後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「年老いて懐しく思う精進湖の山田屋旅館と富士の風景」

2023年11月22日 | 日記
山中湖や河口湖は広大で富士山の眺めも美しい所です。そして精進湖は奥の方にあって開発もあまりされていない自然の残る湖です。海抜900mの静かな高原の湖です。
湖畔に昭和天皇も泊まった山田屋旅館があり昔は家族で何度か泊まった懐かしい宿です。古い廊下の壁一面に昭和天皇が泊まったときの写真が誇らしげに飾ってありました。
精進湖の魅力は岸辺まで車を入れることが出来ることです。そこから湖の向こう側に見える富士山が絶景なのです。昔の500円札に精進湖からの富士山の風景が使われていました。
そんなことを思い出したので精進湖から眺めた富士山の写真をお送りしたいと思います。秋の風景です。
4枚はプロの撮った精進湖と富士山の写真、そして続きの3枚は家内が撮った写真です。プロの撮った精進湖の写真の出典は、https://www.pixpot.net/view_spots/spot/487/syojiko/ です。

5番目の写真に写っている青い車は私が5年間も乗っていたニッサン・ノートという車です。とても完成度の良い車です。特に高速時の加速性能が素晴らしく安全に他車を追い抜くことが出来るのです。
閑話でした。話を富士山に戻します。
富士山と富士五湖などは世界遺産なのです。
2013年に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」が国連によって世界文化遺産に認定されたのです。
それ以来、富士山の写真を撮りながら、この美しい山が信仰の対象になってきたことを考えています。人々に芸術的な刺激を与えてきたことを想っています。自分のような者でも富士山の写真を写したくなるのも大げさに言えば芸術的な刺激を受けためでしょうか。

それにしても富士五湖は随分何度も遊びに行ったものです。精進湖のさらに奥の本栖湖でもカヤック遊びもしました。
泊まったホテルもいろいろでした。
思い出の深いところは精進湖の古めかしい山田屋旅館です。それから思い出の深いところは山口湖の夏だけ営業のニューグランド(横浜のニューグランドの経営)や河口湖の木造だった頃の富士ビューホテルなどです。
山口湖のニューグランドは廃業しましたが精進湖の山田屋旅館は現在でも営業しています。

今日は精進婚から眺めた富士山の写真をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「年老いて懐かしく思う河口湖富士ビューホテルのこと」

2023年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は、「年老いて懐かしく思う遥かな箱根湿生花園と仙石原の一面のススキ」と「箱根、山のホテルの思い出」という2つの記事を掲載しました。
今日は河口湖富士ビューホテルの思い出を書きたいと思います。
河口湖富士ビューホテルは自宅から中央高速道路で1時間とちょっとで行けるので何度も行きました。感動的なサービスが忘れられないホテルです。
このホテルにはヨーロッパ文化の良いところがあります。何故か心温まるホテルでした。小生の好きなホテルでした。
昭和11年に山口正造が作ったホテルです。戦前は外人の客が絶えなかったそうです。戦争末期にはドイツ大使館が疎開して来ていました。戦後は占領軍に接収されアメリカの高級軍人専門のホテルとして使用されたのです。
接収解除後は昭和11年創業当時の西洋風木造建築のまま営業を再開します。

1番目の写真は昭和11年創業当時の河口湖富士ビューホテルです。

2番目の写真は河口湖富士ビューホテルを作った山口正造と創業当時のホテルの様子です。
山口正造の写真の左に営業再会当時の玄関側と庭側の写真があります。小生が家族とともに始めて泊まったのは1975年頃。古い木造西洋館でした。ロビーの天井には太い梁が渡っていて格天井でした。梁の上に飾ってある動物や猛禽の剥製に子供が怯えたのを憶えています。
部屋のドアのノブは外人仕様で高いところについていて、ベットもバスタブも長く大きい外人用でした。椅子もテーブルも私どもがヨーロッパ在住の間に泊まった各地のホテルと実によく似て重厚でした。
何故か旧懐の情が沸き上り、胸が締め付けられるような気分になったのです。

3番目の写真は河口湖富士ビューホテルの入り口です。この写真は自分が撮ったものです。

4番目の写真は河口湖富士ビューホテルの全景です。インターネットからお借りした写真です。後ろは河口湖です。改築されて以前の面影がありません。玄関も前庭も雰囲気がまるで変わりました。

5番目の写真は富士山を背景にした河口湖富士ビューホテルの全景です。これもインターネットからお借りした写真です。
さてホテルの良さとはサービスの質の高さです。
受付をするホテルマンは見かけは日本人ですが何かヨーロッパ人のような対応をするのです。ダイニングでの夕食の料理の運び方、テーブルでのさし出し方が洗練されていて動きを見ているだけで楽しくなります。そして料理の解説など余計なことは一切しないのです。
マスターは客全員に目を配りそれぞれの客が何かして貰いたいか、即座に判断しボーイへ指示を出します。ボーイが素早く近寄り客の要求を聞いてサービスをする。全てが静かにすすみます。客同士がかわす静かな話し声だけが楽しげに聞こえています。富士ビューホテルはそんなホテルでした。
河口湖近辺で日本旅館にも泊まったし、その他のホテルにも泊まりましたが富士ビューホテル以上のサービスを体験したことがありません。

6番目の写真はサービスの質の高いダイニングの写真です。
私どもが泊まりはじめて暫くして経営者が変わりました。そして鉄筋コンクリート製に改築されました。それからはサービスの質が少し変わったのです。決して悪くはないのですが、どこか以前のようなサービスではないのです。それでも、その後も何度か行きました。
最後に河口湖富士ビューホテルの客室の写真を示します。無論ベッドの部屋もあります。

7番目の写真は河口湖富士ビューホテルの客室です。
それにしても富士五湖へは足繁く通ったものです。精進湖、本栖湖、西湖の畔にも懐かしいホテルがあります。
精進湖の山田屋旅館や山中湖のマウントビューホテルやいろいろな所に泊りまた。
山中湖には横浜グランドホテルが夏場だけ営業していた木造洋館のホテルがありました。ここにも泊ったことがあり懐かしいホテルでした。

今日は何度も行った懐かしい河口湖富士ビューホテルをご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)