後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

花々の写真を見ながら春の過ぎ行くを惜しむ

2019年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム
東京の桜も峠を越して近郊の雑木林には浅緑の若葉が出はじめました。
如月に早咲きの梅の開花を喜んだのはつい昨日のように思います。
それからモクレンやコブシが咲き、春の日が足早に過ぎ去って行きました。
今朝はこの春に撮った花々の写真を見かえしながら過ぎ行く春を惜しみました。
そんな花々の写真をお送りいたします。

1番目の写真は今年はじめて見つけた珍しい黄梅という中国の花です。中国では春一番に咲く花なので「迎春花」(インチュンホア)と呼ばれ大切にされているそうです。

2番目の写真はユキヤナギです。ユキヤナギはあちこちに咲いていますがこれは如何にも咲き乱れるという風情です。国分寺市にある都立武蔵国分寺公園で撮りました。

3番目の写真は海棠の紅い花です。背景の緑の若葉とのコントラストが面白いと思い撮りました。

4番目の写真は小金井の金蔵院の枝垂れ桜です。曇り日だったので鮮明でありません。しかし金蔵院の枝垂れ桜は今年はじめて発見した桜です。山門に隠れて見えなかったのですが車を回して山門の内側に入れると見事な枝垂れ桜が一本あるのです。来年は晴天の日に撮ります。

5番目の写真はレンギョウです。レンギョウはあちこちの家の庭先に咲いていますが写真を撮ると家が背景に入ります。この写真のように桜を背景にしたものはすこし探し回って撮ることが出来ました。都立武蔵国分寺公園で撮りました。

さて昨日は令和という新しい元号の発表がありました。
そして間もなく終わる平成は平和な時代だったと新聞に出ています。
令和も平和な時代になるように皆が祈っています。
マスコミは日本が平和な良い国だと自讃しています。
日本全体がかつて大きな戦争があったことを忘れたようです。
しかし祈りというものは唯漫然と神に祈っては不十分な気がします。
かつての大きな戦争の犠牲者を思い起こし、その犠牲者と残された家族の悲しみに心を寄せることが大切だと思います。
そこで忘れてはいけないかつての戦争によるアジア、太平洋各国の犠牲者数を改めてお送りします。出典は、https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-11-04/faq12_01.html です。

まず1963年の厚生省発表の日本人の議性者数を記します。
・・・1945年8月15日までの15年にわたる戦争は日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上の犠牲をもたらしました。
  日本が起こした戦争は、アジア大陸と太平洋各国に2000万人以上の死者をふくむ惨害をもたらしました。
この数は、各国の政府公表あるいは公的発表にもとづくものです。
 中国1000万人以上。ただし中国国務院によると2000万人との報告もあるのです。
べトナム200万人、インドネシア400万人(サンフランシスコ講和会議での同国代表発言)、フィリピン111万1938人(対日賠償要求)、インド150万人(べンガル飢餓死者のみの推計、政府任命飢餓調査委員会)、ニュージーランド1万1625人(政府公表)、オーストラリア2万3365人(同)、そのほか泰緬(たいめん)鉄道建設に投入された労働者の各国死者7万4025人(英国調査)など。
ミャンマーやシンガポール、朝鮮などをのぞいても、これら諸国の公的発表の死者数だけでも1872万から2872万人を数えます。
さらに日本の支配のもとにおかれた朝鮮では、36万4186人が軍人・軍属として戦場にかりたてられ、死亡・行方不明者15万人(推定)、強制連行などによる死者・行方不明者をふくめ20万をこえる人びとが犠牲となりました。・・・

令和という新しい時代の始まりにあたり上記の無数の犠牲者と残された家族の悲しみに心を寄せることが大切だと思います。その上で平和を祈れば神様は必ずや祈りを聞き入れてくれます。平和の祈りは悲しみや苦しみがともなうものだと私は考えています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)