後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日のカトリックの復活節第4主日ミサの動画配信と愛の宗教の意味」

2021年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は復活節第4主日です。2021年4月25日の10時から始まるカトリック関口教会の動画配信は以下の通りです。
カトリック関口教会、2021年4月25日
復活節第4主日のミサの動画配信
https://www.youtube.com/watch?v=xJ14HWFurrY

聖イグナチオ教会 の復活節第4主日のミサの動画配信は以下にあります。
https://www.youtube.com/watch?v=OlTEmLlUf58

今日教会に行かない方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

今日は以下に「キリスト教は何故『愛の宗教』というのか?」という話をお送り致します。

日本の人々は意識していませんが仏教の影響を深く受けています。日本は正真正銘の仏教国です。
しかしその一方で、明治維新以来、日本は西洋に学び、富国強兵をしてきました。その結果、ヨーロッパの文化も日本に入って来ました。キリスト教も入って来ました。
しかしキリスト教は仏教とあまりにも違います。仏教と非常に違うので理解出来ません。当然、信じることも不可能です。
こんなに欧米と交流のある現在でも日本のキリスト教徒は人口の3%以上になりません。増える傾向もありません。

キリスト教が理解出来ないのは、それが愛の宗教だからです。愛という言葉は明治維新以前には現在のように広く使われている言葉では無かったのです。
神が人間を愛しています。イエス様も人々を愛しています。人間は神やイエス様を愛します。
キリスト教では神やイエスや人間の絆は愛で結ばれているのです。このようなことを信じられますか?
このような考えは仏教にはまったく存在しません。仏教国の日本人に理解出来ないのは当然ではないでしょうか。

ここで愛という言葉の意味を考えてみましょう。愛とは相手を大切にする心です。相手の苦しみや悲しみに心を寄せ、その苦しみを担ってあげることです。相手が好ましいと思う心です。
キリスト教では神が人間を愛するのでイエス・キリストという人間を地上に送り、人々を救けようとしました。キリストはいろいろな教えを説いた後で、人間の罪を担って十字架についたのです。
死んで3日目にふたたび生き返り、弟子たちに会ったのです。そして天上に上がり全知全能の神の右の座についたのです。
そして天上から神とイエスは地上の人々を愛し続けているのです。

私はカトリック信者です。毎週、日曜日には教会のミサに行きます。
それでは私は神やイエス様が愛して下さっているという実感を何時も持っているのでしょうか?
答は、否!です。
しかしイエス様に愛されているという感じは時々持てます。例えばミサの中で、神父さんが「イエスの体」と言いながらパン片を私の手にくれる時に感じます。
その上、神父さんが私を信じ、大切にしてくれると、私は「イエス様が私を愛している」と感じます。
愛してくれれば、当然自分もイエス様を愛し、その教えに心を寄せます。

そして私の場合は洗礼を受けたカトリック立川教会の主任司祭をしていた塚本金明神父さまを忘れられません。そしてカトリック小金井教会の初代主任司祭だったムニ神父さまの愛を忘れられません。そしてその後、主任司祭になった山本量太郎神父さまの愛を忘れません。
現在の主任司祭の神父さまからも愛を感じます。
こうしてカトリックでは神父さんを通うしてイエス様の愛を実感するのです。神の愛を感じるのです。
愛されていると感じれば人間は相手を愛します。
これがキリスト教が「愛の宗教」と言われる理由なのです。

しかし元来、人間は疑い深い性格を持っています。イエス様や神の愛など信じられないのです。
しかし1日、24時間のうち数秒でもイエス様や神の愛を感じられば、それが決定的に重要になります。信者になれるのです。

まあ一般的に言えばイエス様や神の愛は荒唐無稽な話です。
多くの日本人がそれを信じないのも自然なことではないでしょうか?
宗教は無理に信じてはいけません。他人に無理強いしてはいけません。自然体で考え、信じられる人が信じれば良いことです。
私は絶対にキリスト教を他人へお薦めしません。
そして私は信じて初めて「キリスト教は愛の宗教だ」という意味が理解出来たような気がします。
世の中には信じないと理解出来ないものもあるのですね。

今日の挿し絵代わりの写真は藤の花の写真です。







「共産主義が日本へ与えた深い影響」

2021年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム
明治維新以来、西洋の思想や主義が怒涛のように日本へ流れ込んで来ました。資本主義や民主主義や共産主義、そしてキリスト教などが何の脈絡もなく日本へ流れ込んだのです。それらは日本人とその社会へ深い影響を与えたのは当然です。士農工商の封建社会しか知らなかった日本人にとってはさぞ驚きの連続だったに違いありません。

今日は共産主義が日本へ与えた深い影響について簡単に書いてみようと思います。
例えば朝日新聞は戦後に共産主義の影響を受け、中国やソ連のような共産国家へ同情した体質を持つようになったのです。この朝日新聞の体質は戦後の日本へ深い影響を与えました。戦後の朝日新聞は日本のオピニオンリーダーとして君臨していたのです。現在の日本は成熟した民主国家ですから一新聞社が日本全体へ影響を及ぼすことはありません。
朝日新聞は中国の文化大革命を高く評価した報道をしていました。毛沢東の民衆を犠牲にした権力闘争で数百万人の死者を出した文化大革命を高く評価していたのです。そして本多勝一記者などによる日本軍の中国における残虐行為の記事や本が日本社会へ与えた影響は決して小さなものではありませんでした。
皆様のご記憶にもある慰安婦問題ももともとは朝日新聞の誤報記事から始まったのです。現在考えると朝日新聞が間違っていたことは明々白々です。
朝日新聞は、いわゆる「自虐史観」を日本社会へ提供したのです。当時の日本の若者や進歩的文化人が中国の文化大革命に影響を受け、それを称賛していたのです。このように日本の社会は「毛沢東の共産主義」の大きな影響を受けていたのです。

その上、アメリカの占領軍総司令部GHQの中にも共産主義的な考えを持った高官がかなりいたのです。 GHQの絶対支配下におかれたNHKラジオも利用されます。「太平洋戦争史」をドラマ仕立てにして、「真相はこうだ」 が新聞連載開始の翌日(12月9日)から放送されたのです。もちろん、新聞とラジオの相乗効果を狙ったものでした。
このような社会風潮へ対して、後の時代になって異議を唱える人もいました。
その一人が曽根綾子でした。曽野 綾子 が産経新聞に連載しているエッセイの「中国礼賛し続けた日本のマスコミ」で明快な反論を書いたのです。尖閣諸島での「中国漁船衝突事件」にからめ、マスコミの実態を以下のように暴いています。その2010年10月29日付の記事の一部抜粋を示します。
「今から40年前、産経新聞と時事通信を除く日本のマスコミは、絶えず中国から脅しを受けながら、特派員を受け入れてもらうために、完全に中国政府の意図を代弁する記事を書き続けたのです」と書いたのです。
曽野綾子は「私にいわせればマスコミは正気で『発 狂』していた」と表現し、当時の報道の責任を厳しく問い糺したのです。
皆様はこんな時代があったことをお忘れでしょうか。

日本へカール・マルクスの共産主義が入って来たのは1917年以後のことです。1917年のロシア革命前後から日本でも共産主義者が活発に活動を始めました。そして日本共産党が出来たのです。しかし戦前は治安維持法の弾圧を受け、日本共産党は気息奄々の状態でした。しかし現在でも日本共産党は健在です。衆議院選挙でも何時も20名前後が当選します。参議院と合計すると35名前後の国会議員を保持しています。
数の上では少数ですが共産主義は日本人の考え方へ大きな影響を与えて来たと考えられます。
個人的なことで恐縮ですが私には親しい共産党員の友人がいました。代々木の党本部で働いていて徳田球一や野坂参三の仕事を手伝って来たのです。
その方から共産党の話を何度も聞きました。もう老境で達観の境地のような静かな話ぶりでした。
日本では共産党を忌み嫌う人が多いようですが、私はそれ以来、日本共産党の社会に与えた影響を客観的に考えるようになりました。影響の良し悪しを客観的に考えたのです。
日本共産党は2017年1月現在、約30万人の党員を抱え西側諸国で最大規模の共産党です。日本共産党が与党の自治体は2016年12月現在53あったそうです。何故日本共産党はこんな勢いなのでしょうか?
共産党は日本の貧しい農民や貧者の立場に立って政治活動して来たのです。その考え方は日本の他の政党にも、そして日本人の考え方にも大きな影響を与えて来たと考えられます。これが共産党の良い影響の一つです。
しかしその一方で、自衛隊を否定したり、天皇制に反対していていることは大きな間違いです。日本の伝統文化を全く無視する考え方が間違えのもとです。

さて話は変わります。戦前の日本は軍国主義のせいで自由がありませんでした。戦後は日米安保の枠組みでアメリカの政策へ反対する自由がありませんでした。特に日本が経済成長を達成するまでは経済的にもアメリカに隷属していたのです。1980年頃、鄧小平が実権を握るまでの中国は貧しい国だったのです。
このような日本の社会の状況では共産主義は若者の憧れでした。共産主義国家の実態を知らない日本の若者にとって、共産主義は自由を与えるものと見えたのです。たとえそれが幻想だったとしても共産主義は若者の自由の砦のように誤解されていたのです。
国家や社会による束縛を嫌う若者たちにとって、共産主義は若者たちを自由へ解放するイデオロギーだったのです。このような書き方は戦前、戦後の日本の社会の閉塞感を知らない人々にとっては理解しがたいものです。
一例をあげます。北海道帝国大学のある学生の独白です。彼は軍人の指導に反発して共産党に入党したのです。
その共産主義者は私の山小屋のそばの別荘に住んでいました。
彼は大正13年生まれ。都内の旧制中学、旧制高校を卒業後、山岳部のある北海道帝国大学へ進みます。その大学で共産主義に出合うのです。純粋で、ロマンチストの彼は乾いた紙が水を吸うようにすっかり共産主義を吸いこんでしまったのです。丁度、第二次世界大戦の始まった頃でしたので軍部は北大の学生に飛行場建設の作業を命じたのです。
彼はこの命令に反発を感じました。軍部独裁の風潮へ反発したのです。当時の若い彼にとっては共産党に入って軍国主義に反対する決心をしたそうです。
卒業は終戦直後でしたが、すぐに東京の代々木の共産党本部へ行って入党してしまったのです。そして代々木の本部で生涯働きました。徳田球一さんや、野坂参三さんや、志賀義雄さんなどの部下として働いたのです。
戦後は軍部に代わってマッカーサーが共産党を弾圧しました。当然、彼は日本の官憲に追われ、おちこちへ逃走する生活だったそうです。しかし彼は一度も捕まらずに逃げおおせたと言っていました。
2012年の7月に山小屋へ行った時、彼の意識が混濁してしまったので救急車で病院に入ってしまったと近所の人から聞きました。その後、遠くの病院に行ってしまったのです。もう二度と会えません。

ここにご紹介したある共産党員の話は一例に過ぎません。日本の戦前、戦後の若者たちが共産主義に魅力を感じたのは当時の社会の閉塞感が原因だったのです。それに比べ現在の日本の社会の自由さは素晴らしいと思います。現在の日本の若者は自由でのびのびとしています。戦前、戦後のように共産主義に憧れる若者は非常に少なくなりました。
今日は共産主義が日本へ与えた深い影響の様子を簡単に書いてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


今日の挿絵はモンドリアンとカンディンスキーの作品です。Piet Mondrian (Netherland,1872-1944)の抽象画を3枚とWassily Kandinsky (1866-1944)の絵画です。これらの絵画の出典は、http://fennser.pixnet.net/blog/post/9866898-flash-art---mondrian-部落格藝術時鐘%28向抽象藝術 です。