マチュピチュは15世紀のインカ帝国の遺跡でアンデス山麓のペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にあります。
アメリカの探検家ビンガムが1911年7月に発見し世界に発表しました。 あまりも完全な遺跡の大発見だったので世界中にセンセーションを与えました。これは遺跡の歴史の研究の大きな驚きです。
1番目の写真はアメリカの探検家ビンガムです。
インカ帝国の首都は標高3,400mのクスコでした。標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約1,000メートル高い場所だったのです。マチュピチュは世界遺産(文化遺産)に登録されています。
なおインカ帝国は1533年にスペイン人による征服により滅亡しました。インカには文字が無いためマチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか一切不明です。マチュ・ピチュ村は昨日書いた通り日本と関係があるのです。
2015年12月に、福島県安達郡大玉村とマチュピチュ村が友好都市協定を締結しました。かつて村長を務め、マチュピチュの発展に尽力した野内与吉が大玉村出身であることによるものでした。野内与吉への大恩もあり、マチュピチュ村側から大玉村へ締結の打診があり締結したのです。
そのマチュピチュの風景を2番目から7番目の写真でお送り致します。写真は「マチュピチュ」を検索してインターネットにある写真をお借りしました。