甲州街道の大垂水峠をはるばる越えて行くと、相模湖のかなり手前に善勝寺があります。
私は誰も行かない山の中の静かなお寺が好きです。観光客が皆無なので俗化していません。静かです。新鮮な空気が心地良いのです。
昨日もそのようなお寺を散策して来ました。
お寺の全景や山門や本堂や鐘楼の写真4枚と大垂水峠の道路の写真1枚をお送りします。
このお寺は高野山 真言宗 見富山 善勝寺と言います。
この善勝寺は弘法大師空海が諸国巡錫の折り、この地で毘沙門天の尊像を彫り祀ったことが開創と伝承されています。
このせいで現在このお寺は紀州高野山の直の末寺になっています。
しかしはっきり文献が残っているのは明応9年(1500年)以後のことです。、
この1500年に甲州都留郡上鶴島禅定院より宥興法印が善勝寺に入山し堂字の修復、再興を行ったことが『新編相模風土記』に記されているのです。
この宥興法印を第一世として善勝寺の歴代住職が記録されています。
慶安2(1649)年には小田原北条氏から御朱印が下賜され、北条家の祈願寺として朱印地を賜わっています。
本尊は毘沙門天、脇侍が弁財天・善賦師童子の立像です。
弘法大師像は不動、愛染明王を脇仏とし、寛永16(1639)年、鎌倉仏師後藤左近の作と銘があります。
さらにもう一体の弘法大師像と阿弥陀如来像は共に室町時代の特徴を備える尊像です。
寺宝としては、弘法大師ご着用の古納衣、狩野元信筆と伝わる12枚の鷹の絵図などがあります。
所在地 は神奈川県 相模原市緑区千木良1296 です。
こんな辺鄙な山に弘法大師ゆかりのお寺がひっそりと建っているのです。無名のお寺ですが調べてみると弘法大師につながる悠久の歴史があるのです。
何故か豊かな気分になって急坂、急カーブの峠越えの道をゆっくり走って帰って来ました。老境の静かな午後でした。
私は誰も行かない山の中の静かなお寺が好きです。観光客が皆無なので俗化していません。静かです。新鮮な空気が心地良いのです。
昨日もそのようなお寺を散策して来ました。
お寺の全景や山門や本堂や鐘楼の写真4枚と大垂水峠の道路の写真1枚をお送りします。
このお寺は高野山 真言宗 見富山 善勝寺と言います。
この善勝寺は弘法大師空海が諸国巡錫の折り、この地で毘沙門天の尊像を彫り祀ったことが開創と伝承されています。
このせいで現在このお寺は紀州高野山の直の末寺になっています。
しかしはっきり文献が残っているのは明応9年(1500年)以後のことです。、
この1500年に甲州都留郡上鶴島禅定院より宥興法印が善勝寺に入山し堂字の修復、再興を行ったことが『新編相模風土記』に記されているのです。
この宥興法印を第一世として善勝寺の歴代住職が記録されています。
慶安2(1649)年には小田原北条氏から御朱印が下賜され、北条家の祈願寺として朱印地を賜わっています。
本尊は毘沙門天、脇侍が弁財天・善賦師童子の立像です。
弘法大師像は不動、愛染明王を脇仏とし、寛永16(1639)年、鎌倉仏師後藤左近の作と銘があります。
さらにもう一体の弘法大師像と阿弥陀如来像は共に室町時代の特徴を備える尊像です。
寺宝としては、弘法大師ご着用の古納衣、狩野元信筆と伝わる12枚の鷹の絵図などがあります。
所在地 は神奈川県 相模原市緑区千木良1296 です。
こんな辺鄙な山に弘法大師ゆかりのお寺がひっそりと建っているのです。無名のお寺ですが調べてみると弘法大師につながる悠久の歴史があるのです。
何故か豊かな気分になって急坂、急カーブの峠越えの道をゆっくり走って帰って来ました。老境の静かな午後でした。