アメリカの科学と技術の独創性は世界一です。そして基礎科学の研究においてもその実用的な価値が重要視されています。
日本の基礎研究では実用的貢献が無視される傾向が強いのです。机上の空論が多いのです。日本には学問というものは実用の役に立たないという考え方があるのです。
これはアメリカの大学で4年間研究生活をした私の体験です。
それはさておきアメリカのノーベル賞の受賞者の数を見てみましょう。
1番目の写真は2019年までの各国のノーベル賞の受賞者の数です。
第1位はアメリカでダントツの275人です。
続いてイギリス、ドイツ、フランスの受賞者が多いのです。日本は6位の28人ですが多くはアメリカでの研究経験者です。
アメリカの科学の特徴は実用性を重視し工業技術に直結していることです。
その良い一例が月へ6回も人間が着陸したアポロ計画です。
アポロ計画は、アメリカ航空宇宙局(NASA)による人類初の月への有人宇宙飛行計画でした。
1961年から1972年にかけて実施され、全6回の有人月面着陸に成功したのです。
特に月面着陸は人類が初めて有人宇宙船により地球以外の天体に到達した事業でした。これは宇宙開発史において画期的な出来事であっただけではなく、人類史における科学技術の偉大な業績です。
それでは、「https://ja.wikipedia.org/wiki/アポロ計画」から写真をお借りしてアポロ計画を振り返ってみましょう。
2番目の写真は1961年5月25日の上下院合同議会で、月着陸計画の決定を発表するケネディ大統領です。
ケネディ大統領は言いました。
「私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国民が取り組むべきと確信しています。この期間のこの宇宙プロジェクト以上に、より強い印象を人類に残すものは存在せず、長きにわたる宇宙探査史においてより重要となるものも存在しないことでしょう。そして、このプロジェクト以上に完遂に困難を伴い費用を要するものもないでしょう。」
3番目の写真はアポロ11号で、月面に立てた星条旗のかたわらに立つバズ・オルドリン飛行士です。
人類は地球の歴史上初めて地球以外の天体の上に降り立ち、船長ニール・アームストロングは有名な以下の言葉を残したのです。
「 これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」
アポロ11号による人類初の月面着陸は全世界人口の5億人を超える人々がテレビ中継を通じて見守ったのです。
日本でNHK総合テレビが1969年7月16日21:45から75分間放送した報道特別番組「アポロ11号発射」は43.8%のの視聴率でした。
4番目の写真は1972年12月13日、アポロ計画における最後の月面活動を行うハリソン・シュミット飛行士です。
最後の17号は1972年12月7日に発射され12月19日に無事地球に帰還しました。船長ユージン・サーナンは最後に月を離れた人間になったのです。
5番目の写真は17号で撮影された「ザ・ブルー・マーブル」と呼ばれる地球の全景写真です。上部にアフリカ大陸北部とアラビア半島がはっきりと写っています。「我々は月を探査しに行ったのだが、実際には地球を発見することになった」と宇宙飛行士ユージン・サーナンが語っていました。
多くの飛行士が遠く離れた宇宙空間から地球を見るという経験から深い影響を受けたと語っています。月へ行った飛行士は皆、「地球が壊れやすい小さな惑星にすぎない」と語っています。
さてアポロ計画は米ソ連戦の産物の一つでもあったのです。
アメリカの探査機より以前にソビエトの無人惑星探査機が月に達していたのです。それを追い越そうとアメリカは国の威信をかけて遂行した大きな国家プロジェクトだったのです。
1991年にソ連が崩壊しアメリカが冷戦の勝利した原因の一つはアメリカのアポロ計画の成功です。
ソ連が崩壊した現在はアメリカは再び月へ行こうとはしません。
世界の覇権を握ろうとしている中国だけが月面着陸を計画しています。しかしアポロ計画の成功した後では二番煎じなので興味が湧きません。
それにしても1969年7月のアポロ11号で月面に立てた星条旗はアメリカの偉大さの象徴でした。アメリカの輝きでした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
日本の基礎研究では実用的貢献が無視される傾向が強いのです。机上の空論が多いのです。日本には学問というものは実用の役に立たないという考え方があるのです。
これはアメリカの大学で4年間研究生活をした私の体験です。
それはさておきアメリカのノーベル賞の受賞者の数を見てみましょう。
1番目の写真は2019年までの各国のノーベル賞の受賞者の数です。
第1位はアメリカでダントツの275人です。
続いてイギリス、ドイツ、フランスの受賞者が多いのです。日本は6位の28人ですが多くはアメリカでの研究経験者です。
アメリカの科学の特徴は実用性を重視し工業技術に直結していることです。
その良い一例が月へ6回も人間が着陸したアポロ計画です。
アポロ計画は、アメリカ航空宇宙局(NASA)による人類初の月への有人宇宙飛行計画でした。
1961年から1972年にかけて実施され、全6回の有人月面着陸に成功したのです。
特に月面着陸は人類が初めて有人宇宙船により地球以外の天体に到達した事業でした。これは宇宙開発史において画期的な出来事であっただけではなく、人類史における科学技術の偉大な業績です。
それでは、「https://ja.wikipedia.org/wiki/アポロ計画」から写真をお借りしてアポロ計画を振り返ってみましょう。
2番目の写真は1961年5月25日の上下院合同議会で、月着陸計画の決定を発表するケネディ大統領です。
ケネディ大統領は言いました。
「私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国民が取り組むべきと確信しています。この期間のこの宇宙プロジェクト以上に、より強い印象を人類に残すものは存在せず、長きにわたる宇宙探査史においてより重要となるものも存在しないことでしょう。そして、このプロジェクト以上に完遂に困難を伴い費用を要するものもないでしょう。」
3番目の写真はアポロ11号で、月面に立てた星条旗のかたわらに立つバズ・オルドリン飛行士です。
人類は地球の歴史上初めて地球以外の天体の上に降り立ち、船長ニール・アームストロングは有名な以下の言葉を残したのです。
「 これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」
アポロ11号による人類初の月面着陸は全世界人口の5億人を超える人々がテレビ中継を通じて見守ったのです。
日本でNHK総合テレビが1969年7月16日21:45から75分間放送した報道特別番組「アポロ11号発射」は43.8%のの視聴率でした。
4番目の写真は1972年12月13日、アポロ計画における最後の月面活動を行うハリソン・シュミット飛行士です。
最後の17号は1972年12月7日に発射され12月19日に無事地球に帰還しました。船長ユージン・サーナンは最後に月を離れた人間になったのです。
5番目の写真は17号で撮影された「ザ・ブルー・マーブル」と呼ばれる地球の全景写真です。上部にアフリカ大陸北部とアラビア半島がはっきりと写っています。「我々は月を探査しに行ったのだが、実際には地球を発見することになった」と宇宙飛行士ユージン・サーナンが語っていました。
多くの飛行士が遠く離れた宇宙空間から地球を見るという経験から深い影響を受けたと語っています。月へ行った飛行士は皆、「地球が壊れやすい小さな惑星にすぎない」と語っています。
さてアポロ計画は米ソ連戦の産物の一つでもあったのです。
アメリカの探査機より以前にソビエトの無人惑星探査機が月に達していたのです。それを追い越そうとアメリカは国の威信をかけて遂行した大きな国家プロジェクトだったのです。
1991年にソ連が崩壊しアメリカが冷戦の勝利した原因の一つはアメリカのアポロ計画の成功です。
ソ連が崩壊した現在はアメリカは再び月へ行こうとはしません。
世界の覇権を握ろうとしている中国だけが月面着陸を計画しています。しかしアポロ計画の成功した後では二番煎じなので興味が湧きません。
それにしても1969年7月のアポロ11号で月面に立てた星条旗はアメリカの偉大さの象徴でした。アメリカの輝きでした。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)