後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「キロロのある赤井村は小樽の近くある」

2024年12月11日 | ブログ
キロロのある赤井村は小樽の近くあります。
村の名前の由来はアイヌ語の「フレ・ベッ」(赤い・川)の意訳である。
面積の大部分が山地の森林で、北西のカルデラ盆地に村の中心と農地が広がる。盆地内特有の内陸性気候で積雪が多く、道内でも有数の豪雪地帯となっている。かつての噴火活動で形成されたカルデラ地形の上にある村である。
写真は赤井村の役場です。



「思い出のホテル(9)北海道のキロロのホテル・ピアノ」

2024年12月11日 | ブログ
大規模で贅沢なリゾートホテルの北海道のキロロのホテル・ピアノをご紹介いたします。
日本が高度成長していた頃に設計され建設された驚異的な施設です。
2010年の6月に行き、感動しましたので、何度かキロロのホテル・ピアノに泊りました。
キロロはアイヌ語で「心」を意味するそうです。小樽から毛無山峠を越して、深い山に入った北海道余市郡赤井川村にあります。
ホテルの部屋も広く、インテリアも落ち着いています。食事も美味しかったです。ホテルから続くレストラン街も良い雰囲気でした。そんな風景を下に写真で示します。
まず2010年の6月の新緑の頃に撮った2枚の写真を示し、その下に晩秋の風景写真を2枚示します。季節によって風景が変化している様子をお楽しみ下さい。アクセスや宿泊料など詳しくは、http://www.kiroro.co.jp/  をご覧下さい。
  上が6月の新緑の頃で、下が10月の晩秋の頃の写真です。最初の白樺林の写真と下の最後の落葉してしまった白樺林の写真は同じ所を撮ったものです。
は大規模で贅沢なリゾートホテルの北海道のキロロのホテル・ピアノをご紹介いたしました。感動的なホテルでした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「思い出のホテル(8)美しい伊根の舟屋の旅館」

2024年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は心に残る美しい海の風景の写真をお送りいたします。伊根の舟屋の風景です。
伊根の舟屋は1991年頃、神戸に居たとき何度も訪ねた美しいところです。
「伊根の舟屋」の美しい風景をご紹介したいと思います。なお日本三景の天の橋立はこの伊根のすぐそばです。
伊根の舟屋は京都府の日本海側の与謝郡、伊根町の海沿い立ち並ぶ家です。1階にある舟の収納場所の上の2階に人が住んでいます。これは独特な伝統的建造物です。舟屋は江戸時代中期頃から作られ ました。現在、240軒ほどあります。この地区は「伊根町伊根浦伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。
この舟屋の多くは民宿をしています。民宿では舟屋の2階がお客の寝室になっているのです。私が泊った時には夕食に生け簀に泳いでいた地魚の塩焼きが出ました。ゆっくり地元の辛口の酒を楽しみました。もう30年余も前の旅の思い出です。
その風景写真をお送りします。出典は、https://reki4.com/00201.html です。
1番目の写真は伊根湾の東側から見た伊根の舟屋の遠景です。
2番目の写真は舟屋の近景で1階が舟の収納庫になっています。2階は宿泊客の部屋です。そこで海を眺めながら食事をし寝ます。
3番目の写真は漁船が大型化して1階の収納庫に入らなくなった様子を示します。大きな漁船が舟屋の前に舫ってあります。あまり良い光景ではありませんが私は仕方がないと諦めました。これも時代の変化です。
4番目の写真は伊根湾の夕日です。日本海にゆっくり沈んで行きます。

ここ伊根という地名は建久2年(1191年)に「長講堂所領注文」という史料に初めて出てきます。鎌倉時代末期には集落が形成されていたようです。
はじめは湾内だけの漁業だったようですが江戸時代以降は湾外へと舟が出て行きました。
江戸時代末期には短冊型の地割りが見られ現在の舟屋群の基礎が確立しています。

それにしても何故か旧懐の情をかき立てる風景です。

曾遊の地、伊根の舟屋の写真をお送りいたしました。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「思い出のホテル (7)横浜のホテル ニューグランドと中華街」

2024年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム
ホテル ニューグランドは横浜市の山下町にあり昭和2年に開業しました。
開業当時から、皇族、イギリス王族などの賓客や喜劇王チャーリー・チャップリン米国の野球選手ベーブ・ルースなどが泊まりました。ダグラス・マッカーサーは1937年に新婚旅行の帰路と1945年の終戦後に滞在しました。終戦後の7年間は占領軍将校宿舎として接収されたのです。
また山口湖の富士ニューグランドホテルは横浜のホテル・ニューグランドの支店です。
私が元気の良い若い頃そして中年と初老の頃までは何度も横浜へ遊びに行ったものです。そしてホテル ニューグランドに泊まりました。横浜は異国情緒が溢れ、それに心惹かれて通ったのです。
写真をお送りしたいと思います。
1番目の写真は横浜のホテル ニューグランドの旧館です。旧館にも泊まったことがありました。
2番目の写真は横浜のホテル ニューグランドの旧館と新館です。新館の後ろにの中華街があります。

3番目の写真は客間です。泊った部屋のようです。窓の下は山下公園でその向こうが青い港で氷川丸が係留されていました。氷川丸も旅客機の普及で1960年に就航を止め山下公園に係留され公開されています。

4番目の写真は山下公園に係留され公開されている氷川丸です。入場料を払うと船内が見物出来ます。チャップリンの泊まった一等船室も見られます。この写真以下の全ての写真は家内が撮った写真です。
5番目の写真は昭和の雰囲気ただようニューグランドホテルの旧館です。
横浜は江戸末期に開港した港町です。現在、カトリック教会やミッションスクールのフェリス学院のある山の上には欧米人が住みました。外人墓地のある丘の上です。
山の下の町には中国人が住み、現在の中華街になったのです。
旅客機が普及する1960年頃までは、横浜こそが文字通り外国文化の窓だったのです。
6番目の写真は中華街の出入り口にある豪華な門です。この門の中に入るとそこは昔の中国の世界です。道教の関羽廟もあります。中国人が長い線香に火をつけて、膝まづいて三拝しています。
7番目の写真は中華街の風景です。何度か中華料理を食べに店にはいりましが中国人の応対が古い中国を感じさせます。
この中華街を訪問すると、ああ古い中国文化はこのようなものだったと感じるのです。高層ビルの立ち並んでいる現在の中国の町とは非常に違います。
8番目の写真はそして昔懐かしい崎陽軒です。真空パックをした現代風の崎陽軒のシウマイは全国で売っています。しかし真空パックをしていない作りたての素朴なシウマイは限られた店でしか売っていません。
シウマイの箱の中には小さな白い陶器の入れ物に入った醤油とカラシがついています。この白い陶器の醤油入れが戦前の昔のままなのです。崎陽軒の古いお客を大切するその気持ちも嬉しいのです。幸せを感じるのです。

9番目の写真は現在の大桟橋の風景です。横浜市は斬新な桟橋の設計を公募することにして、世界中へ呼びかけました。それは2002年のことでした。
その公募には660件の応募があり、その中から最優秀作品としてイラン生まれのファッシド・ムサヴィさんという女性とスペイン生まれのアロハンドロ・ザエラ・ポロさんという男性の2人の合作による設計が優勝したのです。その設計図に従って作られたのが現在の大桟橋です。この桟橋は徹底的に木造になっていますので、散歩していると実に気分が良いもです。
10番目の写真は大桟橋の客船の上から撮った横浜の中心街の夕方の風景です。
ここから豪華客船に乗り日本の各地へ船旅をしたのも思い出になっています。

思い返してみると随分、何度も子供達や家内と横浜へ遊びに行ったものです。貸自転車で市内を回ったり、古い洋館を訪ねたりしたものです。
異国情緒漂う横浜の残影を懐かしいです。

それはそれとして、 今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)