昨日は、「年老いて懐かしく思う遥かな箱根湿生花園と仙石原の一面のススキ」と「箱根、山のホテルの思い出」という2つの記事を掲載しました。
今日は河口湖富士ビューホテルの思い出を書きたいと思います。
河口湖富士ビューホテルは自宅から中央高速道路で1時間とちょっとで行けるので何度も行きました。感動的なサービスが忘れられないホテルです。
このホテルにはヨーロッパ文化の良いところがあります。何故か心温まるホテルでした。小生の好きなホテルでした。
昭和11年に山口正造が作ったホテルです。戦前は外人の客が絶えなかったそうです。戦争末期にはドイツ大使館が疎開して来ていました。戦後は占領軍に接収されアメリカの高級軍人専門のホテルとして使用されたのです。
接収解除後は昭和11年創業当時の西洋風木造建築のまま営業を再開します。
1番目の写真は昭和11年創業当時の河口湖富士ビューホテルです。
2番目の写真は河口湖富士ビューホテルを作った山口正造と創業当時のホテルの様子です。
山口正造の写真の左に営業再会当時の玄関側と庭側の写真があります。小生が家族とともに始めて泊まったのは1975年頃。古い木造西洋館でした。ロビーの天井には太い梁が渡っていて格天井でした。梁の上に飾ってある動物や猛禽の剥製に子供が怯えたのを憶えています。
部屋のドアのノブは外人仕様で高いところについていて、ベットもバスタブも長く大きい外人用でした。椅子もテーブルも私どもがヨーロッパ在住の間に泊まった各地のホテルと実によく似て重厚でした。
何故か旧懐の情が沸き上り、胸が締め付けられるような気分になったのです。
3番目の写真は河口湖富士ビューホテルの入り口です。この写真は自分が撮ったものです。
4番目の写真は河口湖富士ビューホテルの全景です。インターネットからお借りした写真です。後ろは河口湖です。改築されて以前の面影がありません。玄関も前庭も雰囲気がまるで変わりました。
5番目の写真は富士山を背景にした河口湖富士ビューホテルの全景です。これもインターネットからお借りした写真です。
さてホテルの良さとはサービスの質の高さです。
受付をするホテルマンは見かけは日本人ですが何かヨーロッパ人のような対応をするのです。ダイニングでの夕食の料理の運び方、テーブルでのさし出し方が洗練されていて動きを見ているだけで楽しくなります。そして料理の解説など余計なことは一切しないのです。
マスターは客全員に目を配りそれぞれの客が何かして貰いたいか、即座に判断しボーイへ指示を出します。ボーイが素早く近寄り客の要求を聞いてサービスをする。全てが静かにすすみます。客同士がかわす静かな話し声だけが楽しげに聞こえています。富士ビューホテルはそんなホテルでした。
河口湖近辺で日本旅館にも泊まったし、その他のホテルにも泊まりましたが富士ビューホテル以上のサービスを体験したことがありません。
6番目の写真はサービスの質の高いダイニングの写真です。
私どもが泊まりはじめて暫くして経営者が変わりました。そして鉄筋コンクリート製に改築されました。それからはサービスの質が少し変わったのです。決して悪くはないのですが、どこか以前のようなサービスではないのです。それでも、その後も何度か行きました。
最後に河口湖富士ビューホテルの客室の写真を示します。無論ベッドの部屋もあります。
7番目の写真は河口湖富士ビューホテルの客室です。
それにしても富士五湖へは足繁く通ったものです。精進湖、本栖湖、西湖の畔にも懐かしいホテルがあります。
精進湖の山田屋旅館や山中湖のマウントビューホテルやいろいろな所に泊りまた。
山中湖には横浜グランドホテルが夏場だけ営業していた木造洋館のホテルがありました。ここにも泊ったことがあり懐かしいホテルでした。
今日は何度も行った懐かしい河口湖富士ビューホテルをご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)