後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

老境の平々凡々な暮らしを格調高く生きる3つの方法

2019年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム
老境になり自分の人生を振り返ってみると非常に恥の多いものだったと思います。
ですから老境はせめて恥ずかしくない日々を送ろうと思っています。
老境になると平々凡々な暮らしでも格調高く生きることが出来るのです。
それでは格調高く生きることとはどういうことなのでしょうか?
日常の生活のなかで私の心が俗世間から離れ、ある高いところを考えながら暮らしていくことです。
此の世の低俗な欲を離れ美しいものや崇高なものを考えて生きるのです。
しかし人間は四六時中このようには生きて行けません。私は毎日、2、3時間だけでもこう過ごそうと考えています。

今日は老境を穏やかに格調高く生きるための具体的な3つの方法を書きたいと思います。いずれも私が実行している心算です。
(1)花々や自然の風景を愛し、いつも心の中で思い出している。
美しい花々や自然の風景を心の中で思い出している間は俗世間のこと完全に忘れています。心が無意識のうちに格調高い境地にあるのです。
美しい花々や自然の風景の写真をお送りしましょう。これらの写真を眺めている人の心は俗世間から離れ、ある高いところに遊んでいます。













7枚の写真を丁寧に説明すると今日の話の腰が折れてしまいます。そこでごく簡単に説明しておきます。
はじめの3枚は去年の1月下旬に撮ったローバイと梅の花の写真です。続く2枚は去年の12月に撮った白樺湖と裏八ヶ岳の風景です。最後の2枚は茅ヶ崎海岸の広々した海辺の風景です。
私達が住んでいるこの地球という星にはこんなにも美しいものがあるのです。そこに生まれたた私達です。その生命は奇跡のようなものです。

(2)全ての人々に感謝して毎日を暮らす。
自分を生んで育てれくれた親は勿論です。自分を可愛がってくれた親類や幼友達も思い出して感謝します。
職場で自分を助けてくれた上司や仕事仲間の顔や声を思い出して感謝します。
勿論、暖かい家庭を作ってくた妻に感謝します。子供や孫にも感謝します。
人間は感謝している間は此の世の低俗な欲を忘れるものです。その間は心が高いところにあります。格調の高い境地にあるのです。

このように書いて行くと上の(1)と(2)は誰にでも実行出来ます。人々は無意識のうちに行っていることです。そこでもう一つのことを考えてみましょう。
(3)老境になったら神や仏のことを少し考える
新年になったら神社に初詣に行きます。暮れには墓掃除に行き線香と花を供えます。
無宗教の人々も難しく考えないで日本の習慣に従うだけで良いのです。
すると神社の神々は自分の家族を守ってくれるのです。
お寺に行けばお釈迦様の教えを思い出します。すると此の世の低俗な欲を忘れるものです。その間は心が高いところにあります。格調の高い境地にあるのです。
私自身はカトリックなのでイエス様の教えを時々思い出します。思い出している間は此の世の低俗な欲を忘れるものです。
このようにして老境を穏やかに生きることが出来るのです。

それはそれとして、今日は皆様のご健康と格調の高い老境をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)