後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

心が豊かな最近の日本人、そして宗教のこと

2019年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム
戦前、戦後は勿論、経済の高度成長期の日本人は心が貧しかったと思います。
他人を、そして外国を競争相手と思い蹴落とすことを無意識に感じていたのです。
それが1990年前後のバブル経済の破綻以後、日本人の心が次第に豊かになって来ました。他人の苦しみや悲しみに心を寄せて優しく接するようになったのです。日本人が優しくなったのです。
そして多くの日本人がいろいろな外国に行って住むようになりました。
どこの国へ行っても、そこに住んでいる人と仲良くなり、楽しい人間関係を作っているのです。
外国で幸せに暮らすには、生まれつきの性格や外国語を知っていることも重要ですが、その国の歴史や文化を尊敬し、現地の人に教えてもらおうという態度が重要です。
私は「Face Book」の会員なので、外国で幸せそうに住んでいる日本人を沢山知っています。 
しかし日本と違って外国では宗教や信仰の問題が大切なのです。

そこで今日は外国の宗教事情を考えてみることにしました。
我々日本人には無宗教の人が多いのです。ですから外国に行っても、その国の宗教とか信仰というものを無視しがちです。
いくら英語やスペイン語やロシア語や中国語や韓国語が達者でもその国の宗教を理解し尊敬していなければ本当には親密になり難いのです。
ある統計によると宗教を信じない日本人が70%前後もいるのです。
このような国は世界中で日本だけの特異なことなのです。例えばアメリカ合衆国では80%前後の人が神の存在を信じています。
それでは世界中の人々はどうのような宗教を信じているのでしょうか?

1番目の写真は世界のいろいろな宗教の信者の分布を示しています。
出典は、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sanka/kyouiku/kaihatsu/chikyu/statistics/public_facilities/graph_01.html です。
この図を見るとキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などが世界を覆っている様子が分かります。
それではこれらの宗教の信者の数はどうなっているでしょうか?

2番目の写真は各宗教の信者数を示しています。出典は、http://www.hm.aitai.ne.jp/~genkou/isikimu/reikonn/syukyoujinkou.html です。
この表によるとキリスト教が22億5千万人、イスラム教が15億人、ヒンズー教が9億人、仏教が3億8千万人となっています。
そして中国の伝統的な宗教が3億9千万人となっています。中国の伝統的な宗教とは仏教と道教と原始的な北斗七星信仰(妙見信仰)などの混淆したものです。

3番目の写真は堂々たる台湾の道教寺院の写真です。道教の寺院と言っても仏教や原始宗教が混淆しているのが普通です。写真の出典は、http://m-mikio.world.coocan.jp/taiwanshuukyou.html です。
以上は世界の宗教に関する情報です。それを知ることは大変重要です。
しかし外国に行ったらそこの宗教行事に参加することも非常に大切です。
日本にいる外国人が良く神社の御神輿を担いでいる光景をテレビで見ます。親しみを感じます。
外国人は日本の宗教行事に参加すればより幸せになれるのです。
ですから外国に行ったらそこにある寺院や教会やモスクを訪問することです。異教徒でも入って良い場合は、中に入って信者の祈っている姿を尊敬しながら眺めます。
無宗教でも異教徒でも拝んでよい場合は現地の人々と一緒に祈ります。
例えば道教寺院では長くて太い線香を買って、周りの人々を真似して家内安全、無病息災を祈ります。そうすると道教寺院に来る人々の悩みや苦しみを共有しているような気分になります。
そしてカトリックの教会では常に扉が開いていて、誰でも出入り自由です。中に入って静かに座っていると信者が独りでお祈りに来ます。座ったり、膝まづいて祈っています。祈っている人の悩みや苦しみを共有しているような気分になります。
深い親近感が湧いてきます。尊敬の念も湧いてきます。

話は飛びますが、昔、南米のカラカスという大都会に行ったことがあります。日曜日にカトリックのミサに行きたくなりました。ホテルのカウンターで聞くと裏にある大闘牛場で日曜日の朝10時からあるから行きなさいと教えてくれます。
そのミサの光景は一生忘れられません。闘牛士と牛が死闘をしていた広場の中央に大きな赤い絨毯が敷いてあります。その上に数十人の神父さんたちが立っています。周りには折りたたに椅子に座った信者たちがビッシリといます。そして私が立っている高い観客席にも信者がいます。
後で聞いたことですが、その信者は皆、山の斜面にある貧民街の住人たちだったのです。原住民の血が混じった浅黒い人々です。
一緒に讃美歌を歌い、一緒に祈りました。それがキッカケで、後に山の斜面の村落に行ったのです。
この体験のおかげで人間の苦しみや悩みは貧富や国籍に関係なく、皆同じだという確信を持つようになりました。
そこで、その後、いろいろな外国へ行った時、その土地の寺院や教会を訪問するようになりました。一緒に祈りました。
その土地の人々と話をするとき、その国の信仰に感銘をうけたと少しだけ話をします。そうすると相手も親近感が湧くらしくていろいろな話をしてくれます。
私は知ることだけでなく、一緒に体験をすることが大切だと信じています。
悩みや苦しみを共有する努力が重要だと信じています。
すると「あらゆる民族の宗教には優劣が無い」ことが確信出来るのです。

現在、世界中の外国に住んでいる日本人はその国の宗教を尊敬していると思います。
その国の宗教行事に家族と共に参加していると思います。
そんな日本人は心豊かな日本人です。外国で周囲の人に愛されている日本人です。

最近の日本人は本当に心が豊かになったものです。戦前生まれの私は隔世の感に耐えません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)