後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日は踊り念仏の時宗の稱名寺の写真を撮って来ました

2019年01月28日 | 写真
「お寺の写真だけを撮っても面白くないわ」と家内が言います。そう言いながらも家内は北風が吹く寺の境内を走りまわり20枚くらい写真を撮って来ます。
観光客の来ない無名のお寺の写真を撮り、その歴史を調べると日本の宗教の実態が理解出来るのです。
私はカトリックの洗礼を受けてから50年近くなります。
その間、日本の宗教をいろいろ調べてきました。日本の宗教を理解すると、自ずとキリスト教の理解も深まるのです。
いずれ日本の宗教の実態をまとめてご報告しますが、今日は踊り念仏で有名な時宗の府中市の稱名寺の写真をお送りします。

1番目の写真は山門です。

2番目の写真は明治初年に建てられた本堂です。

3番目の写真は庫裏です。

4番目の写真は時宗の開祖の一遍上人です。

5番目の写真は地蔵堂です。地蔵堂は日限子育地蔵尊を祀り、近隣の信仰を集めています。
時宗寺院の称名寺の創建年代は不詳ながら、天慶3年(940年)に創建、清和源氏の六孫王源経基が平将門征伐した際に当地に寄宿したといいます。
道阿上人、一光大和尚が寛元3年(1245)に称名寺として開山、江戸時代には寺領13石8斗の御朱印状を拝領したといいます。
確かなことは寛元3(1245)年に一光大和尚が開山したということです。
さて一遍上人ですが、1239年生まれ、 1289年に亡くなりました。鎌倉時代中期の僧侶で、時宗の開祖です。
一遍は大衆を率いて遊行を続け、下人やも含む民衆を踊り念仏で極楽浄土へと導いたと言われています。
その教理は他力で、平生をつねに臨終の時と心得て、念仏する臨命終時宗です。踊り念仏に関して、一遍は「念仏が阿弥陀の教えと聞くだけで踊りたくなるうれしさなのだ」と言ってます。
一遍の踊り念仏は他の修行者の遊行とは違い、見世物興業に近かったのです。人の集まる地域に「踊り屋」という一段高いステージを設け、尼僧が半分混じった男女の踊り手が輪になって歌い踊り、やがて観客を巻き込んで法悦に至る趣向だったのです。その過激な狂乱状態は保守的な人々からは反発を受けました。

時宗は鎌倉仏教で生まれた非常に変わった宗派だったのです。それにしても日本にもいろいろな宗教があるのですね。

日本人、韓国人ヘ送るパウロの愛の言葉、そして夫婦喧嘩など

2019年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の1910年(明治43年)の朝鮮併合は朝鮮にとって歴史的な悲劇です。その結果、現在でも日韓関係は不毛の感情問題が続いています。慰安婦問題、徴用工問題、そして最近の韓国海軍と航空自衛隊の嫌がらせ挑発行為など全ては朝鮮併合に端を発した感情的な対立です。
どちらが良くて、どちらが悪いという議論ほど無意味な議論はありません。
そんな無意味な議論だけを双方の政府が真剣にしているのです。困ったものです。
もっと建設的で格調の高い議論も出来ないものでしょうか?

そこで今日はパウロがギリシャのコリントという都市の信者へ送った手紙を考えてみましょう。
コリントは紀元前9世紀に建設され、商業都市として繁栄したギリシャの一つの都市国家でした。
新約聖書に出ている『コリント人への手紙』は有名で、キリスト教信者でなくてもよく知られている言葉です。

・・・愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への手紙I 13:4〜8)・・・

日韓の間の感情問題にこの言葉を適用するのです。
日本人が礼儀に反することをせず、日本の利益を求めず、怒らず、韓国人のした悪を思わなければ全ての問題は氷解します。
このように書くと右翼的な日本人が反発します。私は一切反論をしません。しかし静かにパウロの言葉を繰り返し言います。
・・・愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への手紙I 13:4〜8)・・・

韓国海軍が新潟県に上陸しようとしているのでは無いのです。韓国人を信頼することが肝要なのです。
韓国人の50%はキリスト教の信者です。『コリント人への手紙』を知っているのです。

話はいきなり低俗な夫婦喧嘩の話になります。我が家でもよく起きます。90%は私が悪いのです。
パウロの言葉の冒頭は夫婦喧嘩のために書かれたと思いたくなります。冒頭は次の通りです。
・・・愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。・・・
自分がこれを実践すれば我が家の夫婦喧嘩はなくなります。
皆様は夫婦喧嘩をしますか?原因を言い合っては解決しません。パウロの言葉を思い出せば良いのです。それでも解決しないようでしたら離婚すべきです。

ついでに書けば、職場における人間関係の問題もパウロの次の言葉で解決します。
・・・愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、・・・
これで上司と部下の間の感情問題はなくなります。
このように書くと、それではゴーンさんのような上司はどうしますかという質問が出るでしょう。
それにもパウロは次のように教えています。
・・・愛は不正を喜ばずに真理を喜びます・・・
ゴーンさんの不正は日本の検察庁が静かに調べているのです。直接関係の無い日本人やフランス人が感情的な意見を言わない方が良いと思います。

上に書いたパウロの『コリント人への手紙』はトランプ大統領へも送りたいと思います。しかしこの記事が長くなり過ぎるのでここで終わりとします。

今日の挿し絵代わりの写は花屋さんの店先で撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様の心の平和とご健康をお祈り申し上げます。後藤和弘