後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ユーカリの巨木の写真を撮りに行く」

2023年11月01日 | 写真
ユーカリの巨木の写真を撮りに行って来ました。
小金井公園で一番大きな木はこのユーカリの巨木だと思います。樹齢は多分200年以上ではないでしょうか。その写真を撮りに行って来ました。
 


「佛教を簡単に理解する方法」

2023年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
外国に行くとよく、「仏教とはどのような教えなのですか?」と聞かれます。
答は簡単至極です。お釈迦様が弟子のシャーリプトラ(舎利子)へ向かって話したことをまとめた「般若心経」の中の2つくらいの言葉を説明するのです。
「色即是空、空即是色」と「受・想・行・識亦復如是」という句です。
前者はこの世のことはすべて空しいという意味です。空しいからこの世なのですという意味です。
後者は全ての精神活動も、また同じく、実体は「空」ですという意味です。
そうするとキリスト教を知っている人は「この世のことに執着しないで天の神様やイエス様のことを愛せ」という教えと似ていますと言います。この理解も少し違うのですが、その辺で会話を終りにします。

私自身は「般若心経」が大好きです。
とても短い上にお釈迦様の教えの全てが詰まっているのです。
その上、「般若心経」を読むと幼少の頃の楽しい思い出がよみがえって来るのです。幸せな気分になります。
祖父が兵庫県の山里のお寺の住職をしていました。毎年、夏になると一家でそこへ帰省しました。祖父母が歓迎しますから楽しい夏の思い出が残ります。その折、毎日のように祖父と一緒に本堂で唱えたのがこの「般若心経」と「大悲心陀羅尼」というお経でした。

このお経は玄奘三蔵法師がインドから持って来て、唐の長安の大慈恩寺で漢文に翻訳したものです。そして大雅塔に全てのお経を大切に保管したのです。余談ながら私は1982年にこの大雅塔に登りました。倖せな時間が流れました。
それはさておき、玄奘三蔵法師が翻訳した漢文の「般若心経」を示します。

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多咒。即説咒曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経
(般若心経は、「大般若経」という600巻の経典(約300万文字)の内容を、わずか276文字に凝縮したものです)

この漢文の意味は次のようになります。
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hannya.htm

摩訶 般若 波羅蜜多 心経(まか はんにゃ はらみった しんぎょう)
偉大なる"悟りを開く智慧"の真髄

※摩訶=偉大なる
※般若=智慧
※波羅蜜多=悟りを開く、彼岸に至る
※心経=真髄

観自在菩薩 行深 般若 波羅蜜多 時、(かんじさいぼさつ ぎょうじん はんにゃ はらみった じ、)
観音様(かんのんさま)は、悟りを開くための修行を究められて、

※観自在菩薩=観音様。悟りを開いた明慧自在(みょうえじざい)の仏さま

照見 五蘊 皆空、(しょうけん ごうん かいくう、)
五蘊(形あるものと精神活動のすべて)は「空(くう)」であることを悟られ、

※五蘊=色(形あるもの)・受・想・行・識(精神活動)

度 一切 苦厄。(ど いっさい くやく。)
一切の苦しみから逃れられる道を示されました。

舎利子。色 不異 空、空 不異 色、色 即是 空、空 即是 色。(しゃりし。しき ふい くう、くう ふい しき。しき そくぜ くう、くう そくぜ しき)。
舎利子よ。形あるものはすべて「空」であり、「空」が形あるものの真の姿です。

※舎利子=お釈迦様の十大弟子のひとり(般若心経は、彼への呼び掛け)
※A不異B=AはBと異ならない
※A即是B=AはBである

受・想・行・識 亦復如是。(じゅ・そう・ぎょう・しき やくぶにょぜ。)
精神活動も、また同じ(く、実体は「空」)です。

※受=心が感受すること
※想=思いをめぐらすこと
※行=意志を持つこと
※識=認識・識別すること

舎利子。是 諸法 空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。(しゃりし。ぜ しょほう くうそう、ふしょうふめつ、ふくふじょう、ふぞうふげん。)
舎利子よ。この世にあるすべてのものの実体は「空」です。
生じることもなく滅することもなく、
汚れもせず清らかにもならず、
増えることもなく減ることもありません。

是故空中、無 色、無 受・想・行・識、(ぜこくうちゅう、む しき、む じゅ・そう・ぎょう・しき、)
故に、「空」が実体のこの世には、形あるものも、精神活動もありません。

無 眼・耳・鼻・舌・身・意、無 色・声・香・味・触・法。(む げん・に・び・ぜっ・しん・に。む しき・しょう・こう・み・そく・ほう。)
目も耳も鼻も舌も身体も精神もなく、(目から見える)形も(耳から聞こえる)声も(鼻で感じる)香りも(舌で感じる)味も(身体が感じる)触感も(精神が)感じ取ることもありません。

無 眼界、乃至、無 意識界。(む げんかい、ないし、む いしきかい。)
目に見える世界も、目に見えない意識の世界もありません。

無 無明、亦 無 無明 尽、乃至、無 老死、亦 無 老死 尽。(む むみょう、やく む むみょう じん、ないし、む ろうし、やく む ろうし じん。)
この世に無明はなく、無明が尽きることはありません
また、老死もなく、老死が尽きることもありません。

※無明=悟りを開いていないこと

無 苦・集・滅・道。無 智 亦 無 得。(む く・しゅう・めつ・どう。む ち やく む とく。)
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす道もありません。
また、教えを知ることもなく、悟りを得ることもありません。

以 無所得 故、菩提薩埵、依 般若 波羅蜜多 故、(い むしょとく こ、ぼだいさった、え はんにゃ はらみった こ、)
よって何も得ることがないため、菩薩(ぼさつ)さまは悟りを開いたが故に、

心 無罣礙、無罣礙 故、無有恐怖、遠離一切 顛倒夢想、究竟涅槃。(し んむけいげ、むけいげ こ、むうくふ、おんりいっさい てんとうむそう、くぎょうねはん。)
心に障りがなく、心に障りがないから、恐怖を感じず、一切の迷いから離れて、安らぎの極致へと到りました。

三世 諸仏、依 般若 波羅蜜多 故、得 阿耨多羅 三藐 三菩提。(さんぜ しょぶつ、え はんにゃ はらみった こ、とく あのくたら さんみゃく さんぼだい。)
三世の仏さまも、このような智慧によって、完全なる悟りを開かれました。

※三世=過去・現在・未来
※阿耨多羅三藐三菩提=サンスクリット語の「アヌッタラ・サムヤック・サンボーディ」を漢字で表したもの。完全な悟りを開いた状態

故知、般若 波羅蜜多、是 大神 咒、是 大明 咒、是 無上 咒、是 無等等 咒、能除 一切苦、真実不虚。(こち、はんにゃ はらみった、ぜ だいじん しゅ、ぜ だいみょう しゅ、ぜ むじょう しゅ、ぜ むとうどう しゅ、のうじょ いっさいく、しんじつふこ。)
故に、悟りを開く智慧は、霊力のある咒文であり、明らかなる咒文であり、この上ない咒文であり、他に並ぶものがない咒文であり、一切の苦しみを取り除き、真実にして虚しいところがありません。

故説、般若 波羅蜜多 咒。即 説咒 曰、羯諦 羯諦 波羅 羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶。般若心経
悟りを開く智慧の咒文を説きましょう。その咒文いわく、「行こう、行こう、悟りの世界へ行こう。みんなで一緒に悟りの世界へ行きましょう。」以上が、"悟りを開く智慧"の真髄です。

※羯諦 ~ 菩提薩婆訶=「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハーガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハーガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」を漢字で表したもの。

このお経は日本人の文化の基調になりました。
そして般若心経は南方の上座部仏教でも日本、朝鮮、中国の大乗仏教でも一番大切にされているお釈迦さまの教えなのです。

今日の挿し絵がわりの写真は順にタイの托鉢の風景、タイの涅槃仏、長安の大慈恩寺の大雅塔の写真、東大寺の写真、その夜景の写真です。涅槃像の写真の出典は、http://phuketdiary.info/thailand-2/panga/suwankhuha-temple/ です。
托鉢の写真の出典は、https://www.bing.com/images/search?q=%E3%82%BF%E3%82%A4+%E4%BB%8F%E6%95%99+%E4%BF%AE%E8%A1%8C&go=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&qs=ds&form=QBIDMH です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
=====参考資料======================
西安の大慈恩寺;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%85%88%E6%81%A9%E5%AF%BA
隋の大興城にあった無漏寺(一説に浄覚寺)の故地に、648年(貞観22年)、皇太子の李治が、亡母(文徳皇后)追善のために建立したのが、大慈恩寺である。その名は「慈母の恩」に由来する。
各地から、良材を集め建てられ、その規模は、子院(塔頭)10数院を擁し、建築物は総数1,897間、公度僧だけで300名という大寺であった。帰朝した玄奘は、本寺の上座となり、寺地北西の翻経院で仏典の漢訳事業に従事した。当寺での、玄奘の訳経活動は、658年(顕慶3年)までの11年に及び、合わせて40部余の経典が漢訳された。玄奘の弟子である基(窺基)は、師から相承した法相宗を宣教し、「慈恩大師」と呼ばれた。
652年(永徽3年)、大雁塔が建立される。当初は、玄奘がインド・西域から持参した仏像や経典を収蔵するための塔であった(大雁塔の項を参照)。
唐代半ば以降、大慈恩寺の境内には、大きな戯場があり、俗講や見世物が行われていた。また、牡丹の名所としても知られ、それを詠んだ多くの漢詩が知られ、藤も植えられていた。春には、寺が所有していた南にある通善坊の「杏園」で杏の花が、夏には、寺の南池で蓮の花が咲き、秋には、柿がなり、紅葉につつまれたと伝えられる。





「西洋文化を深く理解させたヨットの趣味」

2023年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
西洋文化には暗い闇がひそんでいます。しかしその一方、西洋文化には素晴らしい側面もあるのです。それは人類の歴史に燦然と輝く文化なのです。音楽・絵画・建築・文学などなど、人類の叡知と優れた感性を示しました。
その素晴らしさを全て理解することは非才な私には出来ません。
しかし以前に25年続けたヨットの趣味を通じてその素晴らしさの一部を体験的に理解出来たのです。
今日は体験的に理解出来た西洋文化の素晴らしさを書いてみたいと思います。
本で読んだり、想像したりして「理解したつもり」のヨーロッ文化ではないのです。机上の空論ではなく体験的に理解出来たことです。
25年間、独りで、ヨットという西洋の小型帆舟を走らせて骨身に沁みたことを書きます。それは「帆船はヨーロッパ文化の神髄」という私の体験的理解なのです。
一般に日本人はヨットに関心がありません。
そこで帆走中の4隻のヨットの写真を示します。場所は霞ヶ浦の土浦の沖です。

1番目の写真はディンギーと呼ばれる小型のヨットです。
この小さな帆舟には三角形の2枚の帆がついていて写真の右の方向に走っています。それも帆の開き方から風上に向って右の方向へ走っているのが分かります。
風に向って走れる帆舟を作ったのがヨーロッパ人なのです。風上に走れるヨットの構造は驚異的な発明です。ヨーロッパ人の発明です。
中国の帆船も日本の帆船も風上にはほとんど登れないのです。

2番目の写真は西洋のヨットを少し大きく写した写真です。
真ん中に胴体の中に、「船室」のあるヨットが2隻写っています。右側にカバーのかかった大きなモーターボートも写っています。真ん中の黄色い横線が入ったヨットが私の船です。
高いマストが一本立っています。マストの前後に大きな帆を2枚上げられるような構造になっています。
こんな高いマストに帆を上げて、横風を受ければ簡単に横転しそうです。
私自身もそれが心配でした。強風で横転しそうに傾いたことは何度も経験しました。しかし不思議にもしばらく我慢していると帆舟が自分で立ち上がるのです。その復元力の大きさには何度も驚いたものです。

3番目の写真は前方の横45度の方向から風を受けて右へっているヨットです。乗っている私はこんなに傾いても悠々としています。傾いても絶対に横転しないことを体験的に分かっているからです。

4番目の写真はヨットの大きな復元力の原因になっている船底から下に伸びているキールを示しています。
この舟は昔、私が1988年から足掛け1998年まで10年間乗ったものです。ヤマハ19という帆舟です。この写真の右側に大きくぶら下がっているのが舵です。
この大きな重い舵の前方の船底から鉄製のキールがぶら下がるように固定されています。写真の真ん中より少し左に舵より小さく写っていますが、実際は舵より広く大きな鉄製の板です。
これこそが復元力の秘密のカギなのです。舟の全重量の三分の一以上から半分近くの重量があります。
沖で強風に吹かれて、45度以上も傾いたこのヨットにしがみついて我慢していると、間もなく立ち上がってくれるのです。その度に西洋人に助けられたと実感するのです。体験的に西洋文化の素晴らしさが理解できたような気分になるのです。
その上、このキールのお蔭で横流れも防げます。ですから2枚の三角形の帆を立てると風上45度までは登れるのです。45度ずつジグザグに登れば、完全に風上に向って走ったことになります。
この様に完全に風上に向って走れるのがヨットの一つの醍醐味です。いつも家内が前のジブセイルのすその綱を握っていました。前のジブセイルを操作するのが家内の役目でした。
家内は「西洋人は偉い、偉い」と呟いているのです。私も同感です。 なにせ風上に向かって走れるのです。45度の方向ですが。
ヨットという小型帆船を走らせていると、その構造や部分品には全く無駄というものが無いのです。不必要なものをそぎ落として、そぎ落として軽くしてスピードが出るような構造にしてあるのです。それは合目的性の極致なのです。
不必要なものをそぎ落としても、必要なロープや部分品は間違いなくついています。
そのお陰で強風の怖い状況から逃れたことが何度もありました。その度に西洋人の英知に感服するのです。
このヨットの体験のあと、横浜に係留展示してある大型の帆船日本丸を何度か訪問して、その船長の大西さんに詳しく説明してもらいました。

5番目の写真は横浜に係留展示してある帆船日本丸の姿です。
詳しいことは省略しますが、ただその時年老いた船長の云った言葉が忘れられません。「帆船はヨーロッパ文化の神髄」だと言ったのです。そして帆船を実際に体験するとヨーロッパ文化が判るとも言っていました。全く同感です。
どんな民族文化でも悪い性質の文化と素晴らしいものとの両方があるものです。
現在のウクライナでの戦乱はヨーロッパ文化の悪い部分が露呈しています。西洋化したロシアがウクライナへ軍事攻撃を続けているのです。
しかしヨーロッパ文化には素晴らしいものがあるのです。今日は私が体験したヨーロッパ文化の素晴らしさを書きました。ほんの一部分をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
=====参考記事==================
横浜に展示、係留されている日本丸を訪問すると、一番、目立つのがロープ類です。
ところが、帆船の船乗りはロープという言葉は絶対に使わないのです。
使用目的別にハリヤードとかステイとか固有の名前で呼ぶのです。
日本丸では29枚の帆と横桁(ヤード)を動かすためのロープが245本ついているそうです。
甲板上の装置は全て人力で動かします。ロープを手で引っ張ってみて、何処が動くか見ればロープの操作方法が理解できるのです。
その仕事をするのがセーラーという水兵達なのです。セーラーは直訳すれば帆走員です。水兵というと誤訳になります。そのセーラーを管理するのがオフィサーです。将校です。