後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

美しい日本の教会の写真(1)カトリック崎津教会

2019年01月27日 | 写真
最近この欄ではお寺の写真を数多く掲載して来ました。
そこで今度は「美しい日本の教会の写真」を連載でお送りしたいと思います。
第一回はカトリック崎津教会です。
写真と文章は、http://9tabi.net/kumamoto/kumamoto03/kumamoto310.html からお借りしました。著者の方へ尊敬の意を表します。









・・・崎津漁港に一際目立つ、尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式の教会です。・・・

・・・津崎教会は、長崎の建築家で、教会造りの父と呼ばれた鉄川与助によって設計されたゴシック様式の教会です。明治以来3回の建て直しが行われました。現在の教会は、昭和9年(1934年)にフランス人宣教師ハルブ神父の時代に再建されたものです。・・・

・・・崎津教会は、アルメイダ神父により1569年(永禄12年)2月23日に建てられ、ここを中心にして、キリスト教は天草に栄えたのでした。然しながら、1638年(寛永15年)の禁教令が天草で実施されてから崎津では特に激しい迫害の嵐が吹き荒れました。
公然と信仰を明らかにすることを禁じられたキリスト教徒は、隠れキリシタンになり、ひそかに真夜中に一緒に集まって神を礼拝し、お祈りを献げていました。隠れキリシタン達は、生命や財産の危険をもかえりみず信仰こそ何物にも勝る宝であり、幸福の源泉であると、確く信じていました。この宝を子孫に伝えるために、7人の村人を先生として選び、「水方(みずかた)」と名付けました。此の名は水方の仕事の一つである洗礼の儀式から取られたものです。即ち、洗礼の儀式では魂の浄めのシンボルとして、水を注ぐことが必要とされるからです。
キリスト教徒を狩り出すために、踏み絵が毎年行われました。

 明治5年(1872年)に切支丹禁制の高札が廃止されるや、神父は、240年ぶりに再び崎津に帰ってきて、隠れキリシタンから熱烈な歓迎をうけました。かくして二世紀半の間、文字通り隠れて守り抜いた先祖代々の信仰を公に行うことの出来る新しい時代が訪れたのです。
現在この教会は津崎の400名のキリシタン信者の祈りの家として、毎日使用されています。

世界に平和が訪れるよう 神に祈りましょう。
平和の願いをこめて神に祈る時、もはやあなた方は単なるキリシタンの夢の島への歴史の探究者ではありません。平和な世界の協力者、平和のための巡礼者となられるのです。
キリストは次のように約束なさいました。「平和のために働く人は幸いである 彼らは神の子らと呼ばれるのであろう。」・・・

北極星を信仰するロマンチックな信仰と近所の妙見寺

2019年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので宗教に関連したことを書きたいと思います。
今回は妙見信仰をご紹介したいと存じます。この信仰では、古代エジプト人が太陽神を崇めるように北極星を信仰する宗教なのです。
キリスト教の神が宇宙を支配するように北極星が全能の神のように森羅万象べてを司るのです。
これは中国の道教の中の一つの宗教で、妙見信仰として日本にも伝承されています。
近所の稲城市にこの妙見信仰の妙見寺があることを偶然知り、昨日さっそく写真を撮って来ました。この妙見寺のことは、http://www.myoukenji-i.com/ に出ています。
昨日、撮って来た写真を示します。

1番目の写真は北辰妙見尊を祀る神社の鳥居と北辰妙見寺の山門の写真です。北辰は北極星のことですから北辰妙見尊の意味は北極星妙見菩薩の意味になります。北辰妙見寺は天台宗のお寺になっています。
山上の奥の院は妙見宮と言い、本尊は北辰妙見尊です。寺の本尊は阿弥陀如来です。

2番目の写真は北辰妙見寺の山門前の石碑で天台宗、神王山、妙見寺と書いてあります。

3番目の写真は北辰妙見寺の本堂です

4番目の写真は北辰妙見寺の鐘楼です。

5番目の写真は長い階段を登った上にある山上の奥の院、妙見宮の前にある鳥居です。
足の悪い小生は登れないので家内が登って行って撮って来ました。

6番目の写真は稲城市百村の妙見尊で毎年8月7日に行われる伝統行事の蛇より祭の説明板です。
干した茅で約100メートル位の長さに拠り込んで蛇を作る祭りです。頭にあたる部分は別に編み、角をつけます。
茅を素材とした大蛇が作られ、神仏混淆の中で僧侶により儀式が行われる特色を持つ希少価値の珍しい行事として認められ、平成4年に東京都の無形民族文化財として指定されました。

さて日本にはキリスト教や仏教や神道や中国の道教などさまざまな宗教が混然一体となって存在しています。そしてそれらは時代の推移にともなって変化して行きます。
妙見信仰をはじめ、風水や陰陽道や庚申塔信仰は仏教とは異質の道教起源の信仰です。
妙見信仰についての明快な説明は、「戸原氏のホームページ」
( http://www.y-tohara.com/ )にあります。
それによると妙見信仰とは道教の北極星(北辰)と北斗七星に対する信仰であり、日本では仏教と混淆し、北辰妙見菩薩に対する信仰に変化したのです。
一方、神道と混淆したのが「天御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)です。
この北極星信仰は、その動かない星が北の空にあって宇宙の全てを支配する最高神すなわち天帝として崇める宗教なのです。そして北斗七星は天帝の依頼を受けて人間の行状を監視し、その生死や禍福を支配しているのです。

この北極星と北斗七星の信仰は推古天皇のころ日本へ入ってきたと言われています。
奈良の飛鳥にある高松塚古墳の天井に北斗七星が描かれ、北壁には北極星の象徴である玄武像(カメと蛇が絡み合った像)が描かれていたのは日本へ北極星と北斗七星の信仰が入ってきた証拠と言われています。
正倉院の御物にも北斗七星が描かれているので奈良時代には北辰信仰が入っていたと考えられています。
この北辰信仰が時代とともに仏教と混淆して、妙見信仰へと変化していったのです。

私的なことで恐縮ですが、私の祖父が住職をしていた兵庫県の曹洞宗の正林寺に行くために何度も乗った能勢電鉄の終点が能勢妙見さんでした。本尊さんは北辰妙見菩薩なのです。
その関係で能勢の妙見さんのことは昔から知っていた懐かしい場所なのです。
この妙見信仰のお寺は能勢氏が1600年頃に建立したものです。そして能勢氏は日蓮宗の信者だったので法華経の守護神の北辰妙見菩薩をご本尊にしたのです。
この能勢の妙見さんは三大妙見の一つとして江戸時代中期頃から参拝者が増え、大いに賑わっていたのです。関西地方の名所の一つだったのです。
ですからこそ能勢電という鉄道も出来たのです。
能勢妙見の写真は、http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/nose-myouken.html に出ています。

このように日本の宗教的な風土では仏教も道教も神道も混淆して、日本独自の信仰対象にしてしまうのです。
ですからこそ日本の宗教は元来の教義や信仰の内容が時代とともに変化するのが特徴と言えると思います。もちろん宗教の変化はどこの国でも起きますが、日本の変化の様子は非常に独特なものと考えられます。


それはそれとして、今日も皆様の心の平和とご健康をお祈り申し上げます。後藤和弘