後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

親日国フィリピンとの友好の為に歴史を知ろう

2019年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
フィリピンは1614年に高山右近を歓迎した時から終始、親日国でした。
慶長19年(1614年)12月に、右近は内藤如安らと共にマニラに到着しました。
これが日本とフィリピンの交流の始まりと考えることが出来ます。

そこでフィリピンの15世紀以後の歴史を次のように4つの時期に分けて見てみましょう。
(1)1529年から1898年までのスペインの植民地時代
(2)1898年から1945年のアメリカの植民地時代
(3)1941年から1945年の日本軍の占領期
(4)1945以後の独立国の時代

上の各時代で最も長かったのは約400年にわたるスペインの統治時代でした。アジア諸国でスペインの統治を受けたのは唯一フィリピンだけだったのです。
その結果、フィリピンは南米諸国と同じカトリック国になったのです。社会も文化も南米の一つの国のようになったのです。アジアにはいろいろな国がありますがカトリック国はフィリピンだけなのです。
そして1941年から1945年の日本軍の占領期には日本はミャンマーとこのフィリピンだけの独立を認めたのです。
いろいろな事がありましたがフィリピンは終始一貫日本の友好国でした。
それではその歴史をもう少し詳しく見てみましょう。

(1)1529年から1898年までのスペインの植民地時代
(https://ja.wikipedia.org/wiki/フィリピン )
スペイン艦隊は太平洋を横断しメキシコから来ました。
1521年、セブ島にマゼランが率いるスペイン艦隊が、ヨーロッパ人として初めてフィリピンに到達します。
マゼランはこのとき、マクタン島の首長ラプ・ラプに攻撃され戦死しました。
1529年のサラゴサ条約でフィリピン諸島をスペイン領有になったのです。
スペインはフィリピンをアジア進出の拠点とし、1571年にはマニラ市を植民地首府とし、フィリピン諸島の大部分がスペインの領土となったのです。
これ以降、マニラとアカプルコ(メキシコ)をつなぐ貿易が続きフィリピンが繁栄したのです。
そいして立派な教会が作られたのです。
スペイン人はローマ・カトリックの布教を進めたのです。
その結果、現在のフィリピンの社会や文化は南米諸国と同じようになっているのです。

(2)1998年から1945年のアメリカの植民地時代
フィリピンは米西戦争の最中に独立を果たしたのもつかの間、1898年のパリ条約によりフィリピンの統治権がスペインからアメリカ合衆国に譲渡されたのです。
フィリピン共和国の建国を承認しないアメリカによる植民地化にフィリピンは猛烈に抵抗した。
しかしその戦争で60万人のフィリピン人がアメリカ軍により無残に虐殺され、抵抗が鎮圧されます。
その後、アメリカ合衆国議会は1916年にジョーンズ法で自治を認めフィリピン自治領が成立します。
1934年アメリカ議会はフーバー大統領の反対を押し切り、タイディングス・マクダフィー法で10年後の完全独立を認め、フィリピン議会もこれを承諾しました。

(3)1941年から1945年の日本軍の占領期
第二次世界大戦中の1941年12月に日本軍がマニラ市に上陸します。
アメリカ陸軍司令官のダグラス・マッカーサーはオーストラリアに撤退し、大日本帝国陸軍は1942年の上半期中にフィリピン全土を占領したのです。
アメリカは1935年にはフィリピンの独立を約束していたので、大日本帝国も1943年5月に御前会議でフィリピンとビルマを独立させます。
その結果、1943年10月14日、ホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国が成立しました。
その後ラウレルは日本との協力関係を築きフィリピン政府の運営します。
その後1944年末に米軍が反攻上陸すると、フィリピン独立派が再び権力を握ったのです。
第二次世界大戦によって110万人のフィリピン人が犠牲となり、マニラに20棟あった16世紀から17世紀にかけて建立されたバロック様式の教会は、米軍の攻撃により2つを残して破壊されました。

(4)1945以後の独立国の時代

今日はあまり長くなるので戦後の歴史は続編で書くことにします。
フィリピンの都市の風景や教会の写真をお送りします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘

1番目の写真はマカティ市の風景です。マカティ市は首都メトロ・マニラの1市で、マニラ市の南東に隣接していいます。高層ビル群が立ち並び、フィリピンのビジネス首都と位置付けられているそうです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/フィリピン )

2番目の写真はサント・ニーニョ像を記念したサント・ニーニョ教会です。
出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/megurokeibujp/60274710.html です。
サントニーニョとは幼少のキリストという意味です。マゼランが持ち込み、セブのフアナ女王に贈ったというサント・ニーニョ像です。

3番目の写真はサント・ニーニョ教会の外部です。フィリピン最古の歴史を持つ教会です。

4番目の写真はサント・ニーニョ教会で祈るフィリピン人の姿です。

5番目の写真はイロイロ のモロ教会の風景です。
写真の出典は、https://tabisuke.arukikata.co.jp/album/18489?page=1 です。

尚セブ島に建てられたサント・ニーニョ教会では、1521年、マゼランの航海に同行していたスペイン人のドミニコ会修道士によってフィリピン人へ洗礼を授けました。
当時のセブ島領主であったフマボン王とその妻ファナ女王、そして王の家臣800人がフィリピン初のキリスト教徒として洗礼を受けました。これがフィリピン キリスト教の始まりです。

広く碧い海が無性に見たくなる、そしてある本の書評

2019年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
関東平野の内陸部に長年住んでいる私は時々広く碧い海が無性に見たくなります。でも湘南海岸までは車で1時間30分ほどかかります。気軽に行ける距離ではありません。
しかし昨日は思い立って圏央道から茅ケ崎海岸に出て、江の島から鎌倉まで青く光る海を見ながらドライブして来ました。
昨日撮って来た太平洋に開いている相模湾の海の風景写真をお送りします。









昨日は碧い海を見ながら考え事をしていました。ある新刊書の書評をどのように書こうかと思い悩んでいたのです。
その本はピーター・ゴドフリー=スミスという哲学者が書いた本で、夏目 大が翻訳しています。みすず書房から2018年11月16日に出版された「タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源」(¥ 3,240円)という本です。
内容はタコから見た宇宙観、すなわち人間とは全く違う哲学を提示した本です。
著者のゴドフリー=スミスは優れた哲学者ですが、タコやイカの頭足類の生物学を詳細に勉強してその神経系統から感じたタコの心を推定しているのです。
この本を読んで、私は鳥の心から見た宇宙観や虫の心から見た宇宙観があっても良いと思いつきました。
この本の巻末の「みすず書房」の過去の出版目録を見ると案の定、「昆虫の哲学」という本があります。

さて「タコの心身問題」の書評に戻ります。

この本はあまりにも専門的な哲学書で私には難し過ぎました。哲学を知らない人には向いていません。学術書なのです。しかし著者のゴドフリー=スミスは一般人にも分かり易くしようと努力しています。訳者の夏目 大が巻末でこの本の内容を分かり易く書いています。
それで私は大体の内容は理解出来ましたが、こんな程度では書評を書く資格はありません。
そこで以下では無辺光さんの書評をご紹介します。無辺光さんは30代のエンジニアで、本などのレビュー、哲学の話などを、http://muhenkou.net/?p=4227 に掲載なさっている方です。その抜粋を示します。

・・・哲学者である著者がタコの生態の観察を通じて、単なる物質である我々にどのようにして知性や心が生まれたのかを探る一冊。タコやイカ等の頭足類が主たる題材ではあるが、そのテーマは頭足類を一つのモデルとして、生物や人間の心の在り方を問う挑戦的な内容だ。なかなか刺激的な内容だったので、5000文字を超える分量となったが、しっかり紹介したい。
本書の訳者である夏目大さんの「訳者あとがき」にも記されているとおり、本書は人間の存在を相対化して考えるきっかけを与えてくれる本であると思う。我々は自分自身が人間であることに知らず知らずに執着し、人間自身を過大評価し、人間中心に生きているという事実がある。
たとえば、「人間は万物の霊長」といったような言葉がある。この本を読まれるような方は、賛同しない言葉と思われるが。本書の中でもごく最初の方で次のように指摘されている。・・・

・・・一方、本書で対象としている頭足類は、人間とは大きく異なる進化の歴史を持つ。人間と頭足類との共通の祖先は、本書によれば6億年前までさかのぼる。その祖先は海中の中の虫のような生物であり、おそらく現在の我々のような知性は持っていなかった。その後、突然変異と自然選択により種が枝分かれし、一方の枝は脊索動物となり、地上に上がり現代の人類となった。一方の枝は海中にとどまり、軟体動物として進化し全く異なる身体構造と環境の中で、進化を続け頭足類として現存している。
我々は知性や心を論ずる際に、どうしても自分自身をモデルとして理解しようとしてしまう。それは我々自身が他者の心の存在を原理上確信することができない制約のためである。他人が心を持つかどうかを直接知ることはできない。我々は他社の行動や言動を見て、自分と同じような心を持つことを「信じる」ことしか今はできない。我々は自分自身の心しか知ることができないから、必然的に自分の持つ心や知性の働きをベースに理解しようとしてしまうわけだ。・・・

・・・タコやイカは、賢い動物として取り上げられることが多い。本書中にもタコやイカの行動に知性が感じられる例が多く紹介されている。
特定の人物を見分け、その人物を選択して水をかける。
水槽の水流を使って、物を行ったり来たりさせて遊ぶ
到底食べられないような「人間」に興味を持ち、触れてみようとする。
飼育されているタコは自分たちが水槽という不自然な場所にいるということも、人間がその外にいることも理解する。
電球に水を吹きかけてショートさせ照明を消す。(タコは電球の光が嫌いである。)
水槽の弁をあえて手で詰まらせて、水槽を溢れさせる。
嫌いな餌を与えられたときに、人間と目線を合わせながらわかるように捨てる。(ように感じられる行為)
ココナツの殻を分解して持ち運び可能なシェルターとして利用する。
たとえ事物が時間とともにその外見を変えていっても、それが元と同じものであると認識できるように事物の捉え方自体を成型する、・・・・

・・・これまで得てきた絶対的な価値は、この視点の前に相対化される。
話がそれるが、このような相対化の思想としては私が感心するのは中国の「荘子」の万物斉同の思想である。荘子と言えば、「胡蝶の夢」が有名だが、ここはそれ以外に下記を挙げたい。
斉物論編 第二 (前略)毛ショウや麗姫(りき)は、人はだれもが美人と考えるが、魚はそれを見ると水底深くもぐりこみ、鳥はそれを見ると空高く飛び上り、鹿はそれを見ると跳びあがって逃げ出す。この四類の中でどれが本当の美を知っていることになるのか。(荘子 岩波文庫 金谷治 訳)
毛ショウや麗姫(りき)は荘子の時代に絶世の美女とされた女性である。ところがそれを美女とみなすのは、あくまで人間だけである。魚や鳥や鹿は、彼女らを見て逃げ出すだろう。価値観というものは絶対的なものではなく、相対的なものに過ぎないことを鮮やかに示している。このような思想に紀元前のうちに達しているとは恐れ入谷の鬼子母神である。・・・

以上、無辺光さんの書評は実に明快です。
いきなり、「タコの心身問題」を読まないで、まず無辺光さんの書評を読んだ方が良いと思いました。無辺光さんの知性へ対して深い敬意を表します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘