖面には沿岸の雪が写し出され何故かシーンとした気分になります。私の好きな情感豊かな絵です。
この美術館はヤオコー川越美術館ー三栖右嗣記念館と言います。三栖右嗣は「みす ゆうじ」と読みます。
この美術館は埼玉県で八百屋さんをしていた川野トモさんが作ったのです。
三栖右嗣さんの絵画を蒐集し展示してある小さいながら芸術性あふれる美術館です。油絵の好きな人は感動すると思います。

現在の埼玉県川越市は観光地のように賑わっています。
そこに行くと戦国時代と江戸時代のローカル文化が実感出来るののです。
それだけでありません。食べ物が美味しいのです。町の周囲で採れるサツマ芋を使ったいろいろなお菓子が美味しいのです。昔風の煎餅も菓子屋横丁にあります。

その上、昔風のうなぎ屋が幾つもあり味を競っています。幾つかに入ってみましたが、小川菊とポンポコ亭がお薦めです。場所は検索すると出ています。うな重の美味しい所はこの川越の他では霞ヶ浦周辺、諏訪湖周辺や川越市や行田市のように関東の内陸部の古い町にあります。鰻につられて脱線しました。

兎に角、川越は魅力あふれる町です。是非お出掛け下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考、太田道灌の代表作===========
我庵は 松原つゞき海近く 富士の高嶺を 軒端にぞ見る
露おかぬ かたもありけりゆふ立の 空よりひろき 武蔵野の原
きみにおき 民にふしつゝ朝夕に つかへんとおもふ 身ぞおほけき
見る度に おもしろければふじのねの 雪は浮世のすがたなりけり
年ふれど まだしらざりし都鳥 すみだ河原に 宿はあれども