後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

木々は光を浴びて新緑の美しい季節

2019年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
木々は光を浴びて新緑の美しい季節になりました。
その写真を撮ろうと思い埼玉県の所沢の農村地帯に行きました。そこは広い畑の北側に雑木林が北風を防ぐように植えてあります。クヌギやコナラやカシやエゴノキやシデやヤナギ、そしてケヤキなどが自然林のように混在しているのです。
私はその雑木林が好きで春夏秋冬のすべての季節に訪れます。何十年もその風景は変わりませんが樹々が次第に大きくなって来ました。
昨日訪れたら新緑が春の陽を浴びて輝いていました。そんな写真をお送りします。









陽を浴びて輝く雑木林を見ると森 有正が1972年に出した「木々は光を浴びて」という随筆を思い出します。
題目につられて1975年に購入して何度も読み返しています。しかし森 有正はこの随筆集に哲学的思索の結果を書いているのです。分かる部分もありますが理解出来ない部分もある難解な本です。

陽を浴びて輝く雑木林を見るともう一つの本を思い出します。辻邦生が1976年に筑摩書房から出した「秋の朝 光のなかで」という短編小説です。これは一行一行全て分かります。短い詩的な美しい小説です。
霧の美しい朝、港の喫茶店でコーヒーを飲んでいる私の前に逃げてきた男が現れるのです。この男との会話を短い小説にしたのが「秋の朝 光のなかで」です。
「秋の朝・・・」と季節は合いませんが以下にその荒筋をお送りします。

・・・ぼくは画家を目指していたが、今は港で荷揚げ作業をしている。
霧の深い朝ぼくは港の傍にある店の前のテーブルで熱いミルクとトーストを摂っていた。
霧の中から灰色の服を着た中年の男が現れ、ぼくに「煙草、ありますか?」と問いかける。
ぼくはミルクとトーストもすすめた。
優しい眼をしたその男は「私は運がありません」そして「走ることが嫌いです」と話し出します。
霧が晴れはじめ、空がばら色になり赤赤と朝日が照らし港は美しい風景になります。

男は「綺麗ですね、霧が朝日に染まるのは」と言いながら「私は、やっと幸運にめぐまれました」と独り言のように話すのです。
「空にむかって地面が開いているのが好きです。」・・・「囲いはいやですね。壁は罪悪の象徴です」・・・「外の地面には緑の木、緑の草がありますね」。

ぼくは朝の光が僕らの坐っているところまで届いているのを見た。「お逃げなさい。あなたは囲いのなかに戻っちゃいけませんよ」。
「いや。私は戻りませんとも。私ははね、この囲いのない地面で、もう十分なんですよ」
その時、警察自動車が三方から囲むように近づいて来ます。
「ミルクとトースト、すばらしくおいしかったですよ。隠れるのはもういやなんです」
・・・「私は永遠を信じています。私は朝の光のなかで永遠を味わったんです」
囚人服の男は港にむけて走りつづけた。生涯でただ一度の疾走を彼は試みていた。永遠に囲いのない国へーー

「停まれ」「停まらぬと撃つぞ」ぼくはもう何も見られなかった。
「神さま、おゆるし下さい」ぼくはつぶやいた。
港のほうでは工場のサイレンがながながと尾をひいて鳴り渡っていた。
逃げた男はピストルで撃たれて不運な生涯を終えたでしょうか。それとも弾が外れて又監獄に戻ったのでしょうか。海へ逃れたのでしょうか。それは読者の想像に任せています。
木々が光を浴びて新緑の美しい雑木林の風景を見ながら辻邦生の「秋の朝 光のなかで」を思い出していました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)