後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「曹洞宗の大本山、永平寺の写真」

2024年12月05日 | 写真
曹洞宗のお寺の本山は福井県の永平寺です。15年位以前に私は妻を伴って永平寺を訪ねる旅に出たのです。
今日は曹洞宗の本山の永平寺を写真でご紹介したいと思います。
永平寺は1万5千の末寺を持ち信徒800万人です。曹洞宗のお寺の住職などが毎年100名以上の人が修行僧として入山してくる修行道場です。
1番目の写真は永平寺の雲水たちです。
2番目の写真は雲水たちが雪の中を托鉢に出て行くところです。
3番目の写真は永平寺の正面入り口の山門です。この奥の山の斜面に20棟以上の建物がある規模壮大なお寺なのです。
4番目の写真は入ってすぐ通される大広間です。写真は座禅体験コースの様子です。
5番目の写真は広い参拝コースの中で私が一番感動した階段です。仏殿に登って行く階段ですが広いうえに傾斜が絶妙で楽にのぼれます。
6番目の写真は永平寺の主要な建物の写真です。手前が入り口の山門で一番上が本尊を祀る1902年完成の仏殿です。仏殿の左右に仏殿に登って行く階段が写っています。
7番目の写真はバスの終点、「大本山永平寺前」にある門前町です。
 
永平寺の仏殿や法堂など主要19棟は国の重要文化財(建造物)に指定されています。

曹洞宗の大本山の永平寺を写真でご紹致しました。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「東京には75の曹洞宗のお寺がある」

2024年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

現在、日本の仏教は八つの宗派があります。天台宗・真言宗・浄土宗・浄土宗真宗本願寺派・真宗大谷派・曹洞宗・臨済宗・日蓮宗です。宗派の違いによって焼香の方法や葬儀でのマナーなどが異なります。

そして東京には75の曹洞宗のお寺があるのです。その幾つかを以下にご紹介いたします。

恵比寿台雲寺

恵比寿台雲寺
所在地
東京都渋谷区恵比寿1-18-1

1番目の写真は台雲寺の本堂です。

東長寺結の会納骨堂 龍樹堂

東長寺結の会納骨堂 龍樹堂
所在地
東京都新宿区四谷4-24-3

杉並 下高井戸駅近永代供養付墓所

杉並 下高井戸駅近永代供養付墓所
所在地
東京都杉並区下高井戸2-21-2

曹洞宗雲居山 宗参寺

曹洞宗雲居山 宗参寺
所在地
東京都新宿区弁天町1

心源院 のうこつぼ

心源院 のうこつぼ
所在地
東京都八王子市下恩方町1970

泉岳寺

泉岳寺
所在地
東京都港区高輪2-11-1

普門山 慈眼寺

普門山 慈眼寺
所在地
東京都港区三田4-3-24

明王山 威徳院

明王山 威徳院
所在地
東京都三鷹市新川2-1-17

慈眼寺 のうこつぼ

慈眼寺 のうこつぼ
所在地
東京都港区三田4-3-24

嶺雲寺

嶺雲寺
所在地
東京都品川区東大井2-15-10


「お寺の子供僧と山里のお寺の写真」

2024年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

誰でも子供の頃の思い出は懐かしいものです。それは人生のとっても大切なものです。今日はお寺の子供僧と山里のお寺の写真をお送りいたします。そして父の弟の孝元和尚のことも書きたいと思います。父の実家は兵庫県の田舎のお寺だったのです。

まず子供僧の写真をご覧ください。

1番目の写真は東京のあるお寺が企画した子供のお寺の生活体験の写真です。子供が袈裟を着て檀家回りに出発しようとしている場面です。写真の出典は、https://www.hongwanji.or.jp/project/report/000842.html です。

私も子供僧になった体験がありました。それは小学生の4,5年の頃、終戦直
そのお寺は曹洞宗で兵庫県の山里の小さな集落にありました。
小高い場所に建っていたので集落の農家や水田が箱庭のように見下せました。
集落の農家は全てお寺の檀家です。家々には金色に輝く立派な仏壇があります。そんな風景写真を示します。

2番目の写真は私が夏の間だけ子供僧になった田舎のお寺によく似た寺の写真です。

3番目の写真はお寺から見下ろした集落の風景に似た写真です。
この写真は「山里の風景写真」を検索して多くの写真から選びました。
集落の家は全て祖父のお寺の檀家でした。米や野菜を寄進してお寺の一家の暮らしを支えていたのです。日本の伝統文化です。

4番目の写真は寺の本堂での法要の様子です。
私も小坊主として後ろの方に座り知っているお経を一緒に唱えました。
毎年夏のお盆に行う施餓鬼供養の写真です。近隣のお寺から僧侶に来てもらい太鼓や銅鑼を打ち鳴らし賑やかな供養でした。

5番目の写真は京都のあるお寺で撮った子供の僧たちの写真です。当時私と弟はこんな袈裟姿をしました。子供用の袈裟は優しかった叔父の孝元和尚が仕立て屋に頼んで特に作ったものです。この写真の出典は、https://temple.nichiren.or.jp/5061018-rengeji/event/shamongo/ です。

最後に優しかった叔父の孝元和尚の思い出を書きます。第二次世界大戦の時に孝元和尚は徴兵されレマレー半島で激しい戦闘を体験したようです。しかし孝元和尚は一言も話しませんでした。敵味方双方の悲劇については完全に沈黙を守りました。

人間の悪については沈黙が賢明な場合があるのです。そのことを私は孝元和尚から学びました。いつも穏やかで優しい叔父でした。

今日は私がある山里で子供僧になった時の様子を書いてみました。そして伯父の孝元和尚の思い出も書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「宗教的な体験をすると宗教を信じるようになる」

2024年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は宗教的な体験をすると宗教信じるようになるということを書きたいと思います。仏壇に毎朝お茶や線香をあげていると仏教を信じるようになるのです。このような生活習慣が日本の仏教を支えているのです。生活習慣が宗教を支えているのです。
祖父がお寺の住職だったので私はそのように信じています。
以下では小さい頃の宗教的体験の重要性について書きたいと思います。小さい頃の体験は一生深い影響を与えるという話です。
私の祖父は兵庫県の曹洞宗の正林寺の住職でした。叔父も祖父の後を継ぎ住職を長く務めていました。
そのお寺は大阪駅から山奥に入った兵庫県にありました。現在も正林寺は兵庫県川辺郡猪名川町内馬場という所にあります。
祖父は和尚でしたが父は仙台の大学に勤めていました。毎年夏のお盆になると両親兄弟三人の一家揃って兵庫へ里帰りするのが習わしでした。
蒸気機関車の東北本線で上野まで行き電車の東海道線に乗り換えて大阪駅まで長い汽車の旅でした。大阪・梅田から阪急電車です。能勢口で能勢電鉄へ乗り換え山下駅で降り、あとはタクシーという旅でした。
私は昭和11年生まれですが、記憶に残っているのは4,5歳の頃からと思います。里帰りは戦後の昭和26年、中学校3年の夏まで続いたので10年間くらいの記憶であります。
お寺は山合いの内馬場という集落の端にありました。高い石垣を積み、小さな本堂、鐘楼、庫裏、客間の離れ、白壁の蔵が、狭い敷地にまとまって建っています。石垣の上の白壁の塀の上からは集落全体が箱庭のように見下ろせます。
里帰りした一家は本堂の左奥にある離れに寝ていました。
お寺の生活は子供心に珍しく、いろいろ思い出があります。夏のお盆には施餓鬼供養という法要があります。
近隣のお寺の住職が10人くらい集まり、本堂で、お経を読み、鐘やシンバルを鳴らして輪になって廻るのです。この儀式では集落の人々の先祖の供養と施餓鬼供養をしているのです。
本堂の左右の客間には集落の人が合掌して座っています。そして人々は供える野菜や果物を祭壇に溢れるほど持ってくるのです。
その施餓鬼法要が終わると叔父の住職は私と弟に子供用の墨染めの衣を着せて集落へ降りて行きます。一軒一軒全ての家を廻って、仏壇へ向かって、お経を唱えるのです。
お経が終わると、どの家でも冷やしソーメンと果物を出してくます。少し食べて帰ろうとすると、お布施の袋を3つ出してくれます。叔父と私と弟へのお布施です。小坊主には小さな袋でくれます。小さなお布施袋を貰うのが嬉しいのです。一人前の坊主になった気分です。
大学を卒業し、結婚し、生活の苦労をするようになってからは能勢電鉄の奥にあったお寺のことは忘れがちになりました。
しかし老境の今日この頃になると無性にそのお寺のことが懐かしくなります。
とにかく貧乏なお寺で現金収入が一切無いのです。お寺の裏側は山が迫っていて墓地を作れないのです。
お寺には位牌だけがあり墓地の面倒を見ていません。しかし寺の本堂の須弥壇のお釈迦様の像の後ろの段の上に集落全部の位牌をならべます。そうして住職は毎朝、釈迦如来像と多くの位牌へお経を詠んで死者の冥福を祈ります。
毎年、檀家の人々が米を一年分寄進して蔵の中に蓄えてくれるのです。戦争中でもそれで十分でした。味噌、醤油も檀家の人が届けてくれます。
寺には昔から寺領の畑や田があり最小限の自給自足が出来るようになっているのです。従って住職の仕事は読経と、田畑の世話の両方をすることなのです。
戦前の農村におけるお寺と檀家の関係にはこの様に支え合う関係があったのです。昔の田舎のお寺と檀家の親密な関係を懐かしく思って居ます。貧乏な檀家と貧乏な寺でしたが、その関係は佛教への信仰に支えられた心温まるものだったのです。
私は中年になってカトリックの洗礼を受けました。仏教もキリスト教も人間の力の及ばない絶対的な存在を信じるものです。宗教は根本において共通なのです。それで私は何の抵抗も無く自然に洗礼を受けたのです。幼少の頃の体験が重要だったのです。
ちなみに妻はカトリックの幼稚園やキリスト教系の大学へ行っていたので私と一緒にカトリックの洗礼を受けました。それも自然ななりゆきでした。人生は素直に自然に生きるのが良いのです。

今日の挿絵代わりの写真は昔の兵庫県の正林寺を思い出させてくれるようなお寺の写真です。正林寺の面影を求めて見つけたお寺の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は現在、鐘楼の下にある正林寺の石碑の写真です。写真の出典は、http://sp.raqmo.com/syorinji/ です。
2番目の写真は甲州街道の大垂水峠の向こうにある善勝寺です。正林寺はこんなに立派ではありませんでした。しかし山を背にした山里にある風景が正林寺の面影とぴったりです。
3番目の写真は善勝寺の鐘楼です。正林寺の鐘楼と似ていました。
このお寺は高野山 真言宗 見富山 善勝寺と言います。
この善勝寺は弘法大師空海が諸国巡錫の折り、この地で毘沙門天の尊像を彫り祀ったことが開創と伝承されています。ですからお寺は紀州高野山の直の末寺になっています。