後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

高齢者は風景写真は見るが文章は読まない

2019年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム
趣味はいろいろ楽しみましたが高齢になり体力の無くなった現在は風景写真を撮ることと文章を書くことだけになってしまいました。そうしてネット上のこの欄に掲載しています。
すると日本人はもとより外国の方々からもコメントを頂きます。私の写真と文章を通して多くの人々と交流が出来るのです。それが楽しいのです。
ところでコメントを下さる方は圧倒的に高齢者のようです。
そのコメントの内容や反応を見ると高齢者は風景写真は好きですが下手な文章は読まないようです。
私自身も晩期高齢者なので他の方々の風景写真は見て楽しみますが文章は読まない傾向があります。
そのことは充分理解していますが文章を書くのも私の趣味です。ですから風景写真と駄文を組み合わせてこの欄に掲載しています。
どちらを見るかは読者の方々の自由です。あれこれ考えて撮った写真ですのでご覧頂けると嬉しいのです。
文章のほうは自分の興味で少し調べたことを簡略に書いたものです。
そんな訳で今日もまず山と海と新緑の風景写真を3枚示します。

1番目の写真は先週鎌倉へ行ったとき撮った青い海の写真です。よく見ると沖に釣り船のような船が写っています。風景写真には単に自然だけでなく人間のいとなみを少し加えて撮るようにしています。自然の美しさがより強く感じるようにしたつもりです。

2番目の写真は山梨県の甲斐駒岳を釜無川にかかっている橋の手前から撮った写真です。左の山並みは鳳凰三山へ続く山稜です。自動車道路を手前に入れ山の雄大さを示そうという意図です。

3番目の写真は鎌倉の八幡さまの裏山の新緑を撮った写真です。手前に大鳥居の半分を入れその赤色と新緑の浅い緑のコントラストを撮ったつもりです。
今日の風景写真はこの3枚だけです。

以下には先週訪れた円覚寺と臨済宗について数日調べたことをご紹介したいと思います。
円覚寺は鎌倉幕府8代執権の北条時宗によって弘安5年(1282年)に建てられました。
初代の住職は中国人の和尚、無学祖元でした。

4番目の写真は私が好きな坐禅堂です。元禄12年(1699年)建立で茅葺き屋根の建物です。仏殿が再建されるまでは、この堂が仏殿を兼ねていたそうです。

5番目の写真は非公開の国宝の舎利殿です。この写真は自分で撮ったものではなくネット情報からお借りしたものです。
神奈川県唯一の国宝建造物です。室町時代中期の建築と推定されています。禅宗様建築を代表するものとして評価は高いそうです。

さて臨済宗ですがこの宗派を少し調べるといわゆる「鎌倉仏教」が理解出来ると思い調べました。
臨済宗は、中国の禅宗五家の1つで、日本仏教においては臨済宗や曹洞宗などの禅宗の1つで代表的な鎌倉仏教の1つです。
この臨済宗は、宋時代の中国に渡り学んだ栄西(1141年 - 1215年)らによって日本に伝えられ、様々な流派が成立したのです。
ぞの宗派の数は実に多くその一部を示すと以下のようになります。
建仁寺派、東福寺派、建長寺派、円覚寺派、南禅寺派、国泰寺派、大徳寺派、向嶽寺派、妙心寺派、天龍寺派、永源寺派、方広寺派、相国寺派、佛通寺派、興聖寺派など。
そして歴史書には次のようなことが書いてあります。
・・・同じ禅宗の曹洞宗が地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、鎌倉幕府、室町幕府という時の武家政権との結び付きが強かったの臨済宗です。
そして京都五山、鎌倉五山のどちらも全て臨済宗の寺院で占められているのです。・・・
私は歴史書を読む時には何時も疑問を持って読むことにしています。
そこで隣町の小平市にある臨済宗の円覚寺派のお寺の小川寺と平安院に行きました。

6番目の写真は小川寺(しょうせんじ)の山門です。臨済宗円覚寺派の寺院です。 この寺は、名主の小川九郎兵衛が江戸時代の暦2年(1656年)頃に小川村の農民のために建てました。

7番目の写真は臨済宗円覚寺派の平安院の山門です。先週撮りました。この寺は小川寺6世の住職の省宗碩要禅師により作られました。江戸時代の元文4年(1739)の創建で、これも小川村の農民を檀家にした農村のお寺でした。
この小川寺と平安院のありかたを見ると、臨済宗は確かに鎌倉幕府時の武家政権との結び付きが強かったのが特徴でしたがその後は曹洞宗と同じように農民のための宗派になったことが明白に理解出来ます。
このように歴史書の記述をより正確に理解するために地方史を現地に行って調べるのも私の趣味なのです。
話がくどくなりましたので止めます。
皆様がお付き合いなさっているお寺の宗派とその歴史を調べると面白いと思います。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)