後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

宮沢賢治が終生会員だった国柱会とは何か?

2012年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム

宮沢賢治のことを調べていると超右翼団体と言われていた国柱会につきあたります。彼は1921年に上京し、国柱会の街頭布教にも参加します。それ以来、1933年、37歳で亡くなるまで熱心な会員でした。

賢治の戒名は国柱会からおくられ、遺骨の一部も会の聖廟に眠っています。

その国柱会は八紘一宇」という造語を創作し、大東亜戦争の精神的支援をした事で有名な宗教団体です。

いろいろ調べているうちに大変、客観的で、明快な説明文を見つけました。

以下にご紹介いたします。

宮沢賢治は本気でこの会に参加していたのです。彼の思想を理解する上で、大変重要な説明文ですので、是非お読み下さい。

====国柱会の特徴は法華経を全世界へ普及する活動=======

「新興宗教を考察するページ」http://park8.wakwak.com/~kasa/index.html

より国柱会の特徴をご紹介致します。

以下の部分の出典は、http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/kokuchukai.html です。

その特徴とは:

国柱会(こくちゅうかい)は、日蓮宗と国家主義をブレンドした超右翼思想宗教団体として発足、戦前戦中においては日本の満州・中国・東南アジア・オセアニア地域への侵略を支持したことで有名です。在家の仏教教団です。

創始者の田中智学は「純正日蓮主義」を掲げ、法華経を国教とした日本が世界を征服し、世界を法華宗化するという遠大な目標をもっていました。その一環として田中智学は「八紘一宇」という造語を創作し、これはのちに軍部のスローガンとして利用されました。八紘一宇とは、全世界を天皇を頂点とした1つの国家に統一するという意味です。日本の軍部は八紘一宇の第一歩として「大東亜共栄圏」を標榜し、近隣各国を侵略していきました。結果として国柱会は大東亜戦争に思想的に加担したということがいえると思います。

田中智学の唱えた国家主義的思想は今では危険思想としてとらわれがちですが、当時はこのような思想がトレンドであり、特に右寄りな思想というわけではなかったようです。また、戦前から存在する日蓮宗系の宗教団体は何らかの形で田中智学の思想の影響を受けているといわれています。
かつて創価学会および公明党のスローガンであった「国立戒壇の建立」も、オリジナルの発言者は田中智学です。国立戒壇とは、国民の総意を持って国立の本部講堂を建立し、天皇はじめ為政者がこの戒壇で祈祷することにより国家安泰が実現するとする思想で、元は日蓮聖人が「本門戒壇」という言葉として遺言したのが始まりです。ちなみに日本国憲法では政教分離が謳われており、このような発言は憲法に反するということで、1970年代に世論の激しい反論にあってからは創価学会も公明党も国立戒壇のことには触れなくなりました。いまだに国立戒壇にこだわっているのは「富士大石寺顕正会」くらいです。

話を戻しますが、国柱会の信者として知られていたのが石原莞爾と宮沢賢治です。石原莞爾は陸軍幹部(関東軍参謀)として満州事変・満州国建国に深く関わった人物として知られていますが、彼の思想は国柱会の影響を深く受けていました。満州事変の首謀者でありながら、実は平和主義者であり日中戦争には強硬に反対したといわれています。宮沢賢治も同様で、彼は終生国柱会の信者でした。宮沢賢治の墓が国柱会本部にあるそうです。

戦後になりGHQは八紘一宇という単語の使用を禁止し、国柱会の日蓮国家主義も壊滅したかのように思えました。が、国柱会は1953(昭和28)年に宗教法人として認可され、現在は江戸川区一之江に本部があります。今なお滅びずに現存しているということが驚きですが、さらに感嘆すべきは、その思想の根底はいまだに変わっていないことです。

国柱会の主旨は日蓮聖人が存命時に立てた目標を愚直に実現すること、すなわち日蓮聖人が唱えた「立正安国論」の実現が目標です。これは現在の国柱会でもまったく変わっていません。これを「純正日蓮主義」と呼んでおり、立正安国論とは、全国民(ひいては全人類)が法華経に帰依することで日本(ひいては全世界)に平和と繁栄がもたらされるというものです。
田中智学はこれを法華経を中心に据えた国家主義思想へと発展させ、昭和初期の右翼活動家へ多大な影響を及ぼしました。最終目標は日本を仏教国家とし、ひいては世界が仏教化し法華経に帰依することによって平和を実現することにあったのですが、その過程として八紘一宇などの言葉を持ち出したりした歴史的な背景から、軍国主義・全体主義と結びつけて否定的な評価がされることが多いというのが実情です。

参考資料:創立者、田中智学(たなか・ちがく)1914(大正3)年創立の宗教法人で現在の指導者は田中暉丘。現在の法人本部:東京都江戸川区一之江6丁目19番地18号、現在の会員:2万人


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
水木りょう さん (後藤和弘(藤山杜人))
2012-05-09 16:20:59
水木りょう さん

ご無沙汰してしまいました。

コメント有難うございました。

コメントを考え、国柱会の良い側面をまた新しい記事にして掲載しました。
ご笑覧頂ければ嬉しく思います。

敬具、後藤和弘
返信する
国柱会のことを詳しく解説していただきました。 (水木りょう)
2012-05-09 10:25:36
国柱会のことを詳しく解説していただきました。
私の父は熱心な会員でした。
幼いころから事あるごとに会員の方々が出入りして、神道の行事を行っていました。そのうち、智学先生のご子息の田中澤二先生が興した 『立憲養正会』が戦前急激に発展し130万人に膨れ上がり、父はそれにも加担し我が家は書道の道場でしたので、会合に使われて、賑やかでした。
しかし父は途中から養正会のやり方に不満を持つと先輩方から激しく罵倒されて可哀想でした。
総裁の澤二氏がもうひとつ掲げた文化芸術の『綜合生活』の中にらんせん流書法用義を発表、父は書道家でしたのでそちらに傾倒して参りました。

そして現在私もその書法用義を根本にして生きております。
養正会や国柱会には私は賛同しておりません。
内容の9割が時代にそぐわないと思っております。
藤山さんが懐かしい立正安国論を紹介したので、コメントをさせていただきました。ありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。