後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

はるばる峠道を越えて紀州高野山の末寺を訪れる

2019年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム
甲州街道の大垂水峠をはるばる越えて行くと、相模湖のかなり手前に善勝寺があります。
私は誰も行かない山の中の静かなお寺が好きです。観光客が皆無なので俗化していません。静かです。新鮮な空気が心地良いのです。
昨日もそのようなお寺を散策して来ました。
お寺の全景や山門や本堂や鐘楼の写真4枚と大垂水峠の道路の写真1枚をお送りします。









このお寺は高野山 真言宗 見富山 善勝寺と言います。
この善勝寺は弘法大師空海が諸国巡錫の折り、この地で毘沙門天の尊像を彫り祀ったことが開創と伝承されています。
このせいで現在このお寺は紀州高野山の直の末寺になっています。
しかしはっきり文献が残っているのは明応9年(1500年)以後のことです。、
この1500年に甲州都留郡上鶴島禅定院より宥興法印が善勝寺に入山し堂字の修復、再興を行ったことが『新編相模風土記』に記されているのです。
この宥興法印を第一世として善勝寺の歴代住職が記録されています。
慶安2(1649)年には小田原北条氏から御朱印が下賜され、北条家の祈願寺として朱印地を賜わっています。
本尊は毘沙門天、脇侍が弁財天・善賦師童子の立像です。
弘法大師像は不動、愛染明王を脇仏とし、寛永16(1639)年、鎌倉仏師後藤左近の作と銘があります。
さらにもう一体の弘法大師像と阿弥陀如来像は共に室町時代の特徴を備える尊像です。
寺宝としては、弘法大師ご着用の古納衣、狩野元信筆と伝わる12枚の鷹の絵図などがあります。
所在地 は神奈川県 相模原市緑区千木良1296 です。

こんな辺鄙な山に弘法大師ゆかりのお寺がひっそりと建っているのです。無名のお寺ですが調べてみると弘法大師につながる悠久の歴史があるのです。
何故か豊かな気分になって急坂、急カーブの峠越えの道をゆっくり走って帰って来ました。老境の静かな午後でした。

台湾は熱烈な親日国、その先住民の保護政策

2019年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム
台湾は日本の植民地だった時代が長く続きました。それにもかかわらず台湾は熱烈な親日国なのです。
2011年の東日本大震災の時にもいち早く救援隊を派遣し、世界一多額の救援金を贈ってくれたのです。多くの日本人はこの恩を絶対に忘れません。そして非常に多くの台湾の人々が毎年、毎年日本の観光旅行に来てくれます。この台湾の国は「中華民国」と言います。
私が中華民国の人々を尊敬する理由は彼等が寛大にも日本の植民地政策を許し、悲しい歴史を克服して親日国になっているからです。
私が台湾を尊敬する理由はそれだけではありません。中華民国は昔から住んでいた少数民族を差別しないで、その自由な存続を支援しているからです。それは感動的な中華民国の政策です。
今日はこの台湾の少数民族が如何に大切にされているかをご紹介したいと思います。

現在の台湾には16民族、49万人の先住民がいて専用のテレビ局もあり保護されているのです。
台湾の中華民国の政府もこれらの少数民族を丁寧に保護した結果、その総数は増加しています。1929年に14万人余りでしたが現在は49万人まで増加しています。
台湾は1600年代オランダの植民地になると対岸の福建省から多数の漢人の移住が起きましたが、それ以前は先住民だけが住んでいたのです。
それでは早速、現在の台湾の先住民の写真をご覧ください。

1番目の原住民の写真の出典は、http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?cat=18 です。

2番目の写真の出典は、http://newhoshu.blog.jp/archives/4513845.htmlです。

3番目の写真の出典は、http://blog.taiwannews.jp/?p=13944 です。

私はいろいろな世界の少数民族の観光客向けの写真を多数見てきました。多くは失われた祖先の文化を悲しみながら踊りを見せている写真です。観光客のために笑顔を作っていますが何か悲しそうにしています。
ところが上の3枚の写真に写っている人々は心から楽しそうにしています。屈託の無い表情をしています。現在、このような屈託の無い顔をしている少数民族は珍しいと思います。
台湾の政府が彼等を大切にしているのです。
そこで中華民国の少数民族の保護政策を調べてみました。
以下は、「台湾原住民https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%8E%9F%E4%BD%8F%E6%B0%91 からの抜粋です。
1996年(民国85年)に原住民族を所管とする省庁である原住民族委員会が設置されました。そして民主進歩党政権になってから原住民族の地位向上が推進されるようになり、2005年には「原住民族基本法」が制定され、国営の原住民族テレビ(開局時の名称は原住民テレビ)も2005年7月1日に正式に開局するなどしたのです。
さらに現在、民族自治区の設立にかかわる「原住民族自治区法」案の審議が進められています。
台湾では少数民族は差別されていないのです。その証拠の写真を下に示します。

4番目の写真はアミ族出身の陳海琳さんです。
写真の出典は、http://hosyusokuhou.jp/archives/45019854.html です。
台湾を代表する美女を選出する「第8回ミス台湾」決勝大会が2015年7月下旬に高雄市内で行われ、台湾原住民のアミ族出身の陳海琳さん(21歳)がグランプリに選ばれたのです。 そしてこの女性がミス世界コンテストへ中華民国代表として参加したのです。

台湾では現在、平地原住民と山地原住民(高山族)に分けられております。
2008年6月末、高山族現在の人口は488,773人であり、台湾総人口の2.1%を占めています。この10年で人口は23.4%増加し、総人口の増加率4.9%と比べ高いのです。
以下は政府認定16民族と人口です。
各部族の人口(2008年(民国97年)6月1日)、総計:488,773人、
セデック族統計無し[4]。
アミ族(阿美族、アミス族とも、大部分は自称を流用して「パンツァハ族」とも呼ばれる) 175,157人
パイワン族(排湾族) 84,446人
タイヤル族(泰雅族、アタヤル族とも) 82,273人
タロコ族(太魯閣族、トゥルク族とも、アタヤル族に含められることもあったセデック族の一支) 24,001人
ブヌン族(布農族) 49,529人
プユマ族(卑南族) 11,100人
ルカイ族(魯凱族) 11,509人
ツォウ族(鄒族) 6,517人
サイシャット族(賽夏族) 5,623人
タオ族(達悟族、雅美族〈ヤミ族〉とも) 3,448人
クバラン族(噶瑪蘭族)(カヴァラン族) 1,124人
サオ族(邵族) 637人
サキザヤ族(撒奇莱雅族) 5,000 - 10,000人
セデック族(賽徳克族) 6,000 - 7,000人?
カナカナブ族(卡那卡那富族) 500 - 600人?
サアロア族(拉阿魯哇族) 400人?
その他 265人
申告なし 32,859人

5番目の写真は各民族の主な居住地を示しています。
さてこれらの台湾の原住民は何処から来て、何処へ移住して行ったのでしょうか?
この謎は、「台湾資料」、http://www.gicas.jp/taiwan/index.htmlに明快に解明されています。しかし今回は長くなり過ぎるので今日はこれで終わりとします。

さて台湾も日本も中国の東の大海に浮かぶ大きな島です。日本では大和朝廷が遣隋使や遣唐使を送り中国の政治や文化を導入しました。漢字も導入しました。
しかし台湾は17世紀まで文字の無い文化圏だったのです。この比較を考えるといろいろな感慨を覚えます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考記事===============
「台湾のことを想うと心が痛む(3)21万人が日本のために戦い3万人が戦死」
2016年01月28日掲載

「台湾を想うと心が痛む(2)いろいろな外部勢力による支配の歴史」
2016年01月27日掲載

「台湾を想うと心が痛む(1)蔡 英文総統の誕生と蒋介石のことなど」
2016年01月21日掲載