アメリカの1960年頃の黒人差別は酷いものでした。
私は1960年から二年間、オハイオ州立大学に留学し州都コロンバス市に住みました。バスに乗ると、白人は前半分の席、黒人は仕切りの後ろ。遠慮して黒人の席に座ったら、白人男性が寄って来て、君は前半分に座れと言う。それ以来、白人席の末席に座るようにしました。
コロンバス市の南半分は黒人街、北半分は白人が住む場所と厳格に分かれていた。白人街にある映画館やレストランは白人専用で、黒人はよほどのことがない限り立ち入らない。
オハイオ州立大学には黒人学生がいたが、その数は圧倒的に少ないのです。教授は皆白人でした。実験室の掃除人はメキシコ人で、黒人はいませんでした。初めのころは差別に心が痛み暗い気持ちになりました。しかし、少し経つと慣れてしまい、当然と思うようになったのです。怖い変化でした。
アメリカは自由と平等の国というが、60年前には凄い黒人差別が厳然としてあったのです。
このような厳しい黒人差別がキング牧師の公民権運動の結果、完全に撤廃されたのです。
その上2009年にはアメリカ史上初の黒人のオバマ氏が大統領に選出され8年間もアメリカ大統領の座についたのです。
1960年代の悲しい黒人差別の実態を見た私にとってはアメリカの人種差別撤廃と黒人大統領の選出は感無量の出来事でした。
アメリカが輝いたのです。
そこで今日はキング牧師の黒人差別撤廃運動でアメリカの黒人差別が消えてしまった経緯を簡略に書いてみました。なお公民権とは公の社会生活のなかの諸々の個人の権利のことを意味します。
キング牧師は1929年に生まれ、1968年4月4日に暗殺されました。バプテスト派の牧師でした。
アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者でした。
「I Have a Dream」(私には夢がある)で知られる有名な演説を行った人物で、1964年にノーベル平和賞を受賞しました。
アメリ人も彼を尊敬しており、2004年には議会名誉黄金勲章を授章します。彼の暗殺後、各州では彼を記念する祝日が制定されます。
まず関連の写真をご覧下さい。
1番目の写真はキング牧師と妻のコレッタです。(1950年代)
2番目の写真は1963年8月、ワシントン大行進にて、“I Have a Dream”の演説を行うキング牧師です。
3番目の写真はウェストミンスター寺院に飾られている「20世紀の10人の殉教者」のレリーフの一部です。左からロシア大公妃エリザヴェータ、キング牧師、ロメロ大司教、ボンヘッファー牧師です。
キングの提唱した運動の特徴は徹底した「非暴力主義」でした。インド独立の父、マハトマ・ガンディーに啓蒙され一切抵抗しない非暴力を貫いたのです。
公民権運動にあたっては、主として南部諸州における人種差別的取扱いがその対象としました。公民権運動は州政府などの地域の権力との闘争という側面も有していました。従ってキング牧師の運動は警察の妨害を受け困難な展開になります。
しかしキング牧師は演説で白人も含めた大衆の心を掴んだのです。
特に、1963年8月28日、ワシントン大集会で、“I Have a Dream”という演説を行います。
この演説はリンカーン記念堂の前で、20万人の聴衆の前で行いました。
内容が人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を簡潔な文体で訴えたものでした。歴史的な名演説だったので白人にも広く共感を呼んだのです。それはアメリカ国内のみならず世界的に高く評価されたのです。
この演説の冒頭だけを下に示します。
"I have a dream that one day on the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together at a table of brotherhood."
「私には夢があります。いつの日にか、かつての奴隷の子供たちと、かつての奴隷を使っていた人の子供たちが、兄弟愛というテーブルに一緒に座れるようになるという夢が」
"I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character."
「私には夢があります。いつの日にかこの国が、私の4人の子どもたちが、肌の色でではなく、その人となりで評価されるようになるという夢が」
私はテレビで何度もこの冒頭部分を聞きました。キング牧師の声で。何度聞いても胸が熱くなります。
キング牧師の運動の結果、アメリカ国内の世論も盛り上がり、ついにリンドン・B・ジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定されたのです。それは建国以来200年間はじめてアメリカの法律よる人種差別が終わりを告げるものでした。
そしてキング牧師は1968年4月4日にメンフィス市内のロレイン・モーテルのバルコニーで撃たれて死亡したのです。39歳の若さでした。
犯人のレイは国外に逃亡し、数ヵ月後、ロンドンのヒースロー空港で逮捕され、懲役99年の判決を受けます。その後、彼は服役中の1998年4月23日にC型肝炎による腎不全で死去しました。
さて公民権法でアメリカ人はどのように変わったでしょうか?その後、何度も渡米した私は見ました。白人と黒人が一緒に公園でバーベキューをして楽しそうにしている場面を。白人と黒人の若者が一緒になってダンスパーティをしている場面を。レストランで同じテーブルに坐り楽しげに食事をしている場面を。
その度に私は彼の演説の冒頭部分を思い出し、胸が熱くまります。
「私には夢があります。いつの日にか、かつての奴隷の子供たちと、かつての奴隷を使っていた人の子供たちが、兄弟愛というテーブルに一緒に座れるようになるという夢が」
アメリカの黒人差別の撤廃は世界の国々の黒人差別に影響を与えるのが自然の成り行きではないでしょうか?
これで人間の心の中の人種差別が無くなったわけではありません。しかし少なくとも社会生活の中で黒人差別が撤廃されたことは人類の大きな進歩です。善い改革です。
そして2009年1月20日正午、アメリカ合衆国大統領就任式における宣誓を以てオバマは第44代大統領に正式に就任しました。
オバマはアメリカ合衆国建国以来、初の非白人の大統領であり、初のアフリカ系アメリカ人(アフリカ系と白人との混血)の大統領であり、また初のハワイ州生まれの大統領であり、かつ初の1960年代生まれの大統領であったのです。
オバマ大統領は2期務め2017年に退任しました。
キング牧師の黒人差別撤廃の公民権運動でアメリカは黒人差別が無くなり、黒人のオバマ大統領が選出されたのです。
アメリカが輝く歴史的展開です。1960年の頃の悲惨な黒人差別の実態を知っている私にとって感無量の出来事です。
アメリカは力強く善い方向へ大きく舵を切ったのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)