後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

水芭蕉曼荼羅を描き続けた佐藤多持画伯の世界

2019年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム
絵画の美を楽しむためには説明など不要です。何も考えずに絵画の美しさに没頭し、その芸術を楽しめば良いのです。
水芭蕉曼荼羅を描き続けた佐藤多持画伯も例外ではありません。
水芭蕉曼荼羅の写真を5枚お送りしますのでお楽しみ下さい。









私はこれらの絵画は好きです。見ていると私の心が俗世間から離れある高い所に飛んでいきます。伸び伸びとした自由な明るい気分になるのです。その上色彩が美しいのです。
何故、日本画の佐藤多持が生涯をかけてこのような抽象画を描き続けたのでしょうか?
その答えは彼が真言宗の観音寺に生まれ育った経歴にあるのです。
水芭蕉曼荼羅の水芭蕉は彼が若い頃に感動した尾瀬の水芭蕉の花のことです。
そして曼荼羅とは主尊を中心に描き、諸仏諸尊が取り囲んだ構図の円形の宗教画のことです。
古代インドから伝承した密教の宗教画なので曼荼羅はサンスクリット語を音訳したもので漢字には意味がありません。
ほとんどの密教経典は曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表しています。その種類は数百にのぼると言われています。
そして曼荼羅はこの宇宙を抽象的に描いたものなのです。理想的な宇宙のあり方を抽象的に描いた宗教画なのです。
以上を要約すると曼荼羅の特徴は、
(1)円形であること。
(2)抽象的に理想的な宇宙を描いたもの。

6番目の写真は曼荼羅の一例です。中心に坐っているのが大日如来などです。それを囲んでいろいろな如来や菩薩が描かれ、絵の一番下に一般衆住が描かれています。
佐藤多持画伯はこの密教の曼荼羅を水芭蕉に託して芸術的な抽象画として描き続けたのです。
なお密教とは教団の中で秘密の教義と儀礼を伝承のみによって伝えていく仏教のことをいいます。
密教と逆の立場にあるのが顕教です。顕教は広く大衆に向かって世界観を語り、明瞭な言葉で仏教の教えを説く仏教の宗派です。

7番目の写真は昨日、観音寺の入り口で撮った観音菩薩の写真です。観音寺では今日と明日、佐藤多持画伯の描いた襖絵38枚を無料公開しています。
なお『生誕 100年 佐 藤 多 持 展 ~ 水 芭 蕉 曼 陀 羅 』がたましん歴史・美術館で下記のように開催されています。
前 期 展 : 2019年 4月 2日(火)~5月 12日(日)
後 期 展 : 2019年 5月 18日(土)~6月 30日(日)
詳しくは、https://www.tamashin.or.jp/pdf/top_info_10.pdf をご覧下さい。
この他にも下記の場所でも佐 藤 多 持展が開催されています。
青梅市立美術館、4月6日ー5月26日
たましんギャラリー、4月4日ー6月4日
画廊「岳」、4月9日ー18日
ギャラリー国立、6月20日ー25日

今日は隣町の国分寺市の観音寺に生まれ、水芭蕉曼荼羅を描き続けた佐藤多持画伯の世界をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料==============
佐藤多持
没年月日:2004/10/21 享年85。 
 日本画家の佐藤多持は1919(大正8)年4月16日、東京府北多摩郡国分寺町の真言宗観音寺の次男として生まれる。本名保。戦後用いるようになった雅号の「多持」は、仏法加護の四天王のうち多聞天と持国天の頭文字をとったもの。1937(昭和12)年に東京美術学校日本画科に入学して結城素明に学ぶが、41年太平洋戦争のため繰上げ卒業となり、42年麻布三連帯に入隊。しかし演習中の怪我がもとで除隊、43年より昭和第一工業学校夜間部の教師となり、戦後は工業高校となった同校に85年まで勤めた。
戦後一時期、山本丘人に師事するかたわら油絵も試み、47年第1回展より第10回展まで旺玄会に出品。また読売アンデパンダン展にも第1回展より日本画を出品。56年無所属となり、翌57年幸田侑三らと知求会を結成、1996(平成8)年同会の解散まで制作発表の場とする。
ジャパン・アートフェスティバル展にも出品し、77年第3回国際平和美術展で特別賞を受賞した。
戦後まもない頃に尾瀬へのスケッチ旅行で水芭蕉に出会って以来、一貫してこれをモティーフに描き続けたが、その作風は具象的なものから、半球形や垂直線、水平線のパターンによる構成を経て、60年代より大胆な墨線の円弧を用いた抽象的でリズム感のある“水芭蕉曼陀羅”シリーズへと移行していった。
80年生家である観音寺庫裏客殿の襖絵38面を5年越しで完成。
85年池田20世紀美術館で「水芭蕉曼陀羅・佐藤多持の世界展」、86年青梅市立美術館で「創造の展開―佐藤多持代表作展」、92年たましん歴史・美術館で「佐藤多持の世界 水芭蕉曼陀羅が生れるまで」展、99年には中国・上海中国画院美術館で「日本佐藤多持絵画展」が開催された。著書に『戦時下の絵日誌―ある美術教師の青春』(けやき出版、1985年)がある。