昨日まで「 ヨーロッパ文化の闇」という連載記事を5回掲載しました。ヨーロッパの中世の暗い歴史を強調し非難した内容でした。
しかしどの民族の文化にも明るい部分と暗い部分があるのです。ヨーロッパ文化の暗い部分だけを強調して書くのは公平ではありません。暗い歴史は日本にも同じようにありますというコメントも幾つか頂きました。読者は公平な気持ちで読んで下さるのです。
そこで今日からヨーロッパ文化の明るい部分を連載したいと思います。ヨーロッパ文化を代表してアメリカを取り上げました。そこに4年間住んでいたのでアメリカ文化の良さを実感していたのです。
連載は「アメリカの輝き」と題して、アメリカに好意的な立場で次のような順序で書いて行くつもりです。
「アメリカの輝き(1)民主主義と個人の尊厳の確立」
「アメリカの輝き(2)黒人差別の撤廃と黒人大統領の選出」
「アメリカの輝き(3)ソ連共産主義に勝ち民主主義を守る」
「アメリカの輝き(4)世界の覇権は握るが他国の主権を尊重」
「アメリカの輝き(5)世界一の科学技術を創造」
今日は(1)民主主義と個人の尊厳の確立です。まず1776年のアメリカの独立宣言を読んでみましょう。
アメリカ独立宣言 (1776年)、(https://ja.wikipedia.org/wiki/民主主義 )
「われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている、その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。その権利を保障するものとして、政府が国民のあいだに打ち立てられ、統治されるものの同意がその正当な力の根源となる。そしていかなる政府といえどもその目的に反するときには、その政府を変更したり、廃したりして、新しい政府を打ちたてる国民としての権利をもつ。」
この民主主義と個人の尊厳の重要性を明記した内容はアメリカ憲法も同じです。
こんな国は欧米では初めてでした。
人民主権を強調し、「すべての主権の根源は、本質的に国民にある」と明記したフランス革命後の憲法は1793年に制定されました。
アメリカ独立宣言 の17年も後だったのです。
1793年憲法では、抵抗権、直接民主主義的要素などを含む憲法が制定されましたが実際には施行されずに終わったのです。
その「人および市民の権利の宣言」は以下のようなものでした。
第1条 人間は、自由かつ権利において平等として生まれ、かつ生存する。(後略)
第3条 すべての主権の根源は、本質的に国民にある。(後略)
第6条 法律は一般意思の表明である。すべての市民は、個人的、または彼らの代表者によって、その作成に協力する権利を持つ。(後略)
この様な民主主義の主張のおかげで欧米は中世の封建時代から抜け出したのです。
18世紀から20世紀にかけて、欧米の主要各国で男性普通選挙や、女性も含めた完全普通選挙が普及します。特に第一次世界大戦や第二次世界大戦は総力戦となり女性の社会進出が進み、また民族自決を掲げて第二次世界大戦後は植民地の独立が続き、多数の主権国家が誕生したのです。
そして一方、19世紀以降、社会主義の潮流の中より暴力革命を唱える共産主義(マルクス・レーニン主義)が登場します。
共産主義陣営は資本主義陣営を帝国主義と批判し、資本主義陣営は共産主義陣営の共産党一党独裁を批判しました。
更に第二次世界大戦頃になるとイタリアではファシズム、ドイツではナチズムが台頭し、国家主義や民族主義を掲げて民主主義を批判したのです。
しかし1991年のソ連の崩壊によりアメリカの民主主義が最終的に勝利したのです。
2007年、国際連合総会は9月15日を「国際民主主義デー」とし、すべての加盟国および団体に対して民主主義に対する意識向上に勉めるように決議をしたのです。
アメリカのフランシス・フクヤマ氏は1991年のソ連崩壊後に、「国際社会において最終的に民主主義が勝利したと述べ、社会制度を巡るイデオロギーの対立が終わり、民主主義が政治体制の最終形態となり永遠に存在し得る制度となった」と高らかに宣言しました。
これらの歴史はアメリカの民主主義の勝利でした。アメリカ文化が燦然と輝いたのです。
しかし民主主義と個人の尊厳とはどういうことなのでしょうか?個人の尊厳などと抽象的に言われてもさっぱり分かりません。
私どもは1960年からオハイオ州に住んでいた体験から、「個人の尊厳」を具体的に説明します。
道路で会った知らないアメリカ人が例外無く挨拶してくれるのです。結婚したばかりの家内に聞くと重い買いもの荷物を持って歩いていると知らないアメリカ人が助けてくれるのです。当時の日本ではありえないことでした。
日本では知っている人に会ったら挨拶します。アメリカでは知っている人も知らない人も平等に大切にします。個人の尊厳を大切にするのです。
その家内が赤ん坊を生む前に現地の赤十字社が妊婦を集めた講習会に参加しました。個人個人の心配を聞き相談に乗ってくれるそうです。日本人もアメリカ人も平等に大切にします。これも個人の尊厳を大切にする一つの例です。
生まれた赤ん坊と家内と車で遊びに行きました。帰りの車が故障してしまいました。道端で途方に暮れて居たら見知らぬアメリカ人が救助してくれました。故障した私の車を遠方の修理工場まで牽引してくれました。アメリカでは知らない人も救助してくれるのです。
私が留学していた大学の先生たちや同級生にも親切にしてくれます。その親切の精神が日本の場合と少し違うようなのです。
日本では親しい人に親切にします。アメリカ人は親しくない同級生もこちらが困っているとごく自然に助けてくれます。
親しい人も親しくない人も平等なのです。嗚呼、これが平等というものかと納得します。
こんな実例を書いていると長くなります。止めます。
今日の挿し絵代わりの写真はアメリカの首都、ワシントンDCの風景と留学したオハイオ州立大学の風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
しかしどの民族の文化にも明るい部分と暗い部分があるのです。ヨーロッパ文化の暗い部分だけを強調して書くのは公平ではありません。暗い歴史は日本にも同じようにありますというコメントも幾つか頂きました。読者は公平な気持ちで読んで下さるのです。
そこで今日からヨーロッパ文化の明るい部分を連載したいと思います。ヨーロッパ文化を代表してアメリカを取り上げました。そこに4年間住んでいたのでアメリカ文化の良さを実感していたのです。
連載は「アメリカの輝き」と題して、アメリカに好意的な立場で次のような順序で書いて行くつもりです。
「アメリカの輝き(1)民主主義と個人の尊厳の確立」
「アメリカの輝き(2)黒人差別の撤廃と黒人大統領の選出」
「アメリカの輝き(3)ソ連共産主義に勝ち民主主義を守る」
「アメリカの輝き(4)世界の覇権は握るが他国の主権を尊重」
「アメリカの輝き(5)世界一の科学技術を創造」
今日は(1)民主主義と個人の尊厳の確立です。まず1776年のアメリカの独立宣言を読んでみましょう。
アメリカ独立宣言 (1776年)、(https://ja.wikipedia.org/wiki/民主主義 )
「われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている、その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。その権利を保障するものとして、政府が国民のあいだに打ち立てられ、統治されるものの同意がその正当な力の根源となる。そしていかなる政府といえどもその目的に反するときには、その政府を変更したり、廃したりして、新しい政府を打ちたてる国民としての権利をもつ。」
この民主主義と個人の尊厳の重要性を明記した内容はアメリカ憲法も同じです。
こんな国は欧米では初めてでした。
人民主権を強調し、「すべての主権の根源は、本質的に国民にある」と明記したフランス革命後の憲法は1793年に制定されました。
アメリカ独立宣言 の17年も後だったのです。
1793年憲法では、抵抗権、直接民主主義的要素などを含む憲法が制定されましたが実際には施行されずに終わったのです。
その「人および市民の権利の宣言」は以下のようなものでした。
第1条 人間は、自由かつ権利において平等として生まれ、かつ生存する。(後略)
第3条 すべての主権の根源は、本質的に国民にある。(後略)
第6条 法律は一般意思の表明である。すべての市民は、個人的、または彼らの代表者によって、その作成に協力する権利を持つ。(後略)
この様な民主主義の主張のおかげで欧米は中世の封建時代から抜け出したのです。
18世紀から20世紀にかけて、欧米の主要各国で男性普通選挙や、女性も含めた完全普通選挙が普及します。特に第一次世界大戦や第二次世界大戦は総力戦となり女性の社会進出が進み、また民族自決を掲げて第二次世界大戦後は植民地の独立が続き、多数の主権国家が誕生したのです。
そして一方、19世紀以降、社会主義の潮流の中より暴力革命を唱える共産主義(マルクス・レーニン主義)が登場します。
共産主義陣営は資本主義陣営を帝国主義と批判し、資本主義陣営は共産主義陣営の共産党一党独裁を批判しました。
更に第二次世界大戦頃になるとイタリアではファシズム、ドイツではナチズムが台頭し、国家主義や民族主義を掲げて民主主義を批判したのです。
しかし1991年のソ連の崩壊によりアメリカの民主主義が最終的に勝利したのです。
2007年、国際連合総会は9月15日を「国際民主主義デー」とし、すべての加盟国および団体に対して民主主義に対する意識向上に勉めるように決議をしたのです。
アメリカのフランシス・フクヤマ氏は1991年のソ連崩壊後に、「国際社会において最終的に民主主義が勝利したと述べ、社会制度を巡るイデオロギーの対立が終わり、民主主義が政治体制の最終形態となり永遠に存在し得る制度となった」と高らかに宣言しました。
これらの歴史はアメリカの民主主義の勝利でした。アメリカ文化が燦然と輝いたのです。
しかし民主主義と個人の尊厳とはどういうことなのでしょうか?個人の尊厳などと抽象的に言われてもさっぱり分かりません。
私どもは1960年からオハイオ州に住んでいた体験から、「個人の尊厳」を具体的に説明します。
道路で会った知らないアメリカ人が例外無く挨拶してくれるのです。結婚したばかりの家内に聞くと重い買いもの荷物を持って歩いていると知らないアメリカ人が助けてくれるのです。当時の日本ではありえないことでした。
日本では知っている人に会ったら挨拶します。アメリカでは知っている人も知らない人も平等に大切にします。個人の尊厳を大切にするのです。
その家内が赤ん坊を生む前に現地の赤十字社が妊婦を集めた講習会に参加しました。個人個人の心配を聞き相談に乗ってくれるそうです。日本人もアメリカ人も平等に大切にします。これも個人の尊厳を大切にする一つの例です。
生まれた赤ん坊と家内と車で遊びに行きました。帰りの車が故障してしまいました。道端で途方に暮れて居たら見知らぬアメリカ人が救助してくれました。故障した私の車を遠方の修理工場まで牽引してくれました。アメリカでは知らない人も救助してくれるのです。
私が留学していた大学の先生たちや同級生にも親切にしてくれます。その親切の精神が日本の場合と少し違うようなのです。
日本では親しい人に親切にします。アメリカ人は親しくない同級生もこちらが困っているとごく自然に助けてくれます。
親しい人も親しくない人も平等なのです。嗚呼、これが平等というものかと納得します。
こんな実例を書いていると長くなります。止めます。
今日の挿し絵代わりの写真はアメリカの首都、ワシントンDCの風景と留学したオハイオ州立大学の風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)