後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

新元号、令和にまつわる私の悲しみ

2019年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム
今日の花の写真は三鷹市の花と緑の広場のポピ-畑の風景です。昨年の4月に撮った写真です。色の違う花々の種を播く場所を考えて播いた人の心を想像すると楽しくなります。
お楽しみ頂けたら嬉しいです。









さて今日私が書きたいことは日本人がオリジナリティを尊重しないことが悲しいということです。
令和の原典が中国で530年頃に出来た「文選」なのに、日本の万葉集だと発表した安倍政権と日本のマスコミのオリジナリティ無視の態度が日本文化の軽薄さを表しているようで悲しいのです。
私は静かに悲しむだけですがネット社会では怒っている人もいます。
また「文選」の令と万葉集の令の意味が少し違うからやはり出典は万葉集で良いと抗弁する人もいるのです。

これは日本の工業界が外国の製造技術を模倣し少しだけ変えて特許料を払わない手法と同じです。
国際的な特許に関する法律に違反はしていませんが「汚いやり方」なのです。
だから私は悲しいのです。

もう少し分かり易く書きます。
「文選」の中にある『歸田賦』は張衡によって後漢の順帝永和三年(紀元138年)に作られ漢詩です。
その冒頭を示します。

仲春令月,時和氣清・・・以下略。

一方、万葉集の「令和」の文字を引いたのは、万葉集巻五の梅花の歌の「序」と発表されています。この梅花の歌は32首あり、大伴旅人を中心とするグループが詠んだものです。漢字の音だけをあてて表記された「歌」と違い「序」は漢字を使った漢文体でした。その冒頭に次ぐ部分です。

初春令月 氣淑風和・・・以下略。

初春の良き月にして 氣良く風やわらぎ・・・以下略。

もう説明は不要でしょう。誰が見ても令和の出典は「文選」の中にある『歸田賦』なのです。

そして令和のオリジナルな提案者は中西進ではないかと今日の読売新聞に礒田道史が書いています。
中西進本人は発表しないことになっていますと言うだけです。
これこそ日本人がオリジナリティや独創性を無視することを明快に表してるのです。

日本人の科学部門のノーベル賞の受賞者は大部分欧米の大学で研究しているのも日本社会がオリジナリティや独創性を無視することに起因しているのです。
個人の独創性を無視することは個人を尊重しないことと同じです。
私は個人を尊重しない日本文化が悲しいいのです。

しかしその一方で新元号が令和と決まって嬉しく思います。
そして新しい令和の時代も平和で幸多い時代になるように祈っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)