後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「この平和を守るために第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を忘れない」

2021年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナ禍のもとで忍従の日々が続いています。亡くなった方も多いのです。しかし兵器による殺戮は日本では76年間ありません。
この平和な生活を守るために第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を忘れないことが重要だと思います。私は第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を絶対に忘れません。310万人の日本人が尊い命を落としたのです。それは日本民族の最大の悲劇であり二度と繰り返すべきではありません。そして悲劇は日本ばかりでなく全世界ではもっと多くの人命が失われたのです。
下の第二次世界大戦の国別の犠牲者数の表をご覧下さい。この一覧表は一番正確な犠牲者数として外国のインターネットでよく引用されている統計です。世界的に信用されている犠牲者数です。

この一覧表を注意深く見ると日本ではあまり知られていない事実が沢山あるのです。
気が付いた順に記します。
(1)日本の占領地のフィリピンとインドネシアで民間人の死者がそれぞれ最大、100万人と150万人だったのです。
(2)日本領だった朝鮮の人が兵士や軍属として最大47万人以上死にました。
(3)インド人は英国兵として87000人死にましたが、民間人も250万人死にました。民間人の250万人の死は戦争によって起きた飢饉によるものです。
(4)中国人は400万人の兵士が死に民間人を含めた合計が2000万人となっております。これが世界の常識になっています。
(5)ドイツに占領されたソ連では合計2400万人の人が死にました。
(6)日本人はあまり知りませんが犠牲者の多かった国々は次の通りです。
ブルガリア、チェコソロバキア、フィンランド、ギリシャ、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、オランダ(インドネシアに居た人も含む)、ポーランド、ルーマニアなどです。これらの国々の幾つかはドイツ側に立って戦争をしたのです。
(7)全世界の総合計です。兵士の死者は15,00万人で民間人の死者は45,00万人でした。総合すると全世界で6000万人の人が死んだのです。

下に第二次世界大戦の国別の犠牲者数の表を示します。
この一覧表では1、国の名前、2、軍人と兵士の死者数、3、民間人を含めた死者数の合計の3項目が順に示したあります。
(https://www.nationalww2museum.org/students-teachers/student-resources/research-starters/research-starters-worldwide-deaths-world-war  より)

Japan、日本
 212万人
 260万人ー310万人

Korea(朝鮮出身の日本兵や軍属)
  38万人-47万人

Canada カナダ
 45,400
 45,400

China、中国
 3-4,000,000
 20,000,000

インドネシア
 --
 3-4,000,000

France、フランス
 217,600
 567,600

仏領インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)
 --
 1-1,500,000

Germany、ドイツ
 553万人
 660万人-880万人

India、インド
 87,000
 1,500,000-2,500,000

Italy、イタリー
 301,4003
 457,000

Malaya、マレー半島
--
 100,000

Philippines、フィリピン
 57,000
 50万人-100万人

Poland、ポーランド
 240,000
 5,600,000

Soviet Union、ソ連
 8,800,000-10,700,000
 2400万人

United Kingdom(イギリス)
 383,600
 450,700

United States(アメリカ)
 416,800
 418,500

全世界の総合計、6000万人の死者
内訳、 Battle Deaths、15,000,000
    Battle Wounded、25,000,000
    Civilian Deaths(民間人の死者)、45,000,000

脚注;Worldwide casualty estimates vary widely in several sources.
The number of civilian deaths in China alone might well be more than 50,000,000.

ここで第二次大戦の太平洋戦争の写真を5枚示します。

1番目の写真は1946年12月8日、真珠湾攻撃のため日本の航空母艦上で準備中の攻撃機です。

2番目の写真は日本の攻撃機で炎上する真珠湾のアメリカ艦艇です。この日、日本軍はフィリピン、インドネシア、ニューギニアなどを攻撃し、短期間で占領してしまうのです。

3番目の写真は日本軍の占領地を奪還しようとロケット弾砲撃をしているアメリカ軍の駆逐艦です。このような徹底的な攻撃の後でアメリカ軍の海兵隊が上陸して来るのです。

4番目の写真は上陸したアメリカ軍の塹壕の光景です。アメリカ軍の兵士が日本軍の占領地を奪還した直後なので緊張しています。

5番目の写真は日本軍の占領地を火炎放射器で攻撃している光景です。

さて写真で示したように日本軍は初戦の短期間は連戦連勝しました。しかしアメリカ軍の反抗が強力で日本の占領地が奪還されてしまったのです。そして本土の200以上の都市が空襲で焦土になります。とどめの広島と長崎の原爆投下で終戦になります。それは1945年8月15日でした。

一方、第二次大戦後、責任を取って自殺したドイツの民間人の数は直後の4日間だけで;ベルリンで1200人、ライプチッヒで600人、ハンブルグで450人、ケルンで300人が自殺したと新聞に出ていたそうです。4日間だけでの総計が2550人です。それに比較して日本では愛宕山にこもった民間人10人位とその他に僅かと言われています。
さらにシベリア抑留でドイツ兵が55万人死に、日本人は5万人以上が死んだのです。

昭和時代の人類は狂気のように殺しあったのです。国家対国家の大規模な戦争によって殺しあったのです。
その昭和時代の太平洋戦争の為に海外で亡くなった240万人の犠牲者のうちまだ113万5千人の遺骨が日本へ帰って来ていないのです。
父や夫や息子や家族を戦争で失った遺族にとっては太平洋戦争は終わっていないのです。113万5千柱の遺骨が還らぬ限り太平洋戦争は終わっていないのです。

昭和という時代は以上のような戦争の時代でした。現在の平和な日本で生まれ育った人はこの膨大な戦争犠牲者を知らない人も多いと思います。戦争では命を落とした人の数倍の負傷者も出るのです。そして戦争は人の人格をも破壊してします。戦争は絶対してはいけません。
この平和な生活を守るために第二次世界大戦の莫大な犠牲者数を忘れないことが重要だと信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)