後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「儚く消えてしまった合歓の木(ネムノキ)が残した写真」

2019年06月08日 | 写真
毎年、夏になると白い綿のような花を咲かせていた合歓の木(ネムノキ)の大木の物語です。それが2009年に行って見たら忽然と消えていました。大木の持ち主が切ってしまったのです。
夢幻のように消えた花の写真は2008年7月に撮ってブログで掲載してあります。今後は絶対に見ることのできないムネノキの花を偲んで写真を、ここに3枚掲載いたします。
繊細な構造の花の感じをお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
  
撮影場所:北杜市武川町、横手の「みよしや」の前の三叉路の北角に有りました。高さ8m位の大木です(電信柱や看板に囲まれていて全体の写真が撮れませんでした)。 撮影日:2008年7月19日17時と20日9時、撮影者:Mrs.藤山





欧米人が人権を重要視する本当の理由

2019年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は毎年6月になると庭に咲くあやめ、未央柳、オキザリス、紫陽花の花を順に写真示します。
あやめは10年以上前に潮来のあやめ祭で買って来たものです。今年もやっと咲き出しました。11年前の6月17日に私は霞ヶ浦の西端の土浦港から観光船に乗り、遥か東端の潮来のあやめ祭を見に行き買って来たものです。
まず我家の庭に咲く花の写真をお楽しみ下さい。









人権という言葉は私は理解出来ません。理解出来ない人造語なので嫌いです。日常生活では私は使わない言葉です。
しかし天安門事件の30周年記念にあたり、欧米諸国は中国政府が最近ますます人権を踏みにじるようになったと非難しています。
その一方、我々の安倍総理は人権問題で中国を非難しません。一般の日本人も人権問題には関心が薄いのです。
欧米諸国だけが人権、人権と大騒ぎしているようです。

私は 2019年06月05日に「天安門事件を深く考える」という記事を掲載しました。
そうしたら趣味人倶楽部の「でいしゅうさん」が次のようなコメントを投稿して下さいました。
・・・日本人は人権を金に換算して考えます。基本的人権よりも、明日の白飯の心配をします。縁側の盆栽を大切にする人々です。
新宿の騒乱、上尾事件、秩父騒動、伊勢暴動、米騒動なんて、発生した年さえ忘れています。天安門なんて外国ですよ。・・・

今日の私の主張は日本人は人権という概念が嫌いだ。しかし欧米人は大好きだということです。
その欧米人が人権を重要視する本当の理由を明快に書きたいのです。

さて欧米人が人権を大好きな理由は次のような3つと考えられます。

(1)人間は平等で、そして自由で幸せな暮らしを求める権利がある。この権利は性別、国籍、宗教に関係無く全ての人間が普遍的に持っている権利なのです。これを人権と言います。

(2)人権が制限されている国々を指導してその国民を幸せにしたいと思う欧米人がいるのです。
あるいはそれを「経済制裁」のように外交政策に使う政治家もいるのです。
この外交政策はアメリカが時々進める「人権外交」というものです。
これには仮想敵国を攻撃する目的も含まれています。
今回、アメリカが中国政府を人権問題で攻撃しているのはこの「人権外交」の一つの実例です。

(3)人間は平等で生まれながら自由なのは、それを神が与えたからなのです。
人権はキリスト教の教義の重要な一部なのです。しかしこの事は絶対に言ってはいけません。
言ってしまえば人権は宗教に関係無く全ての人に普遍的に備わっている人類共通の基本的権利だということが嘘になってしまうのです。
人権は仏教徒でもイスラム教徒でもキリスト教徒でも無宗教の人でも共通に備わった基本的権利だということが嘘になってしまうのです。
ですから欧米人は人権は神から貰った権利だとは絶対に言わないのです。言えないのです。

私はカトリックです。ですから人権は神が与えて下さったと強く信じています。欧米人の多くはそう信じていると理解しています。いや世界中の何十億人のキリスト教信者はそのように考えているのです。
これこそ欧米人が人権を重要視する本当の理由なのです。これが欧米人の本音なのです。
ですからこそ欧米人は神の与えてくれた人権を大切にするのです。重要視するのです。

よく日本人は人権は宗教と無縁の、イギリス革命(権利章典 1689年)やフランス革命(人権宣言 1789年)などによって宣言されたから宗教と無縁だと言います。
しかしこの理解はあまりにも皮相的です。
世界中どこの国にも外国へ言えない本音の文化があると理解し、それを相互に許し合うことが世界の平和を作るのです。あなたはそのようにお考えませんでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 後藤和弘(藤山杜人)