後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「懐かしい山林の中の小屋の周囲の紅葉風景」

2023年11月03日 | 写真
今年の2月に車の運転を卒業しました。それまで足繁く通っていた山林の中の小屋へ行けなくなりました。小屋の周囲の紅葉風景が懐かしいです。2010年11月に撮った写真です。

そして白居易の漢詩を思い出します。

寄題送王十八帰山仙遊寺   白居易

曽於太白峰前住
数到仙遊寺裏来
黒水澄時潭底出
白雲破処洞門開
林間煖酒焼紅葉
石上題詩掃緑苔
惆悵旧遊復無到
菊花時節羨君廻

<通釈>
その昔、私が太白峰の麓に住んでいた頃はよく仙遊寺へ出かけたものだ。
水が澄む秋の季節には、川淵の底まで透けて見え、白雲が切れた辺りに
仙遊寺の山門があった。また仙遊寺の林間では散り落ちた紅葉を焚いて
酒を煖めたり、緑苔を払った石の上に詩を書いたりしたものだ。
ああ残念ながら、昔遊んだあの地に私はもう二度とは行くことはないだろう。
菊の花の咲くこの季節に、そこに帰っていく君が羨ましいよ。

以上の出典:http://plaza.rakuten.co.jp/1492colon/diary/200812110000/

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
 

「激動の時代、昭和が忘れられない」

2023年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム
戦前生まれの人々は人生の大部分は昭和という時代を生きてきました。激動の時代を生きてきました。日本の歴史を振り返ってこんなに激動した時代はあまりありません.78歳以上の日本人はみな激動の時代を体験しているのです。
昭和時代には満州事変、日中戦争、第二次世界大戦と大きな戦争が続き、昭和20年に日本の敗戦がありました。
そして敗戦後もいろいろなことがありました。
例えば1972年(昭和47年)の2月3日に札幌オリンピック開催された頃のことは憶えていらっしゃるでしょうか?
昭和時代の終わり、1989年(平成元年)の頃、貴方はどのような生活をしていたでしょうか?
下は戦後の日本で起きたおもな出来事を年代順に示したものです。

1945年(昭和20年)
8月14日 ポツダム宣言受諾。
8月15日 正午(日本時間。グリニッジ標準時午前3時) 玉音放送でポツダム宣言受諾が国民に公表される。
9月2日 戦艦ミズーリ艦上において降伏文書に調印(日本の降伏)。
1946年(昭和21年)
1月1日 昭和天皇の人間宣言。
11月3日 日本国憲法公布。
1947年(昭和22年)5月3日 日本国憲法施行。
1949年(昭和24年) ドッジ・ライン(安定恐慌)。
1950年(昭和25年) 朝鮮戦争(朝鮮特需)。
1951年(昭和26年)9月8日 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保)調印。

1952年(昭和27年)4月28日 日本国との平和条約発効、日本の主権回復。
1954年(昭和29年)
3月1日 ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)、第五福竜丸の乗組員が被曝する。
7月1日 自衛隊(陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊)設立。防衛庁(現在の防衛省)設置。
この年から、神武景気が始まる。
1955年(昭和30年)
10月13日 社会党の右派と左派が再統一され、日本社会党が成立。
11月15日 保守合同により自由党と日本民主党が合併し、自由民主党が成立(「55年体制」の始まり)。
1956年(昭和31年)
10月16日 日ソ共同宣言調印。
12月18日 国際連合加盟。
『経済白書』で「もはや戦後ではない」という言葉が使われる。
1957年(昭和32年) なべ底不況。
1958年(昭和33年) 岩戸景気。
1960年(昭和35年)6月19日 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保)調印。
1962年(昭和37年)から、オリンピック景気が始まる。

1964年(昭和39年)
10月1日 東海道新幹線開通。
10月10日 - 10月24日 東京オリンピック開催。
1965年(昭和40年)6月22日 日韓基本条約を締結。
この年から、いざなぎ景気が始まる。
1966年(昭和41年) 日本の総人口が1億人を突破。
1970年(昭和45年)3月14日 - 9月13日 日本万国博覧会開催。
1971年(昭和46年) ニクソン・ショック。

1972年(昭和47年)
2月3日 - 2月13日 札幌オリンピック開催。
5月15日 沖縄返還。
9月29日 日中共同声明調印。
1973年(昭和48年) 第一次オイルショック。
1976年(昭和51年) ロッキード事件。
1978年(昭和53年)8月12日 日中友好条約調印。
1979年(昭和54年) 第二次オイルショック。
1982年(昭和57年)11月27日 中曽根康弘が「戦後政治の総決算」を掲げ第72代内閣総理大臣に就任。
1985年(昭和60年)
4月1日 日本電信電話公社・日本専売公社が民営化、日本電信電話(NTT)・日本たばこ産業(JT)の発足。
1986年(昭和61年)から、バブル景気(平成景気)が始まる。

1987年(昭和62年)
4月1日 国鉄分割民営化。JRグループの発足。
1988年(昭和63年) リクルート事件。
1989年(昭和64年)1月7日 昭和天皇、崩御。昭和時代の終焉。

さて自分のことを書いて恐縮ですが、私共は東京オリンピックの1964年に都下小金井市に質素な家を作り住みつきました。もう59年になります。この家が終の棲家となりそうです。
小金井に来てから悲しいことや楽しかったことがいろいろありました。
楽しかったことは四季折々家族や友人たちとた遊んだことです。
花見、クワガタやカブトムシ探し、月見の茶会、雪合戦や雪ダルマ造りなどなどです。
そして、毎年、晩秋になると都立小金井公園の樹木の紅葉を眺めて来ました。
広い公園にある樹々が紅葉し、葉が散り始める光景には寂寥感が感じられるものです。緑豊かだった夏が去り寒々とした風が落ち葉を巻き上げています。嗚呼、全てが死に絶える冬がやって来るのだと感じるのです。
そして両親や親類、恩人や友人の死を連想して、なんとなく溜息をつくのです。
想うのは個人的な悲しい別れだけではありません。戦前生まれ、戦後育ちの私にはどうしても戦後の大きな社会の変化が忘れられないのです。苦しい時代の数々のことが脈絡も無く思い出すのです。
最近も小金井公園に行きました。写真で示したような巨木の紅葉を眺めながら何時ものようにいろいろなことを思い出して深い溜息をついてきました。

しかし、それにしても多種多様な事があったのですね。皆様は紅葉の風景をご覧になって何を想うでしょうか?
小金井公園の紅葉の2枚の写真と4枚の八王子のイチョウ並木の黄葉の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。八王子の写真は以前撮ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

家内が車窓から以前に撮って来た八王子のイチョウ並木の黄葉の写真をお送り致します。場所は多摩御陵に近い甲州街道です。