後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「浅草の「駒形どぜう」の歴史」

2025年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム
 「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代です。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言います。
初代が始めたどぜうなべ・どぜう汁に加え、三代目助七がくじらなべを売り出すなど、商売はその後も順調に続きました。嘉永元年(1848年)に出された当時のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』には、当店の名が記されております。
やがて時代は明治・大正・昭和と移り変わり、関東大震災、第二次世界大戦では店の全焼という被害を受けます。しかし多くのお客様のご支援と先代の努力もあって、江戸の味と建物は現在の七代目へと引き継がれております。

私も妻とともに1960年代に何度か行きました。そこはかとない江戸時代の雰囲気があります。柳川鍋を食べていると江戸時代の人間になったような気分になったものです。
「駒形どぜう」の写真をお送り致します。
1番目の写真は現在の 「駒形どぜう」の入り口です。
2番目の写真は創業100年当時 の写真です。
3番目の写真は戦後 すぐの「駒形どぜう」です。
4番目の写真は創業から190年後の 「駒形どぜう」の店です。


「農家を見ると戦争中の疎開生活とドジョウ汁を思い出す」

2025年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム
小金井公園にある江戸東京たてもの園には3軒の昔の農家が展示されています。農家を見ると戦争中の疎開生活のいろいろを思い出します。広い水田や田舎の小学校などを思い出します。終戦の玉音放送はその小学校の校庭で聞きました。
いろいろを思い出しますが印象深かったのはドジョウ汁でした。そこでドジョウ汁をご紹介したと思います。
私は弟2人と共に宮城県の北の農村に疎開しました。そこでドジョウ汁を初めて食べました。農家の夕飯によく出たのです。
江戸東京たてもの園の昔の農家を見る度にそんなことを時々思い出します。

1番目の写真は私が疎開した宮城県の北の農村によく似た農村の風景です。写真はインターネットからお借りしました。
疎開した農家で馬を飼っていました。珍しいので草をよく食べさせました。

2番目の写真は大鍋がぶら下がった囲炉裏の写真です。。写真はインターネットからお借りしました。
疎開した農家では朝と昼の2食には白米が出ました。夜は囲炉裏の大鍋でスイトンを煮て食べました。皆で車座になってスイトンを食べるのです。その時水田の水路で取ったドジョウをたくさん入れるのです。濃厚なドジョウ汁です。ドジョウには脂がのっていて芳醇な味わいです。
食糧難の仙台から疎開したのでドジョウ汁は大変美味しいご馳走でした。感動的な食べ物でした。
その感動は忘れられません。それから暫くして東京に住むようになりました。そうしたら東京にドジョウの専門店があったのです。浅草の「駒形どぜう」です。

3番目の写真は浅草の「駒形どぜう」の本店です。写真はインターネットからお借りしました。
「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代です。初代越後屋助七は埼玉県北葛飾の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。それが現在の「駒形どぜう」の本店になったのです。
「駒形どぜう」で疎開先の農家で食べたドジョウの美味しさを思い出して浅草の「駒形どぜう」の本店に家内と一緒に行きました。

4番目の写真は「駒形どぜう」の丸どじょぅ鍋です。

5番目の写真は「駒形どぜう」の柳川鍋です。
「駒形どぜう」のドジョウは淡白で泥臭くないのです。妻は初めてドジョウを食べましたが泥臭くないので美味しいと言います。しかし私は少し泥臭い芳醇な味が忘れられません。疎開した農家で食べた味が忘れられません。

今日は戦争中の疎開生活で食べたドジョウ汁にまつわる思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「郷愁を誘う ”よろず屋” のある風景」

2025年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム
昔、 ”よろず屋” は全国にありました。戦後しばらくしてスーパーマーケット
が増えてくると次第に消えて行きました。でも地方に行くと ”よろず屋”がまだ健在です。
今日は郷愁を誘う ”よろず屋” のある風景をご紹介致したいと思います。
1番目の写真は小金井公園にある江戸東京たてもの園に展示してある小寺醤油店 です。醬油店からはじめて ”よろず屋”になった店です。
大正期から、現在の港区白金で営業していた商店です。味噌や醤油、酒類を売っていました。 
2番目の写真は小寺醤油店の商品です、ウイスキーや日本酒をはじめ色々なものを売っていました。

3番目の写真は山梨県の私の山小屋の近所にある野本商店という”よろず屋”です。よくビールを買って山小屋で飲んだものです。
4番目の写真は地方にある”よろず屋” の一例です。
5番目の写真は現在でも健在な地方にある”よろず屋” の店先です。熊手や箒から家庭用品までいろいろ売っています。何度も花火を買って山小屋で花火を楽しんだことを思い出しました。

今日は郷愁を誘う ”よろず屋” のある風景をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)